第30話 新馬特集

 スマイル牧場を離れる日が迫る中、寂しい気持ちとワクワク感が駿馬の心の中で、波のように寄せては返す。今さっき届いた競馬雑誌『キャンター』では「来年のロイヤルダービーを目指す期待の新馬」と言うタイムリーな特集が組まれていた。


 どれどれ・・・駿馬がコーヒーの入ったマグカップを片手にページをめくると、見開きで紹介されている馬がいる。ストーミーランという牡馬で、父はハヤテオウと同じキングフィロソフィー、母はナナイロセブン、栃栗毛のしなやかな肢体と黄金のような立髪が目を引くか。


 競りにかければ3億円はくだらないと言われたが、馬産地の大手であるビッグブラザーファームのオーナーが手放さなかった。村岡調教師によると2週間後の新馬戦を予定している。すでに新馬戦が始まって1ヶ月ほど経つことを考えると、満を辞してという感じか。


 そのほか新馬戦に大差で勝利し、2歳馬にとって最初の重賞である「サプライズトロフィー」に出走が予定されるアンゴルモア、世界最高峰レースと呼ばれる『サクレクール賞』を連覇した外国馬グランブローニュの仔グランセーヌ、注目の白毛馬ホワイトランナー、父親である三冠馬プトレマイオスに瓜二つと評判のクラウディオスなどなど。


 そうした期待の2歳馬たちの中に当然ハヤテオウは含まれていない。登録すらされていないのだから当然だ・・・と思いながらパラパラとページをめくっていると、冊子の最後の方に独立レースのコーナーがあった。そこには小さいながらも1枚の写真とともに「2歳馬の新星ハヤテオウが『ナンデモ電機ステークス』に勝利。RRCからクラシック戦線に挑戦か」と書かれていた。


「愛子さん、ハヤテオウが・・・」

「え、どれどれ?」


 愛子がソファーの隣に腰掛けて、体を寄せてきた。馬房で二頭の世話をしていた直後なので、嗅ぎ慣れたカイバの香りが漂ってくる。”愛子さん、近いです”と口にデカかったが、流れに甘えてしまった。


「ハヤテ君、すごいなあ・・・でも、きっと年明けぐらいには見開きになってるわよ」


 期待の新馬特集の方を開いた愛子がストーミーランのところを指差しながら力説してきた。普段は上品で大人しめな雰囲気だが、こういう時に急に熱っぽくなるのはいかにもホースマンらしい。ホースウーマンと言うべきか。


 駿馬は元の世界の調教師やオーナー、ライバルのジョッキー、知識はすごいが予想がさっぱり当たらない評論家など、熱い人たちを思い浮かべた。もうあの世界には二度と戻れないかもしれない。しかし、ハヤテオウと再開し、愛子に出会った。そして何よりジョッキーとして目指すべき場所がある。


 まだ不安はあるし、分からないことも多いが、この世界でやっていく覚悟はとうにできていた。具体的な目標も。ハヤテオウとロイヤルダービーに優勝する。スマイル牧場を大きくして、ハヤテオウとフラワースマイルの仔でレースに出るのだ。そして・・・頭の中に浮かんだものを慌てて打ち消した。


 そういえば牧野姫子はあれからどうしているだろうか。元の世界では競馬学校の同期であり、デビュー後は強力なライバルの一人だった女性初のG1ジョッキー。なんでこの世界にいるのか、独立レースに別の名前で騎乗していたのか。レース後にいきなり”豪腕”で叩かれたが、確かな記憶があると言うことだろう。


 プルルル・・・唐突に部屋の電話が鳴り、台所で夕食の仕込みをしていた愛子が「ハイハイ」と声に出しながら受話器を取る。「ええ」とか「はい」とか答えた後に「場所は分かりますか?」と聞き返した。


「分かりました。明日のお昼ごろ、お待ちしてますね」と答えた後にガチャリと電話を切った愛子が「駿馬さん!」と呼びかける。


「なんですか?」

「牧野姫子さんが明日スマイル牧場に来るって」

「ええっ」

「素性を確認したら、グランドシャークに騎乗していた有馬芳だと・・・」

「はい。説明はしにくいですけど、以前からの知り合いで」


 愛子が訝しげな表情をしたので駿馬は不安に駆られた。変な誤解を与えてしまったら・・・余計な想像を断ち切ったのは他でもない愛子の言葉 だった。


「駿馬さんの競馬仲間・・・よね?」

「はい!そうです!」




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