第28話 ミリオネアのラスボス

 この世界に来て1週間。振り返れば走馬灯のようにあっという間だった・・・何を死ぬ間際みたいなこと考えているんだろう。駿馬は愛子が特別に腕を振るった豪華な夕食に舌鼓を打ったあと、コーヒーを飲みながら慌ただしい時間を整理していた。


 それにしてもスマイル牧場に帰り、ハヤテオウを馬房に連れて行った時の喜び方と言ったら。よく恋愛ソングで「君のために生まれてきた」みたいなくさい歌詞があるけど、まさに今のハヤテオウがそんな感じだ。フラワースマイルに向けたストレートすぎる愛情表現は見ていて恥ずかしさ半分、羨ましさ半分と言ったところか。


 かたや駿馬はどうか。この世界に来て最初にあった人が愛子で、たまたま女性でもあった。ハッとしたし、一目惚れのような感覚だったことは否定できない。そして居候という形だが、1週間ほとんど一緒に時を過ごしているが、はっきりと気持ちを伝えられる自信はまるでない。


 だいたい愛子が自分のことをどう思っているのか・・・スマイル牧場とフラワースマイルを救ってくれた恩人として感謝してくれているのは確かだ。ただ、接し方はいつも自然体だし、そもそも異性として見ていないのかもしれない。そんなことを堂々巡りしていると「駿馬さん」と食事の後片付けを終えた愛子が話しかけてきた。


「RRCの関係者サイトで調べてみたけど、ハヤテオウを登録できるのが最短で1ヶ月後、新人騎手の登録試験が2ヶ月後だって。どうする?」

「あ・・・そ、そうですね」


 フランクに「どうする?」と聞かれて一瞬固まってしまった。もちろん嬉しい気持ちだが、変に意識しているのがバレてしまいそうで言葉を返すタイミングを失ってしまったのだ。


「そうよね。急に言われても即答しにくいわね」

「ええ、まあ・・・」

「ハヤテオウの登録はそんなに時間がかからないと思うの。もう2歳の新馬戦は始まってるから少し遅いデビューになるけど、彼なら巻き返せるはず」

「そうですね」

「ただ、駿馬さんがハヤテオウに乗れるのは早くて3ヶ月後。そこまで待つと新馬戦が全て終わって、いきなり未勝利戦からになる」

「はい」


 つまり愛子が言いたいのはRRCのデビューになる新馬戦を別のジョッキーに任せることをOKできるのかということだ。もちろん2ヶ月後の登録試験に合格することがハヤテオウに乗る前提条件だが、そこまでハヤテオウのデビューを待たせるとクラシック戦線で大きく遅れを取ってしまう。


 夢か現実か未だに分からないが、競馬ゲーム『ダービーミリオネア』の世界に生きていることは確信に近い。RRCは元の世界のNRCとほぼ変わらず、年間のカレンダーもほぼ同じであるようだ。室内のカレンダーを見る限り暦も一緒で、7月から2歳の新馬戦がスタートし、多くの馬は翌年のクラシック三冠を目指してしのぎを削る。


 もちろん短距離路線やダート路線に進む競走馬もいるようだ。極端な話、ハヤテオウも絶対にクラシック戦線の王道を目指さないといけないわけではない。しかし、駿馬の記憶の中で今もナショナルダービーのゴール板を駆け抜けた瞬間の興奮と落雷のようなものに打たれたショックが強く残っている。


「あの・・・愛子さん」

「はい」

「ハヤテオウのデビュー戦を任せられるジョッキーはいませんか?」

「そうね・・・武井さんかしら」


 武井祐太郎・・・確か『ダービーミリオネア』にトップ騎手として登場してくるジョッキーだ。イベントで触っただけで、特にゲームをやり込んでいない駿馬でも一夜漬けの情報で知っていた。重賞などで依頼すると80%の確率で断られ、しかもライバル馬のヤネとして立ちはだかる。


 確かファンには「ミリオネアのラスボス」と呼ばれていた。確かテン乗りの名手で、いきなり任されても騎乗ミスをほとんどしない。それ以上は知らないが、おそらく新馬戦にも強いのだろう。確認のため愛子に聞くと、ほぼその通りの答えが返ってきた。


「その失礼ですけど、ツテがあるんですか?」

「はい。スマイルティアラがロイヤルオークスに優勝した時のヤネが武井さん」


 そう言って愛子は壁にかかっている額縁付きの写真を指さした。フラワースマイルより骨格はたくましいが、顔立ちがソックリの美しい馬に跨りガッツポーズしているのが武井祐太郎・・・RRCのリーディングジョッキーだ。


「愛子さん、よろしくお願いします」

「はい。まずはハヤテオウの登録が先決だけど、早めにコンタクトしてみる」


 愛子は真剣な表情で駿馬に向き直りながら回答した。順調ならハヤテオウがいち早くこの世界の中央競馬に立つ。自分も絶対試験に合格して、いるべき場所へ行く。そう決意した駿馬に愛子が提案してきた。


「駿馬さん、実はRRCの短期研修プログラムがあるの。そこで実戦感覚を養った方が試験に通りやすいと思う」

「えっと、それはスマイル牧場から」

「ちょっと通えないわね。トレセンの寮に寝泊まりすることになると思う」

「そうなんだ・・・」

「ちょっと寂しくなるわね」


 ちょっと・・・駿馬にとってはちょっとどころではない。しかし、RRCのジョッキーを目指した時から覚悟はしていた。それよりフラワースマイルとお別れになるハヤテオウが心配だ。


「競走馬の拠点にもなるから、公式のレースには乗れなくてもハヤテオウの調教に付き合うぐらいはできると思う。朝井厩舎なら」

「朝井厩舎?」

「朝井調教師。情熱的なベテラン調教師で、スマイルティアラをオークス馬にしてくれた」


 とんとん拍子に話が進んで、この世界でも正式にジョッキーとしての日々がスタートするんだと言う実感がこみ上げてくるとともに、スマイル牧場、愛子との別れも近づいていることを悟り、複雑な気持ちになる駿馬だった。

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