第27話 白金ファームの代案

 牧野姫子・・・元の世界の中央競馬であるNRCの関西トップランカーであり、女性ながら「豪腕北井の再来」と呼ばれ、叩き合いになったら100%に限りなく近い勝率を誇っていた。そして芝野駿馬の同期だ。


 彼女がなぜここに・・・そう駿馬が戸惑いながらマジマジと顔を見ると、なぜか涙ぐんでいる。


「なんで私のことが分からないのバカ駿馬!」

「あ、ごめんなさい」


 ちょっと事情が飲み込めないが、とにかく後検量を済ませないといけない。順番を待って検量台に乗り、係員に「オッケーです」と言われる。『ナンデモ電機ステークス』と刺繍された赤い勝利ゼッケンを纏ったハヤテオウに跨り、観客の待つウィーナーズサークルで記念撮影、そして表彰という流れだが、拍子抜けしてしまった。


 さらに突っかかってこようとする姫子(有馬芳)に両手を合わせてゴメンとジェスチャーすると、そさくさとハヤテオウのもとに向かう。姫子の態度には目もくれないようにした。


「(何やってんだ・・・)」

「(悪いな。元の世界の知り合いで・・・あれ、ハヤテは知らないのか?)」

「(見たこともない)」


 そうか、ハヤテオウの記憶が2歳に戻っているなら、愛子とも出会っていないことになる。愛子とハヤテオウが対面したのはデビュー3走目、ハヤテオウが初めて重賞に挑んだ「四方山2歳ステークス」だった。彼女はハヤテオウの2着馬となったラヴリービズに騎乗していた。


 あのレース前にもハヤテオウは鼻をヒクヒクとさせていたが、2走目で馬っ気を出してから調教師が牝馬に慣れさせる対策をしたことで、普段の能力を発揮できたのだ。その対策というのはハヤテオウの馬房の両隣をお気に入りの牝馬にして、ハーレム状態にしてしまう荒療治だったが。


 ラヴリービズはクラシック三冠の初戦に当たる春花賞に勝利し、牧野姫子を女性初のG1ジョッキーにしたが、その後どうしたっけ・・・ダービーの前週に行われたナショナルオークスは確か別の馬が勝利したと記憶しているが、そもそも出走していたのか・・・考えごとをしていると「(ぼけっとするな!)」とハヤテオウに心で呼びかけられた。


 ハヤテオウとともに駿馬がウィナーズサークルに出て行くとオーナー代理である愛子が待っていた。柵の外側で見覚えのある顔が「ハヤテオウ〜」と叫びながら手を振っている。愛子の姪っ子であるエミだった。笑顔で写真におさまる愛子と駿馬、そして誇らしげなハヤテオウ。本当はここにフラワースマイルも加えてやりたいが・・・。


 口取り式が終わり、下馬してハヤテオウを係員に預けると、駿馬は報道陣に囲まれた。彼らからすればハヤテオウは謎の新星だ。幸いそこまで突っ込んだ質問は無かったが、駿馬も当たり障りない回答に終始した。


 一通りの行事が済んで帰り支度をしようとする駿馬と愛子の元に、唾広の白い帽子を被った綺麗な顔立ちの女性が近寄ってきた。ファッションモデルを思わせる、この場に似つかわしくない足取りに駿馬は見とれそうになったが、パドックで見かけた気がする。


「裕美さん」

「どうも愛子さん・・・あと芝野騎手でいいかしら」

「あ、はい」


 愛子が慌てて「こちら、白金ファーム社長の白金裕美さん」と駿馬に紹介する。白金アームの・・・あのグラサン男の上司だろうか。その疑問に答えるかのように「あの、先日は兄が粗相を働いたみたいでゴメンなさい」と頭を下げてきた。まごつく駿馬に愛子が目配せして落ち着かせた。


「ハヤテオウ・・・すごいお馬さんね。ブラックアローは兄がどうしても出すと言って聞かなくて、邪魔をする気はなかったの」

「いえ、そんな・・・」


 駿馬は黙って会話を聞いていた。帰る途中に事情を愛子から聞くと、フラワースマイルをスマイル牧場の借金とほぼ同額で強奪しようする次郎を説得して、正当な値段で取引する運びにしてくれたのが、他ならぬ裕美なのだそうだ。


「裕美さんは兄の次郎さんが放蕩している時に先代のお父さんから白金ファームを継いだの。次郎さんはああ見えても素質馬の目利きとして知られていて、ホースマンの中では一目置かれる存在なのよ」

「それでフラワースマイルをどうしても手に入れたがったのか・・・」

「そうなんでしょうね。まだ口約束だけど裕美さんの提案でね。フラワーをスマイル牧場に残す代わりに、白金ファームの種牡馬に付けられないかって」

「え・・・」

「産まれた仔馬を買い取る前提で、種付け料はフリー。万一、不受胎だった場合も買取り額の3割を支払ってくれると」

「それは良い話ですけど・・・ハヤテにはちょっと気の毒だなあ」


 残りの道中はしんみりとした空気になってしまったが、駿馬は後ろのハヤテオウに心を読み取られないように、無理やり別のことを考えていた。


「(愛子さんの手料理が食べたいな・・・)」

「(そんなにうまいのか。俺にも食わせろ)」

「(お前は馬だから無理だ。カイバでも食ってろ)」


 ガンっと壁を蹴るような音がした。ハヤテオウを怒らせてしまったようだ。愛子が心配そうにするが、運転中なので振り返ることはできない。確かにこんなところで暴れて蹄が割れたりしたら一大事だ。


「(待て、悪かった。カイバの方が美味しいだろうなと)」

「(当然だろ。フラワーから口移しでもらうんだぞ)」

「(お前、そんなことしてたのか・・・)」


 スケベ馬がと心の中で言いかけて、駿馬は無理やり思考を停止させた。口移しか・・・運転中の愛子の横顔をマジマジと見てしまい、愛子に困惑された。



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