第20話 秋野勝利

検量を前にした控室で、駿馬はメインレースに騎乗するジョッキーに一通りの挨拶をした。元の世界でも駆け出しのころは欠かさずやっていたが、そのうち顔見知りがほとんどになり、新人が向こうから挨拶してくる側になっていた。


ちょっと新鮮な気持ちになりながら、ブラックアローの小幡騎手にも「芝野駿馬と言います。よろしくお願いします」と挨拶すると「小幡だ。よろしく。聞いたことない名前だと思ったが、昨日の試乗を見せてもらった。ずいぶん入念に馬場をチェックしていたな」と返された。


そんな、どこの馬の骨とも知らない騎手を観察しているなんて、さすが中央競馬の第一線で活躍していた人だ。いやむしろ知らないから観察していたのかと駿馬が考えていると「おう、知らん顔やな」と斜め後ろから話しかけられた。


「あ、ダッシュマイケルの・・・」

「なんだ知ってるのか。秋野勝利や。名前は秋の勝利やけど、レースに勝つのは秋だけちゃうで」

「はあ。僕は芝野駿馬です。と書いてと読みます」

「本人が馬みたいな名前やな」


元の世界で言う○西弁か・・・調子が狂うなあ。しかし、いわゆるを務めるのは相当に腕が確かでないと、逆に難しいはず。


「おい、今ラビットの騎手か思ったやろ」

「あ、いや、そんなことは・・・」


返答に困っていると、急に顔を近づけて来た。そして右手を口元に当てて「お前は信頼できそうだから教えたる」と声を潜めながら話して来た。


「実はな、本気で勝ってしまおう思てるねん」

「えっ!」

「こら、声がでかいで。内緒やぞ、絶対に言うなよ」


初対面で内緒って言われても・・・わざと誤情報を伝えてあざむこうとしているかもしれないので、話半分として受け止めた。


サンクスギフトの石橋歩ジョッキーは名前の通り真面目そうな人物で、愛子の情報では元RRCのジョッキーであり、第一線をしりぞいてからたまに独立レースに出ている実力者だそうだ。何より前回優勝コンビだから要注意でない訳がない。


そして、13人の騎手に挨拶を済ませて残る一人を探したが見当たらなかった。グランドシャークの騎手、ゲートチェックでもゴーグルをかけて、さらに顔の下半分をマスクで覆っていたため、よく分からなかった。どうせ控室か検量室で挨拶できると思っていたが・・・駿馬には少し不気味な感覚が残ったが、とりあえず切り替えた。


大半のジョッキーはメインまでに騎乗予定があるため、時間と共に控室が静かになって行く。入り口のドアから見て左右の奥にモニターが設置されており、レースを観ることができる。第1レースと第3レースはダート、第2レースは芝でも1200メートルの短距離線であるため、どこまで『ナンデモ電機ステークス』の参考になるか分からないが、レース感が少し薄れているため、できるだけ自分が騎乗しているイメージで観ていた。


第2レースの芝1200メートルはイナカノベルトをそのまま通れる2番の馬が好スタートを切って先頭に立っていた。そしてダイナーレディが教えてくれたあたりを通れる5番の馬は差し馬らしく意図的に少し下げていたが、かなり楽な手応えであることを見ると、やはり恩恵を受けている様子だ。結局、勝馬は直前まで1番人気だった7番の馬が勝ったが、2番が3着に粘り、5番も半馬身差の2着まで迫っており、恩恵はあったようだ。


ただ、ゲートがいきなり向正面にある1200メートルとスタンド側からスタートするメインレースでは勝手が違うので、うまく狙いながら、ただ何よりハヤテオウが道中最も能力を発揮できる位置どりを心がける必要がある。


そうこう考えているうちにメインレースの招集がかかった。「よし、やるぞ」と駿馬は声に出して控え室を後にした。

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