第2話 ハヤテオウ

 格好はレースに出た時のままだった。ステッキだけ無かったが、正直なところ駿馬とハヤテオウにステッキは必要ない。そもそもステッキで叩くことをハヤテオウは嫌がり、デビュー以前には調教助手を振り落としたこともあったほどだ。


「ハヤテ、乗っていいか?」

「(どうぞ)」


 これまで通り左足から鎧に引っ掛けて体を引き上げる。動作の感触は雷で飛ばされる前とさして変わらない。前橋寄りに重心をおきながら、軽く首筋を撫でる。


「(小屋に向かえばいいんだな?)」

「ああ」


 ハヤテオウの方から語りかけてきて、自然に返事をしてしまったが、まだ慣れない。ただ、これまで意思で通じ合っていた気はしていたものの、こうして会話ができることは嬉しかった。


 もちろん色んなことを考えたらキリがない。競馬場はどうなっているのか、調教師やハヤテオウの関係者はどんなパニックに陥っているのかとか。ただ、そんなことを考えてもどうしようもない気がして、とりあえずハヤテオウの感触と心の会話を楽しむことにした。


 ハヤテオウは常歩なみあしから速歩はやあしに移行する。さらに駈歩かけあしになると一気に小屋と風車が迫ってきた。最高の乗り心地だ。なぜこの地に人馬が飛ばされてしまったのかは全く分からない。しかし、ハヤテオウと一緒であれば何も問題はない。少なくとも彼の背中に跨っている時は。


 あっという間に到着すると、駿馬はハヤテオウから跳び降りて首筋を撫でた。気持ちは良さそうに首を上げる仕草は変わらない。相変わらず少し絵的な感覚もあるが、もはや気にしない。


 柵は駿馬の胸ほどの高さで、小屋と風車、さらに馬房らしき建物などを緩やかに覆っていた。また遠くからは見えなかったトラックなどもある。様子を見ているうちにヒ〜ンという馬ならではの鳴き声がすると、ハヤテオウが鼻をひくつかせた。初対面の牝馬に遭遇した時のハヤテオウの癖で、その反応を見るたびに調教師は「良い種牡馬になるな」とゲラゲラ笑っていた。


「ごめんくださ〜い、誰かいますか?」


 反応がない・・・さらに大きな声で呼びかける。すると30秒ほどしてガチャっと小屋のドアが開く音がして、人影が現れた。女性・・・栗色の髪が風になびく、控えめに言っても美女だ。背丈はジョッキーの中では大柄な方の駿馬とほぼ変わらないぐらいだろうか。


 その女性はやや訝しげに駿馬とハヤテオウの方を見ると、少しだけ近付いて「どなた様ですか?」と聞いてきた。言葉もそのまま通じるし、やっぱり国内のどこか田舎の方に飛ばされたのだろうか。それはともかく、どう返答したら良いか咄嗟に考えた。


「あの、ここはどこですか?」

「え?」

「あなたは誰ですか?」


「(おい、突然何を聞いてるだ)」とハヤテオウがツッコミを入れてきたが、女性は少し迷って「えっと」と言葉をつないだ。


「スマイル牧場の平地愛子(ひらちあいこ)と言います」

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