第5話:閑話【基礎魔術学】


彼女が手を翻す。それだけで講義室の全てが彼女の為すがままとなる。


これが基礎魔術の領域である。


「思いを形にする、それが魔術の原初よ。そのままの理屈で考えるなら、今してることは空想の中の“腕”を形にしているってことね」


大きなトンガリ帽子は、御伽噺にでも出てきそうな魔法使いを連想させる。


そして彼女の言葉には貫禄と実感が深く込められている。あの教師はアイリス寮の寮長でもあるのだが、普段はケロッとした態度で指示をしては変に取り繕わないような、良く言えば裏表の無い接し方をしてくれるのだ。


しかし、講義や研究のこととなればガラッと表情を変えてしまう。


彼女の研究領域は『魔力』だ。しかも魔力の可視化だとか、魔力の有効利用だとか、その功績はかなり大きい。


「魔術なんて言葉、ただのトリック。これから先に見なくてはいけないのは、魔術じゃなくて魔力。結果じゃなく、その過程や目的よ。結果は後から付いてくるの」


あの教師は正直に申して、かなり見た目が良い。この学園で目立つ女教師は片手で数えられるだが、その中でも頭一つ飛び出て美しく、豊満な体を持っている。


などと、浮かれた生徒が食堂で囃し立てている場面に遭遇したことがある。


「だからまずは魔力を感じる訓練から始めることにします。大丈夫、まずは古典的な方法から始めるから……失敗する子なんて稀よ」


生徒達は、配られた水晶を一斉に手に取ると、各々の自由なスタイルで力を込め始めた。


力を込めるというのも抽象的だ。要は魔力を込めることで様々な像が映し出されるアイテムなのだが、これを用いて各々好きな像を見ようとしているのだ。


かくいう私も水晶を手に取り、眉を寄せつつ唸っている。


この訓練とやらで失敗しても、つまるところ基礎魔術の成績が悪いからって魔術全般に才能が無いと言い切れるわけではないらしい。


まあ何かしら才能に欠けていることに変わりはないのだが。


「先生! ソフィアさんが水晶の中に都市を作ろうとしてます!!」


「やりすぎだ!!」


色々騒がしいが、私には関係の無いことだ。何せ私には現状何も映っていないのだから。


「あれ、ニアさん何してるんですか?」


サクラの水晶の中には、一輪の花が立派に咲き誇っていた。

そして、余裕綽々といった笑みで私の様子を伺いにきたということであり、つまり会話にも花を咲かせようと言うのだ。


「私は……基礎魔術が、できない……!!」


「え? 急にどうしたんですか? えっとニアさん?」


今にも水晶を叩き割らんばかりの私に、サクラも若干身を引いている。どうした、私が何だというんだ。水晶には何も映らないがそれがどうした。普段の馴れ馴れしさはどこにいったのというのだ。


この手の水晶に変化は現れず、思い思いの像を浮かばせている少年少女に囲まれた私である。


「あらニアさん。大変そうね」


先生が嘲笑うように首を突っ込んできた。その顔は、間違いなく怒りを買いに来ているのだが、これに反抗することはできない。少なくとも私やサクラには。


「例のドラゴン騒動、報告も無しにやり過ごそうとしたこと、忘れないわよ?」


「ち、違うんです先生! その、いろいろあってですね……!?」


色々というのは、ただ忘れていただけなのだが。


水晶そっちのけで弁明に臨む。


「水晶から目を逸らさないように」


萎みゆく花ように、再び水晶へと目を向ける羽目になった。しかし、何度見たって何度魔力を込めたって歪んだ机しか映らない。


すると、唐突に先生の手が頭に乗った。ほんのり暖かい手だと思ってしまった。


「コツ、教えてあげましょうか?」


「別に気にしなくて結構ですから、私は私なりにやりますし」


「錬金術だけじゃ、将来厳しいわよ?」


なに、何故そこでそんな……胸に刺さる言葉を!?


「じゃあどうしろと!?」


「本当に素直ではないのねあなた」


悪かったですね、むしろ他が良い子すぎるんですよ。などとほざいていると、頭に乗っていた手はゆっくりと私の手の甲にまで移動していた。


この先生はかなり顔が良い、女性である自分ですら多少惚気てしまいかねないほどだ。そしてこうにも密着すると、鼻を通しても先生の存在を感じることになる。良い匂いだ。


「肩の力を抜きなさい」


耳元で優しく語るものだから、余計緊張しかねない。いや肩は落ちているが、心臓の鼓動はどこか緊迫としている。下手をすれば、手と手で触れ合っている先生にも鼓動が伝わってしまうほどだろう。


私は集中を欠いていた。


「ほら、水晶の中を覗いてみなさい」


なすがまま、水晶の向こうに映る像を見た。


「どう? 上手くいったでしょ?」


そこには綺麗な像が映っていた。非常に鮮明な像だ。しかし私の意思で生み出されたものではない。


そこには、私の像が映っていたのだ。ただの私ではない。先生によって仕掛けられている格闘技を全て受け、リング上で苦しみもがいている私だ。おい待て、常人なら死ぬ技だ、それは!!


「このクソ教師が!!」


「だからドラゴンと決闘の件、謝罪が無かったこと許しませんからねー!!」


「二度と頭なんて下げるものか!!」


意地汚く笑いながら、私を見下す教師にそう叫んでやった。人を平気で騙しやがって!!


そして怒りのあまり水晶を投げつけるも、先生の魔術によって瞬く間に減速したそれは真っ逆さま、私の頭に落ちた。痛すぎる。


「ニアさん、本当に大丈夫ですか?」


「子供だからって舐めやがって……!」


無性に腹が立って仕方がない、そもそも忘れてしまっただけなのに、いや怒られて然るべきなのだがだからって意地が悪すぎるだろ!?


「あの、ニアさん?」


いつの間にか立ち上がっては、怒り心頭の様子を一切隠さずに私は叫ぼうとした。しかし、現実は小説より奇なりとはよく言ったもので、怒り顔のまま見た光景はあまりに異常だった。


「何……え?」


先程まで平然と授業を受けていた生徒達、その全員が狂った様子で叫び、暴れ、抱きついたり、引っ掻きあったりしている。


ただそれは私も同じだ。水晶の衝撃が平生を取り戻させようとしたが、そんな衝撃を追い越す速度で湧き上がってくるのだ。


それは怒りと悲しみだ。


気付けば私の手が、サクラの首を、強く握りしめていた。

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