第5話:誰そ彼の狂乱 前半
第5話:誰そ彼の狂乱 前半
「誰そ彼の狂乱?」
「そうよ、最近有名な作家の最新作。まだ図書館にも無いわよ」
食堂にて昼飯を貪っていたところ、マリアが一冊の本を差し出してきた。
見るからに値の張りそうな本だ。
なんでも湖の向こう側、アイルズ=アイリーンに住む父親が贈ってくれたらしい。
「誕生日か何かなのか?」
「いや別に、教養として贈ってくれただけね」
これが普通だと言うのか貴様、金銭感覚狂っているのではないか?
にしても本当に新しい作品のようで、施された最新の装丁に凝っている意匠が、モダンを感じさせる。
「ざっと五十クレフって感じですかね?」
黙々と食事をしていたはずのサクラも、たまらない様子で首を突っ込んできた。異世界人、記憶が無いと言えども異様な雰囲気を感じ取ったのだろう。
ただ、食べ物を口に入れたまま喋るのはマナーが悪いと教わらなかったのか?
うん、教わらなかったよね。それは私が悪かった。
「大外れよ、正解はその三倍」
百五十クレフだなんて、城ひとつ買えそうな値段に聞こえてしまう。
いや実際、城ひとつが百桁ぽっちの金で買えるはずはないのだろうが。
「それで、小説がどうしたって言うんですか?」
その問いを待っていたのか、いや待ちわびていたのか、マリアは誇らしげに語り始める。
まず小説の舞台がアイルズ=アイリーンということ。その舞台で錯綜するのは奇怪な殺人事件。そして主人公である自称探偵の魔術師が、得意の魔術力学をもってして事件を紐解いていく。
そんなあらすじだとか。
「へえ、面白そうですね、推理小説ですか?」
「まあね、俗物だと昔なら切り捨てられていたかもしれないけれど、これは歴とした文学なのよ! というわけで、ニアに貸すわ」
あまりにも軽い調子で投げ渡される。
慌ててキャッチしたが、少し本に傷付けてしまったのではないだろうか。
「新手の詐欺か? もしくは嫌がらせか?」
そう言うと、マリアは鼻で笑ってくれやがった。
何だとこいつ調子に乗らせておけば……とにかく調子に乗りやがって。
「別に。もう一冊貰ってるから、そいつをどうしようと私は気にしないわ」
よし、ならばいいのだ。言質は頂いた。そんな私は現金だった。
「あ、でも私よりも先に読まないでよ?」
「何? マリアはまだ読んでないのか?」
「ええ、さっきのあらすじはパパからの手紙に書いてあったのを読んだだけ」
マリアから渡されたと言うのに、マリアは読んでいないだなんて、これ如何に。
「だから勝負よ、先に読み終えた方が勝ち」
つまり決闘の勝負が付いてない分、このような競争で雌雄を決するつもりらしい。
その腹積もりには、突然決闘を申し込まれるよりかは幾分か報われる。
しかし決闘なんて忘れたと思っていたから、意外だった。
「とにかくネタバレは厳禁ね」
軽く了承し、昼食を再開した。
一方、マリアは所構わずという風に早速読み始めてしまった。
食堂は読書するところではないと思うのだがな……あとカップルや仲良しグループがイチャイチャしながら駄弁と惰性で練り上がった『お勉強会』というものを開く場所でも、ない。
視界の向こうには、そんな集団が見える。
プロテア寮の日向側に存在する奴らなのだろう。
それに比べこっちはどうだ、凸凹すぎて影すら輪郭を捉えていない。
「どうしたんですニアさん、遠くの方を見て」
「いやね、どうして私は今の状況に落ち着いてしまえるんだろうって、改めて危機感を抱いていたんだ」
「可愛くないですね! もっと喜んでくださいよ、一緒に居られること!」
「うん、うん……ありがとうだから太ももに回されたイヤラシイ手を放してくれないかな」
思えばサクラも欠陥だらけだ。一度決めたことは意地でも曲げないし、何より下心が凄い。正義感だとか友情の話が無かったことになるくらい、頭の中までピンクなのだ。
残念だ、黙っていれば可愛いよねぇ〜って教室の後ろから言われてしまうあれだ。
いやあれは実際黙っていたとしても別に可愛くないブスなのに、女子達が優越感に浸りたいがため褒め言葉のような嘲笑いを向けているだけなのだきっと。
何言ってるんだ私は。
まあ、サクラの場合の“黙っていれば可愛い”は本当かもしれない。
「はっはっは、可愛い奴め」
抑揚の無い声でそう言った私の顔は、作り笑顔でいっぱいだった。
「そうですかね、私なんて全然、ニアさんの方がもう……ですよ! すぐ離れますから!」
ニアさんの方がもう何なんですか!?
それに結局、しどろもどろなまま手を放してくれていないじゃないか。
サクラについてだが、ここで意外と気になるのが自尊心の低さだ。今はまだ謙虚で収まる姿勢なのだが、たまに卑屈とすらとれる言動が目立つ。行動力も意見も十分に持っているのに、そこが欠けているせいで損をしてしまっているような気がする。
「うん、君は本当に自尊心の塊だね、ニア君」
そろそろ来るだろうと思っていた。
イロハ先輩が背後に立っていたのだ、この曲者め。
やはり学園のセキュリティーは見直されるべきだろう。
「何故、不審者を見るような目なんだい?」
「実際不審だし、不信の対象ですよ」
「そりゃまた評判は不振だね、ニア君」
のらりくらりとは先輩のことを指すのだろう。私の言葉を何一つまともに受け取っていなさそうな先輩には毎度拳が出てしまいそうだ。いや、未だ出ていないだけで奇跡なのではないだろうか、これ如何に。
それに、いちいち上から目線すぎるのだ。
「上から目線なら君も一緒だろ?」
「んな、一緒にするな!」
「いやあ、君にそんなこと言われたら悲しいよ。君は覚えてないのかい。上から目線クラブの会員第一号は僕で、第二号が君だったということをさ」
「あーもう、君君君君うるさいな! 気味が悪いですよ!」
もしや今日は言葉遊びが流行っているのだろうか。
だとしたらなんと下らない流行だろうか。
と言うかそんなクラブに加入した覚えは無い!!
「じゃあ、僕は流れるように去るね。欲しいものも手に入ったし」
そう言うと先輩は軽快なステップを踏み、流れるように去っていってしまった。
一瞬のはずなのにドッと疲れた私は、再びサクラの方へと顔を向ける。
だがそこで立ち上がっていたはずのサクラの首は、ガクッと前へと折れて……つまり居眠りだ。
完全に眠りふけている様子だ。
ここまで来ると下心とか欠陥とか持ち出す以前に、ただただ野生的なのではないだろうかと表現してしまいそうだ。
腹を満たしたら寝る。それが獣の醍醐味だろう。
って、私は一体何を思索にふけているんだ。
試しにってつもりでもないが『誰そ彼の狂乱』を手に取る。
ずっと思っていたのだが、この背中が痒くなりそうな題名はなんなんだ?
作者の趣味なのだろうか、もしくは物語中で重要なキーワードなのだろうか?
小説を読んだ経験は多いわけではない。これまで私が読んできたのは図鑑とか学問とかの分厚い奴らばかりだったのだ。
思うにフィクションを避け続けていたのだろう。一番懐かしいのは父に読み聞かされた御伽噺だ。英雄だとか王様だとかが、竜に悪魔に災害から人々を救う話。
父は憧れをもって私に語ってくれていた。実家に貯まっている本の数々は、全て父が蒐集したものだった。それがなんと言うか、とある事情で売り払うことになったのだ。母の判断で、まずはフィクションや夢物語の類から捨てるように言われたことを鮮明に覚えている。
まあそれもあってか、俗っぽくて贅沢なだけのフィクションに触れる機会は減ってしまった。別に恨んでなんかいない。ただ、嘘で夢で理想のような、世界に遍くフィクションの全てには、避けようもないほど父の面影を感じてしまうのだ。
それが時に辛いのだ。
私は何のために学園に来たのか、忘れてしまいそうなほど日々は忙しくて騒がしいが、よくよく考えれば親不孝者である私が何を学び何を得ようとも、結局親に返せるものなんて無いのだ。特に今の家族には。
「なんだ、私の方が卑屈じゃないか」
小説を読み始めると、意外と手を止められなかった。なんやかんやで昼休憩の時間ギリギリまで読み続けてしまった。
ところで私達は何か忘れてしまっていないだろうか、そう、勝手な決闘を開いたことを寮長に釈明しなくてはいけないような。
なるほど、時計を見れば数分も経たずに次の講義が始まる。
寮長が私達へと宛てた通達には、今日の昼休憩中に全て済ますと書かれていた。なんとありがたい言葉だろうか。
実際、決闘をして損害を出して、ドラゴンと相対したのだ。それほどのビッグイベントを学園内で引き起こしておきながら昼に状況を報告するだけで済ましてくれるなんて、当時は心の中で深く感謝したものだ。
私達は否応がなしに走った。次の講義が寮長による科目であるが仕業か、腹痛に襲われながらも逃げるように走った。
いざ対面したアイリス寮長は、基礎魔術学の教師である彼女は死神のように冷酷な口調で反省文の提出を宣告してきた。普段は優しそうな先生なんです、ただ怒らせすぎたようなんです。
そのまま気まずい空気はもつれるように講義の時間へ、私達は講義室へと流れ込む。
全くイカれた運命なのだろう。次の科目も基礎魔術学だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます