第4話:九ページ

第4話:九ページ



熱い。またそんな導入でネタが尽きたのか? いや熱いんだ。暑いのか、篤いのか分からないが、熱くて堪らない。


ニアさん、顔を上げてください。そんな少女の姿が目の前にある。ぼんやりとしていて、断定はできないが、やはり美しい桃色の髪を見ているのだ、私は。


それは少女の後ろ姿だった。私に降り掛かろうとする災いを切り裂くように、防波堤のように、もしくは城のように立ちはだかる。


ダメだ、またお前に傷を負わせてばかりなのはダメだ。やめろ、私を追い抜くな!!




「——だはぁ!?」


勢い良く目を覚ますと、そこは見知らぬ天井だった。


「あらニア、目を覚ましたの?」


胸から足の指先まで、暖かい毛布に包まれていることを感じる。

隣を見れば同様のベッドが何台も置かれていて、どれも質素なデザインだ。

いやそれも当たり前か、ここはただの医務室なのだ。

すぐ近くの椅子にはマリアが座っていて、目覚めた私と目が合う。

マリアは、手に持っていた本を閉じる。


「おいマリア」


マリアのすぐ脇には時計が置かれていた。

学園の時計ないし備品は、優劣の激しい品ばかりだが、ここに置かれているものは優れている方なのだろう。

私は、自分が何時間寝ていたのか察した。


その間、マリアは律儀に座って待っていてくれたのだろうか。

だとするなら実に微笑ましく、実に感慨深く、そして実に喜ばしい。

しかし、そんな要素をひとつも含まない私の声が、マリアを捉える。


「な、何かしら……?」


明らかな苛立ちを見せつけつつ、睨むようにマリアへと投げかける。

本質的には嘆きかけているのかもしれない。

ともかく今は、釈明か謝罪のいずれか、もしくは両方を必要としていた。


「何故、私を置いて行ったんだ! あの地獄のような……地獄のような……!!」


思い出そうとした瞬間、この温かなベッドが不快極まりない拷問器具に切り替わってしまった気がした。

しかし、話は私が眠る前までさかのぼる。


私や異世界人(仮)が、医務室を訪ねるところまでだ。




二人掛かりで気絶した少女を抱えて廊下を急いでいくのだが、私だって重症の内に入っていたのか足取りが重くなってしまう。


「私もキツくなってきた。頼める?」


言葉も交わさずにマリアは少女を背負い、私に肩を貸す。

私としては不満でもあるのだが、仕方なく肩を借りたのだ。


「感謝しかない、ありがとう」


まあ言葉だけだ。感謝に実情など含まれていない。

しかしマリアからの返事も無いため、私が空回りしたみたいで恥ずかしい。

ふとマリアの顔を見れば、二倍の負担になったことで会話どころではないほどの心労を被っていることが理解できる。


少しだけ、足に力を込めてしまった。想像通り、痛みが体を伝播していく。


すると突然、マリアからの引く手が強まる。私は力無く、浮遊感を得てしまうのだった。


そして暫くもせず辿り着いたのが、学園で唯一の医務室である。


「先生! 医務の先生はいらっしゃいませんか!!」


戦場ほどではないが、命に関わるのだから声も焦ってしまう。


扉の向こうから返事が聞こえてくる。


「はいはーい、ちょっち待っててね!」


少し古臭いような気がしなくもないが、間も無くして扉が開く。


私の初めて見る教師、医務担当の人間と御対面だ。


「あらら、怪我人というか重症人じゃないの」


冗談のように語る教師だが、その容姿は想像していたものとは全く違った。


そもそも想像なんて何ひとつ持ち合わせていなかったのだが、あまりにもインパクトがあったのだ。


「どしたのボッーっとして、歩けないの? じゃあ勝手に運んじゃうよ?」


その教師は指先をクルッと回す。すると私達の体はみるみる内に宙へと浮かび、医務室内へと移されていってしまった。


浮遊する私達の最後尾には教師の歩く姿が見える。しかしやはり信じられない。


話には、医務担当の教員はひとりしか居ないようだったし、それだけでも世界最高峰の治療水準を保っているのだと言われ、どれほどの賢者でもいるのかと思っていたら。


まさか、全体的にピンクばかりの服装で身を固め、美しい金髪を腰まで下げた謎の美少女が出てきたのだ。


私なんかよりもよっぽど幼い。


空中から見ているだけでも、嘘みたいに幼い。


そして指先ひとつで簡単に人間を浮かせているのだから、余計得体が知れないのだ。

しかも本人は何の意識も向けず、歩きながら棚を整理し始める始末である。


「あの、私達はどこに?」


聞いてみるも反応が無い。

音量を上げて再び問いかける。

それでも反応が無い。

何度もしつこく問いかける。


「うっさいな! 無視してんの、わかんないの?」


思わず苦笑してしまった。救いを求めに他二人へと視線を向けるが、片や気絶したままなのと、もう片方は空中浮遊が心地良かったのか眠ってしまっている。


この状況で寝れるなんて、マリアはなんやかんやで図太いようだ。


「じゃ、治療開始しま~す!」


突然、晴れ晴れとした笑顔で告げる幼女の手には、謎の巨大ノコギリが握られていた。

治療というものを辞書で引き直してこいと私は、って、なんだあれは!?


「久しぶりだから頑張るわね」


振り向いた先で、異世界人(仮)が十字架に磔にされていた。

そして、無防備な少女へとノコギリの刃先を向ける幼女という構図だ。


私は痛む体を更に痛めつけ、浮遊魔術を振りほどき十字架へと走り抜ける。


もしかして猟奇殺人犯ですかと滑り込みの妨害を食らわした。


「痛っ! 何すんのよ折角バイオレンスな治療をしてあげようとしたのに」


「殺そうとしてるだろ!?」


「殺さないわよ! いや確かに死ぬかもしれないけど、そうしてこそ魔法による治療は本領を発揮するの!!」


まずはノコギリを振り回しながら雄弁するのをやめてほしい。


「ま、魔法?」


「ええ、魔法よ。治癒魔法と仮称しているの」


幼女が語ったのは、自身の扱う魔法についての説明だった。

曰く、幼女の魔法は欠損した部位や臓器まで回復させる魔法で、まさしく魔術を超えているのだとか。


「もしかして魔法そのものが初めましてちゃん?」


「ち、ちゃん?」


「まあ緊張しなくてもいいじゃない、私に任せておけば百人力!」


「でも、その魔法と十字架はなんの関係が?」


「ああ冗談よ、信じちゃった? 残念でしたー!!」


普段の私なら、ここで幼女を殴っているところだった。

ただ、冗談と言いつつもノコギリを握る手が放されないことや、そもそも直前の幼女の表情が冗談とは言えないほど嬉々に満ちていたものだった為、下手に手が出せなかったのだ。


「え、ところで勘違い赤髪の姫である君は、見るところ骨折と内出血と……うん、よく立ってられるね!」


「そんなに酷いのか、私は」


「今にも解体しちゃいたいぐらいね」


冗談でもやめてくれ、いやだから顔が冗談ではないのだ。


「向こうでまだ寝てる奴は疲労だ」


「魔力の損耗を重ねちゃったのね。まあ、安静にしとけば大丈夫でしょうけれども」


いちいち言い回しのくどい幼女を相手していると、激しい魔力の損耗以上に疲れてしまうところがある。


「でもやっぱり、こっちの桃色少女は内も外もボロボロで酷いわね」


セリフに対して、表情が明るすぎるのが不安だ。


「何をしたらここまでボロボロになれるの? ドラゴンとでも戦ったの?」


何故それをと言いたくなるが、どうやら独り言だったようだ。


見たことある魔法使いなんて学園長と魔術基礎の教師しかいなかっったのだが、今回でそれは更新された。

そして今後、仮に魔法使いと出会うことがあっても、私は極力接触を控えることにした。私の中での魔法使いの株は、現在大暴落中なのだ。ここまでくると、魔術基礎の教師すら怪しく見えてきた。


真面目そうな人ほど、根は酷いと言うもんな。


ん? それで言えば、学園長と目前の幼女は見た目も中身も酷いことになるのか。


「あ、君もしかして私の悪口考えてない?」


「そんな滅相もないこと、まさかぁ」


「う~ん、じゃあ君は手術台行きかな!?」


「しゅ、手術台!? え? 私死ぬの?」


気付けば、私の体は再び宙に浮かんでいた。どんなに足を振っても床は離れていくばかり、みるみる内に加速していけば、あっという間にとあるドアを通り抜けてしまった。


そこで視界に広がった景色は惨状だ。


「うう、バイオレンスだ」


固まった血がこびり付いたまま、どれだけ放置されているのか分からない機材と共に転がっている。カビは至る所に発生しており、全体は腐敗臭で満たされている。


部屋の中央には、錆ばかりのテーブルが置かれていた。その四方には拘束具が設けられており、よく目を凝らしてみれば誰のものかも分からぬ手痕があるではないか。


隣の幼女がセット云々、美術担当を雇った云々言っているが、全部耳を通り抜けてしまった。


ゆっくりと私は手術台へと近づいていく。張り裂けんばかりの声を上げるが、全て部屋に反響し虚しく返ってくるだけだった。


「こんなことならドラゴンの餌の方がまだマシだった!!」


私は宙で暴れ続けると、ふと開いた状態の扉が視界に入ってきた。

そして私は驚愕する。

目を覚ましたのだろう、マリアが恐る恐る室内を覗き込みながら私を見た途端、顔を下げたのだ。


「マリアぁあああああ!!」


テーブルに拘束された私は、そのまま気を失ってしまった。


お陰で地獄のような体験を記憶しなくて済んだのだ、きっと、私は報われたのだ。

そうでしょう神様? 私の祈りは届きましたか? まだ足りないですか?


だったらくたばりやがれ!!


沈む意識の中、この世全てを恨む私だった。




「いや、あの先生の売りはそこなのよ」


「何を言ってるんだ!? 危うくトラウマだぞ!」


実際トラウマだ。

ベッドにて目覚めた私は、早速マリアへと突っかかっていた。


「落ち着きなさいよニア、それより体調は大丈夫なの?」


息を吸い、肺の動きを感じる。

肩はよく回るし、腰も正常に曲がる。

背中に迸っていた痛みや、足を支配していた強烈な不自由感も綺麗に消え去っている。

お陰様でピンピンだった。


「何時間も睡眠していたからな」


「それは間違いね。アンタのそれはショックによるただの気絶だもの」


つまり、幼女による治療は完璧だったばかりか、何時間も寝ていた私がアホだと言いたいのだろうか。いやそうに違いない。


「ちょっと怒んないでよ、よく寝てスッキリしたでしょ?」


「いや、それどころか悪夢を見たね、とんでもなかったよ」


「悪夢? まさか拷問の夢とか?」


冗談だとしても言っていいことと悪いことが……いや、何の夢だったのだろうか。


「そうだ、桃色の——」


「呼びましたか!?」


少女の声が聞こえた。

ドラゴンとの戦いでは身を削り続けてでも戦いをやめなかった少女だ。

その前の決闘だってかなり危険だったと言うのに、それでも無茶なことしかしない少女。

てっきり幼女の治療の餌食となって寝ているかと思ったが、寝込むほどの治療じゃないと言うなら起きているのだろう。

恐らく治療の後は私よりも早く目覚めたに違いない。


そんな少女の声が、どうして私のベッドの中から聞こえるのだろうか、はて?


「ちょ、ニアさん、蹴らないでくださいよ……!」


言葉では否定しているが、その口調はどこか世論でいるようだった。


「何故私の布団の中にいるんだ!!」


跳ねて起き上がろうとした私だったが、少女の手によって足を掴まれてしまう。


「やめろ! はーなーせ!!」


抵抗も虚しく、見た目以上の筋力が私の逃亡を阻止した。


「放しませんよ! さあ再びベッドに潜るんです!!」


マリアに救援を求めるが、彼女は座りながら爆笑し続けていて相手にならなかった。


「何笑ってるんですかマリアさん! 次はあなたですよ?」


しかし、その一言によってマリアの顔も凍りつく。

あの顔は手術室前で私から目を逸らした時と同じ顔だ。

今度こそ逃しまいと、私は足元の少女へと呼びかけようとする。


だが名前が無いせいで言い淀んでしまうのだ。

それが恥ずかしくて、私も目を逸らしてしまった。


すると唐突に、少女は手を放しベッドから降りる。

合図も無しに放されたせいで、流れるようにベッドへと倒れ込む私と、そんな私に背を向ける少女。


背中越しに少女が語り始めた。


「ニアさんが寝てる間、マリアさんと少し話したんです」


「話した?」


私の疑問に軽く肯定の意を返すと、少女はマリアの名を呼んだ。

マリアは私に見えるよう、抱えていた本を示す。


「私がさっきから読んでた本、これは植物図鑑よ。極めて簡単なものだけれどね」


精々有名な品種や、その概要と図解、あとは一般的な花言葉くらいしか載っていないのだろう。

意外にも読書家だった私からしてみれば、本の装丁を見るだけでも程度が察せてしまうものだ。

それでも決して少ないとは言えない労力と、誰かの人生を削いででも作られた時間が詰め込まれているのだろう。


「そこに載ってた植物のどれかにしようかなって考えてます」


「お前良いのか? そんな適当で」


「マリアさんから、異世界人は花の名を冠するのだと聞きました。私の寝ている間のことも色々と」


魔女のことも含むんだろうか。


「いくつか見繕ってまして、最終決定はニアさんにお願いしたいんです」


「なんで私なんだ、責任が重すぎるぞ」


それになにかと、少女は私に依存し過ぎている気がするのだ。


「お願いできますか?」


桃色の髪を靡かせ、どこかで見た肖像画のような凛々しさで振り返る少女は、振り返った後、優しく微笑みながら切に尋ねてきた。


ボロボロに戦ったはずなのに、火傷と出血まみれのはずだったのに、何故か鼻をくすぐるのは甘い香りだ。


同性なのに、それを意識してしまうほどだ。


私は俯いて集中する。しかし、そういう時に限って集中は無心を招く。何一つ、上手い言葉も見つからないまま、押し黙った時間だけが過ぎていく。


先に折れたのは、私だった。


「本を……見せてくれ」


先程見た幼女のそれとは違い、爽やかで晴れ晴れとした笑顔を浮かべた少女は、マリアに本を渡すよう催促した。

そして少女は、自身が注目しているページを指差しながら教える。


「はい、そこの……九ページです」


本を触った時、埃っぽくて仕方なかった。

開こうとしても、案の定細かい埃が舞うのだ。

白いベッドを汚さまいと本を動かすが、それが余計に埃を生んでしまった。


「九ページ?」


「はい」


いくつかの節に分かれているらしく、全てで十三節ある植物図鑑だった。図鑑なのに節とはこれいかに、と言いたくもなるが、どうやら神学的部分で植物を紐解く本らしい。

だから図鑑らしくないと思ったのだ。


要所要所には筆者の私見や、名も知らぬ叙事詩の引用などがされており、かなり熱心に書き込まれた本だというのが分かる。


そんな中でも直前に捲られているページは、まず目次と……指定されたページだけだった。


この部分だけ埃が少ないのだが、言い換えればここしか読んでいないという意味だろうか。もしや、適当というのもあながち間違いではなかったのか?


「これか?」


「それです」


私は、ある節の内の九ページへと目を通す。


見出し曰く、その植物はかつて、その美しさ故に神々が奪い合い、殺し合ってまで求められた植物らしい。現実的な参照もされており、貴族達は古来から狭い地域に絞って植林を行ってきたり、その植物が自然に群生しているだけで拠点を変えたりなどしていたらしい。


神話とはそれらの歴史より更に昔から存在していたのだが、少なくとも時代を超えて同様の扱いを受けてきた植物なのだと言う。


「サクラ」


「はい!」


私も名前くらいは聞いたことがある。

あいにく見たことはないが、有名な植物だった。


「サクラって——」


「はい?」


「いや呼んでないから!」


少女は、もう決まった気でいるようだ。それほど気に入っていたのだろう。

私だって彼女の桃色の髪を見れば納得がいってしまう。


「でもサクラって、木の名前じゃないのか?」


「え?」


別に花ってわけじゃないんだよな?


「な、何を言ってるのよニア、そんな残酷なこと!」


これには、きっと同ページを読み込んでいたのだろうマリアも、思わず横から驚きの声を漏らしてきた。


「しかもサクラって一括りに言っても、色々あるだろ? ヤエザクラとかソメなんとかだったり、この本がサクラを一括りにしてるだけでさ」


マリアは驚きのあまり開いた口を隠すため、大げさに両手を口の前で抑え始めた。


そして肝心の本人はと言うと、反応も無いまま固まってしまったようだ。


「あ、えっと皆さん?」


まずい事をしたかもしれない、と自責の念に駆られる手前、少女が動いた。


「で、でもこの図鑑には書いてありますよ、サクラと」


別にサクラも間違いではい、そう訂正しようにも遅い気がした。


「図鑑と謳っているが、この本の内容はほぼエッセイだな」


遂に本を投げ捨てようとし始めたので、私は咄嗟にそれを止める。


「でも! たしかに書いてあったな、うん!」


「そうですよね!!」


それは間違いないのだ。サクラはサクラなのだ。

曖昧だろうと不明瞭だろうと、下手にこだわる意味があるのだろうか?

否、そんなものにこだわっていては、いつになろうと学園を卒業できないままになってしまう。


「じゃあニアさん!」


「ああ、いいんじゃないかな、サクラで」


結局、一番私が適当になっている気がする。

いや、もとより彼女達は本気でしかなかったんだ。


サクラとマリア。

二人のような存在が今後、私のような偏屈で批判屋でしかない変人に現れてくれるだろうか?

私はどれほど細い運命を辿って、今を得られているのだろうか?

幸せというには程遠いが、退屈というには刺激的過ぎる。

なんてったって、ひとりは異世界人なのだ。

それで平凡を語るなんて、あまりにも贅沢すぎて堪らない。

そして、ままならないからこそ、上手くやっていけそうな気がするのだ。


巡ってみれば、全て偶然だったのだから……




「僕はそういうの、嫌いだけどね」


突如、医務室に届いた声が私達を震撼させた。

一斉にドアの方へと振り返ると、そこに居たのはイロハ先輩だった。


とにかく整った顔立ちで、絹のような黒髪を短く伸ばし、悪評と冗談ばかりが独り歩きし、結果本人は神出鬼没のまま。


散々あの先輩には手を焼かされてきた。それは今だって忘れるわけじゃない。それに半ば冗談交じりなのだから、気にし過ぎている訳でもない。


ただ今は、今この瞬間の先輩の顔だけは、あらゆる言葉を押し殺せる顔だった。


それは、無邪気さなどカケラもない能面に、悪意という悪意を塗りたくったような顔だ。


扉から差し込む夕焼けの光が逆光になり、顔以外を黒く染め上げる。


だが顔だけは見通せた。


無情にも美しい顔が、余計に残酷さを助長するのだ。


「イロハ……さん?」


「ただの先輩で良いって、初めましての時に言ったよね? サクラ君」


サクラの口は、それだけで閉じられてしまった。

そして先輩は歪んだ顔のまま、言葉を続ける。


「決闘の決着はついたのかな?


ドラゴンはどうだったかい?


異世界人との交流も捨てがたいね?


この数時間、もしくは数日間で色んな刺激を受けたみたいじゃないか、ニア君」


先輩は、一歩一歩と距離を詰めてくる。

サクラがそれに警戒し、少し腰を落としては構え始める。


「そうそう、嫌いだって話だったね。ごめん僕としたことが自分で振った話題を忘れてたみたいでさ」


小さく嗤いながら立ち止まり、先輩は右手を肩と水平になるように構える。

その体勢には、流石のマリアも固まって居た体を震わせ、立ち上がってはサクラに並ぶ。


「嫌いなんだよ、そういうの」


くどいからさ。


と言葉を繋げた先輩は、伸ばした右手の人差し指だけを残す。


「何が偶然だ、笑わせやがって。全部運命だとしたらどうすんだよ。手繰り寄せたつもりの糸が、全てレプリカだったらどうすんだよ。そんなの、現実を現実と見れてない奴と同じだ。僕は——」


右手がゆっくりと動き始める、遅々として回転する肩、右手は、少しずつだが私の方向へと動いている。


「僕は、少しでも過ぎ去った記憶を偶然と置き換えるような奴に一個だけ問いたいんだ。童話とか叙事詩とか出来の良い伝記と同じで、いつまでもそうやって主人公ぶったままな奴に問いたいんだ——」


指先が、完全に、私を捉えた。




「誰かの美しい思い出、一ページ、青春、前例、経歴、歴史、叙事詩、伝説、神話、そしてフィクション……自分の人生が誰かの昔話に成り下がっちまうなんて、最高のハッピーエンドだろ?」




夕日がどんどん沈んでいき、この部屋の明るさも落ち込んでいく。

完全に陽の光が失われたと思った瞬間、魔力によって動かされる灯籠へ、一斉に光が灯った。それが眩しくて瞼を閉じてしまいそうだったが、私はイロハ先輩を捉える目を離せなかった。

とっくに寮に帰ってなくてはいけない時間だ。


次の瞬間、イロハ先輩の顔色が急変する。


「なーんてね! びっくりした? ドッキリ大成功ー!!」


いつもの調子、という奴だろう。

前方の二人も拍子抜けしたように息を吐く。


「それにしてもドラゴン退治おめでとう。君達、とっくにドラゴンキラーだとかスレイヤーだとか呼ばれてるよ?」


そう語りながら握手を求めてくる先輩に、渋々手を差し出した。

力強く握った後、先輩は勝手に私の指を折り畳み、そして手を放す。

流れるような動きだったせいで、他二人は気づいてもいないようだ。


「ドラゴンスレイヤー?」


マリアが覗き込むように尋ねた。


「そうそう、まあいずれ定着するでしょ。その時が楽しみだね」


髪を弄りながらそう言う先輩に、私からも疑問をぶつけた。


「ちなみにイロハ先輩、消灯時間どうしたんですか?」


「あー、そうだった。それが本題ね。寮長から皆を連れ帰ってくるように頼まれたのさ」


「先輩が?」


「なんだその心外そうな顔、僕だって頼まれ事ぐらいするやい!」


「可愛こぶらないでください」


辛辣な私に対して、先輩は口笛で返した。


そんな先輩を先頭に、私達はアイリス寮へと戻るのだった。


途中、サクラが小声で聞いてきたのだが


「さっき先輩に可愛こぶらないでって言ってましたけど、先輩と私ならどっちが可愛いんですか!?」


とのことだったので、今日私に何も手を出さずに寝てくれたら教えてやると答え、事なきを得たのであった。



それにしても、医務室にて最後、イロハ先輩に握られた手を見れば、あからさまに謎の数字が書かれていることが分かる。


しかも拭いても落ちないし、まずインクとかいう問題じゃなさそうだ。


謎の数列と睨めっこしながら、その日は眠りについた。いや、結構寝てたから意外と眠気に襲われなかった。


ふと、窓を見た。


月が雲に隠れてしまっていた。けれど一望できる湖は、隠れもせず、能天気に溜まっていた。



おやすみ、サクラ。


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