第8話 メロンと蜜柑
セツナさんがそう言い終えた時だった。
本棚の向こうから、人の動きが感じられた。ソファー席から立ち上がって、本棚のほうを見ると、ひらひらした影が二つ見えた。
全身アンティーク風のお嬢様女装さんと、淡い青色のニットワンピースの子二人が、談笑しながら本棚のフロアに入ってきた。
二人が通ろうとするところにいた
男たちは皆すぐにスマホをいじりはじめた。
「フルーツだ」
セツナさんが見たこともない表情になった。
「あのお姫さまみたいな子が、メロンちゃん。大人の女性を意識しているほうが蜜柑ちゃん」
「あ……そうですか……」と言いながら、私は目を凝らした。
年齢的にはビールさんと近い気がする。
本人であるようで、ないようで。
二人が歩くと、胸の開いたワイシャツを着た日焼けした男や、黒いTシャツを着た痩せすぎの二十代くらいの男性らが後を追って、そっと歩いていく。
三、四人が追いかけていく一番後ろから、しばらく姿を消していた大男があらわれた。
「あいつもかい」
セツナさんが真顔で言った。
大男は照れた顔で「あ、いや。メロンちゃん久しぶりに見たなぁって」と頭を掻いていた。
「どうせ喫煙ルームの前でしょ」
本棚の森を抜けてさらに最深部。そこに喫煙所と自動販売機が一体になった一角があり、女装さんのたまり場になっていた。私達のいるソファー席よりも椅子の数が多く、普通に談笑ができる場だ。
目をらんらんとさせた大男が先頭を切り、セツナさん、私と続いていく。
メロンと蜜柑は座って談笑していた。
男たちがそれを取り巻いて、黙って話を聞いている。
ニコニコしている男たちの輪にさりげなく大男も混ざっていた。
メロンと蜜柑の会話は他の女装さんのゴシップで、内容がさっぱりわからなかった。頭にまったく入って来ないのと、声の調子で、二人はビールさんではないとわかった。
背の低いおじちゃんが話に入ろうと、「あーあーあ」「いぇーえーえー」と相づちを打つ。
二人からはまるで空気のように相手にされない。
「あーお腹すいたー。コンビニでハンバーガー買ってきてよ」
「なんで私が行かなきゃいけないのよ」
メロンと蜜柑が少しでも笑うと、男たちもあわせて笑う。
大男が話を聞くことに疲れてきたのか、ふと私のほうを振り返った。目がいつもより大きかった。ちょっとだけ手招きして、輪の間にスペースを作った。
「ほら」
と、セツナさんが背中を押した。その押し方が以前よりも優しくて、触り方が少し深くて、男だなと思った。
私が前に少し出ると、蜜柑と目があった。空調がしっかり効いた室内ではあったが、蜜柑はワンピースに似つかわしくない扇でずっと顔をあおっていた。アイコスの煙を口から吐きながら、私のほうをいきなり睨みつけた。
口の端を少しだけ吊り上げた、わざとピクピクとさせたような、苦虫を嚙み潰したような顔を何度もした。
メロンが「なんなのその顔」といじると、輪の男たちが笑った。大男も、もちろん美女装二人に対して笑顔を作っていたが、なぜそんな顔をするのか理解できていないようだった。
「君のほう見てなかったか」
大男が少しかがんで私に話しかけた。
私は二人の女装さんの顔をまだ凝視していた。可能性がゼロというわけではないからだ。
メロンも蜜柑も化粧がとてもうまく、私にはできないレベルだった。ファンデーションが浮き上がった感じがなくて、うまくなじんでいるし、素肌のようだ。アイシャドウが自然で、小顔に見える。
ビールさんは、朝方になると太いヒゲがほんの少しだけ、毛穴に残っているのが見えた。前の二人はレーザー脱毛でもしたのか美肌だった。二人とも、手の大きさを隠すように袖を長くしていた。
足を組んで座っているメロンは、上になっているほうの右足の位置が高かった。ドレススカートが横に広がっているのが、男くさく見えた。服装の割に、女性になり切っていない気がした。
「でもさー……さん、夜中に起きてさー、お腹すいちゃってさー。ラーメン行こうって。そのままラーメン行っちゃったからね」とOLを意識したトーンで蜜柑が言う。
「あの時間に開いてるところあるの?」
メロンは上品に手で口元を隠した。袖のレースが艶やかに揺れる。貴族のように笑っている。私は話についていけずぼんやりしていた。大男の顔を見ても、口元だけ笑って直立不動だった。
女装業界の先輩から夜中にラーメンを食べに誘われただけの話題で、二人は何十分も話している。どこが面白いのだろうか。
取り巻く男たちは、うろうろ彼女たちを遠目で眺めたり、スマホを見るフリをして彼女らを撮影したりしている。
時々蜜柑が目を吊り上げてこちらを睨むので、先輩の名前とかが頭に入って来ない。その先輩が、私の探し求める人かもしれないのに。
突然、後ろから肩を掴まれた。
振り返ると、セツナさんだった。目が真剣で、スーパーで物色する厚化粧したおばあちゃんに見えた。
「あんた、ちょっと連れション行きましょ」
「え」
服を引っ張られて、私は取り巻きの輪から外れた。
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