第7話 本物の女の子

 大男も、セツナさんも、普段何をしている人なのかまったくわからない。

 彼らは、毎週土曜日のお昼に来て、自分を相手をしてくれる女装さん、純男さんを探している。

 純男は「すみお」と呼ぶらしい。異性装していない男性のことをこう呼んでいる。


 女装の場では、純男すみおさんはガツガツナンパすることが大事なのだ。女装さんはやっぱり綺麗であることを指摘されるとクラッとくる。出会いの掲示板では必ず自分が純男すみおなのか女装なのか示さないといけない。


 大男は、片っぱしから女装子に話しかけていた。「お話しませんか」が口説き文句だ。

 私は上階からビールさんの面影をずっと追っていた。

 セツナさんはナンパされて、自分と同い年くらいのおじいさんと一緒に個室へ行ってしまった。

 

 大男が肩を落として私のそばに来た。上階からの男同士の絶景を見下ろしながら、小声で会話した。

「君、普段何してるの?」

 大男のほうから踏み込んできた。私は居酒屋でバイトして、だらだら実家暮らしをしていることを言った。

「なんだ、独身?」

「独身ですよ。どう見ても。既婚でこんなところいる人いないですよ」

「独身でもいねーよなあ」と、大男はできるだけ声を抑えながらケラケラ笑った。


 大男は会話し始めると、早口で止まらなくなる。

 私はビールさんを探すことに集中しつつも、必要なことを聞いていく。

「そういうあなたは独身なんですか?」

「それは教えられないな」

 少しムカッとした。

「まあー、この業界、昔は副業でもあったんだけどね。今は引退。普段はリーマンだよ」

 結構先輩面する話し方だった。「業界」ってなんだろう。

 そこで会話は一旦途切れた。が、この大男、少しは何か知ってるかもしれず、私はできるだけ細かくビールさんと出会った時のシチュエーションを話した。


「あー、あの公園かあ。昔は出入りしてたけどなあ。八木君たちいた?」

「八木? たち?」

「ああ、そう。八木と……あと誰だっけ。まあ八木君が中心だよねぇ。まー、君の話じゃ、そう深入りはしてなさそうだからね」

「八木がビールさんの本名なんですか?」

 私は身を乗り出して聞いた。大男のほうから汗臭い臭いが漂ってきた。

「いや、違うよ。でもビールさんって子は、たぶん、八木君の子だろうね」

「その人がパートナーなんですか」

「うーん……まあ」

 大男の、もうこれ以上聞かない方が良いという顔に腹が立った。

「八木ってなんなんですか」

 私はわりと怖い顔をして彼を睨んだつもりだった。

 大男がちょっと仰け反った。女性が怒るという経験をあまりしていないようだった。


「まあ~、なんていうか、芸能人スカウトみたいなものだよ。それで、ビールさんを見つけたんだろうね。ほかにもいっぱいスカウトしてるんだよ」

「芸能人スカウト」の語尾に「?」がつくような話し方だった。


「まあ……なんていうか、そういう世界なんだよ。何度も言うけど、さ~。女性が来ると、消えてしまうんだよ」

「なにがですか?」

「移動するんだよ。違う場所で集まるんだよ。それでも追いかけ続けんの?」

「……」

「会いたい気持ちが分からないわけじゃないけどさぁ」

「ビールさんは芸能人スカウトとなんであんな夜の公園にいるんですか」

「だからさぁ。わかんない? 世の中めちゃくちゃなの。あんたが知ってる世界が全部じゃないの。とんでもないことでお金を稼ぐ方法があるんだから……別にいいよ。それでなんか警察とかに電話したりネットに書いたり色々しても。でも八木君は、ビールさんと一緒にもっと遠くに消えるだけだからさぁ」

 大男は肩をすくめて話した。どうも、会話が噛み合っていないように思った。


 上階から下を見ると、天井の空いたボックス席で、コスプレした男性二人が抱き合っている。半開きの扉のすき間から、老人や男性がその光景を覗いている。私達二人はそれを見下ろしながら、会話を続けた。

「八木君は営業マンだからね。しかも大胆だし」

「……」

「僕は君の気持ちはよく分かってるから、別に何も、もうしないよ。セツナさんに怒られるし。なんだか僕もビールさんって人、気になるしね。もし八木君が関わっているなら、ますます」

 ひひひと大男は笑った。

「あの公園で待ち続けたほうが、やっぱり良かったかな」

「うーん、どうだろ。みんな、色んなところウロウロするからねえ。ここのほうが少なくとも安全だよ。夜の公園はね、ほんと何が起こるかわかんないから。二度と行かないように」

「うん……」

 それは私も同感だった。


 それから、階下で抱き合っている男、うろつく男、それが誰でどんな人であるか、教えてくれた。

 オフレコなんだけどさ、が、彼の口癖だった。

「あの人、美容師。美容師さんだからかな、どんなシフト組んでいるかわかんないんだけど、割りと早い時間からウロウロできるんだよ」

「あー」

「あのおばちゃんみたいな女装子は、ああ見えて純男すみおさんは無理で、女装の子しか話しかけないんだよね」

 彼が一番饒舌になったのは、セツナさんだった。


「セツナさんは長いよー。俺がここに来る前からいたんだから。なんていうか……そういう秘密クラブみたいな頃からいたのよ。アゴラってクラブがあって、女装クラブみたいな結社があったのよ。戦後すぐくらいから。大物芸能人とか編集者とか、そういう人のお相手的な。そのクラブがなくなる前に少しいたらしいけど、セツナさん、レジェンドだよね」


 そのクラブに属する芸能人は、母や父の会話からどこかで聞いたことのある名前ばかりだった。

「確か子どももいるんだよ、セツナさん。うん。あ、ぜんぶオフレコね、これ」

 大男と会話を切り上げて、階下に降りた。


 大男から離れると途端に不安を覚える。

 異物としての私がそこにあった。

 自分の性別を分かられたくないから、フードを被る。

 背を曲げて、早歩きになる。

 少し広くてくつろげるスペースがあったはずだ。

 壁に貼ってある地図を観ながら、歩き回る。


 ようやく辿り着いた自動販売機コーナーのソファーで、セツナさんがスマホをいじっていた。

 セツナさんは遠くから見れば背の高いスラッとした女性に見える。

 近づけば近づくほど、皮膚のたるみで年齢がわかってしまう。

 化粧も服も全部落としてしまうと、六十代といったところだろうか。いや、もっといっているのだろうか……。

 今日もニヒルに横を向いて笑う。声を立てるとシワが目立ってしまうからだろう。スカートが短いので、レースがあしらわれたショーツが見えた。

 太ももはやっぱりお爺ちゃんみたいだった。


 ぶかぶかのパーカーとズボンで厚化粧をした私は、もはや女装なのか男装なのかもわからない状態でこの空間にいた。

 コーヒーを買う。セツナさんはコーラを飲んでいた。お茶を飲まずにコーラを飲むその若々しさが微笑ましかった。

 どうしてそんなに高いヒールで歩くのかとセツナさんに訊くと、「こうして歩き回ると、靴音を聞いて次々仕切りが開くの。ガチャ、ガチャって。カーテンがサッて。見られるの、楽しいわよ」とニヤッとする。

 小声で私たちは会話をする。わりとソファーの座り心地が良くて、自然にくつろいでしまっている自分がいて苦笑した。

 上階を見上げると大男の姿が見えないので、誰かをナンパすることに成功したのだろうか。二階の、カラスのように見下ろす男たちを眺める。私が見上げると、不思議と目が合わなくなる。

 見られている感覚はあるのに。


「やっぱりここにいるのはダメな気がする……」

「まだ言ってるの? 公園であった子、探すんでしょ」

「……でも、女だとバレて今度こそ殴られたりするのかなって……」

 すると、セツナさんが横を向いて鼻をならした。

「わたしだって怖いわよ。本物の女の子がいるんだから」

 笑いと恐れが混じったような声だった。

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