第6話 最低限の礼

 上階は、吹き抜けのフロアを囲うように廊下が巡らされていた。

 上からのぞき込むことで、ブースで行われていることが全部見える。

 女装さんと男性。もしくは女装さん同士が絡んでいるのもあれば、何もせずただぼんやりとパソコン画面に見入っているおじさんもいた。


 数えてみると、女装を求めているおじさんが大多数で、女装の子は、女装同士で仲良くやっていて、ごく少数のおじさんだけがモテていた。

 他のおじさんは遠巻きに、女装の子にどう話しかけようか、近づいたり離れたりして、おどおどしていた。


「遊ぶの簡単よ。こんな爺でも、親切にしてくれる時あるもの。あなたも、話しかけてみたら? ああ、女の子だから、女装じゃなくてびっくりしてみんな逃げちゃうか」


 セツナさんはそっぽを向くようにしてまた笑った。笑う時の癖が印象的だった。

 大男はきょろきょろして、行為を見ることに必死だった。


 いくら探しても、ビールさんはいなかった。

 思い出すのは、あのビールさんの後ろにいた男二人だ。

 あの二人からは、余裕が感じられた。

 ビールさんに安心してリードをつけているような感じがあった。

 でも、どうして私と二人でトイレに行くことを許したのだろうか。

 そうして、誰かと触れ合わせるのを楽しんでいるのだろうか。

 もしかして多目的トイレの中にカメラとか仕掛けられていたのかもしれない。


「あんた、どうしたの」

 何も見ていない目をしていたらしい。

「気分、悪くなったんじゃない。じゃ、さっさとこれに懲りたら出ていくべきよ」

 嫌味のない口調でセツナさんは言った。


「セツナさん、どっちなんですか」

 大男が話に入ってくる。

「どっちもよ。何かしたいんなら手伝ってあげるし、なかったんなら、うじうじしない」

「セツナさん、僕のとこ、お話に来てよ」

「あんたには聞いてない」


 私は再び一つ一つのブースを覗いた。

 ビールさんが、あの後ろの二人に犯されているところを見たいのだろうか。

 別にそれはかまわなかった。

 たぶん、そうやって生きている人だし、夜中に何本も五〇〇ミリ缶のビールを飲み干しているから。


 私はそのビールさんと話がしたかった。

 男二人から自由になったビールさんと、たくさん話がしたかった。

 その話の中に、姉のことが含まれるかどうかわからないけれど、それに近い話を遠回しに、何時間もかけてお話したかった。

 どこかの安い居酒屋でいい。公園でもいい。

 ビールさんは、今はもうあの男二人とは縁を切って、ちゃんとした男性のパートナーを見つけたこと。

 結婚することになったこと。

 養子なのかわからないけれども、とにかく子どもを育てていること。

 その子どもの写真を見せてもらいながら、私も姪っ子の写真を見せる。

 そうして私はゆっくりとその子に勉強を教えている話をする。

 今はだいぶなついたんです。私、子育ての才能あるかもしれない。

 保育士の資格、持ってるんですよ。意外でしょ、ビールさん。

 全部私の妄想だけれど。

 妄想の終わりのほうに、なぜか、姉もその場に同席していて、ビールさんがトイレに立った瞬間、姉が「あんたら、どこで知り合ったの?」とコソッと聞いてくる。私は笑ってごまかす。

 久々に姉と会話した気がした。

 頭の中で。


「どうなの? いた?」

 セツナさんの声で、妄想の世界が途切れる。


「いない……と思う」

「そう……相手したい人を探しているわけじゃないのね」

 セツナさんは私のほうを見ずにつぶやいた。

「人探しです。普通に」

 私は、声をひそめて、“ビールさん”について知り得る限りのことを話した。


 今年の夏、公園の女装グループにいたこと。女装さんの中では美人で完成度が高くて、ヒゲは剃っているだけで脱毛してないこと。男二人を連れていて、車で去って行ったこと。

「あなたのこと、すぐに女って気づいてなかったんだ。よっぽどの酔っ払いだったか、鈍感な子ね」

 セツナさんが少し体を傾けると、パニエのスカートに、肉が落ちて垂れた尻と似合わない下着が見える。

 セツナさんより遥かに若いはずの大男が、そのおじいさん相手にナンパして食い下がっているのがおかしかった。


「今日はいないんだね」

 セツナさんが優しく声をかけてくれた。

 大男のほうが、大きく息を吸い込んでから話し始めた。

「また土曜日に来れば良いよ。一番人が混むからさ。でも、もっと男装しないとだめだよ。それか女装子っぽくするとかさあ。バレてるから。それにマナー違反。女の見世物じゃないんだからさ。いるんだよな、風俗街とかこういう場所を見学する女。いろんな世界があることに対する最低限の礼はないのかよ」

「うるさいわね~私がエスコートしてるんだから、黙っててよ」と、セツナさんが舌打ちをして大男を睨んだ。

 大男はばつが悪そうにしていた。


 上階の廊下から探すことをあきらめて、階段で下におりる途中、ふとあたりを見回してみた。

 薄暗い中に、電線に留まるカラスの群れのように数十人の男たち階下フロアを眺めていた。

 驚いて階段からずり落ちそうになって冷や汗をかいたが、間一髪のところで大男に抱え上げられた。


「自分のことを悪いことしたとか思ってないだろ。失礼なんだよ。ずけずけここに来て。何を知りたいか知らないけどさあ」

 大男にさっきからずっと説教されている。

「だから、人を探してるって言ってるじゃない」

 またセツナさんがかばってくれた。

 でも大男が私をそんな風に扱う気持ちもわかった。


 しっかりと化粧をして、産毛を剃らずに、男物のパーカーと帽子をかぶって来ようと思った。パーカーだと女性の体つきをある程度ごまかせる。化粧は、めちゃくちゃ濃くすることで、逆に男だか女だかわかんなくなると思った。


 それから私は毎週、ここに張り込むことになった。

 なぜか、セツナさんと大男も来週ここで落ち合う約束をして。

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