第5話 セツナ

 男の身体から熱気が伝わった。

 汗の臭いがとても強かった。息づかいは落ち着いているものの、興奮していることが分かった。


「女装さんからしたらさ、女の人なんかいたらショックだよ。見世物じゃないんだから。娯楽じゃないんだから」

 小声で、ものすごく早口だった。

 怒っているようで、戸惑っているようで、感情がうまく読み取れなかった。


「いえ、私は……」

 公園で会った女装さんを探しているんです、と言っても、説明のための語彙が出てこなくて、「あー」「えー」という言葉しか発せられない。

 男は掴んでいた手をようやく放してくれた。


「ほらほら」

 背中を容赦なく押される。このまま出口の階段まで追い返されるのだろうか。私がつんのめってこけそうになると、

「やめときなよ乱暴~」

 と、声が聞こえた。


 私と男の目の前に、フリルブラウスにパニエのスカートを穿いた老人が目の前に立っていた。


「セツナさん」

 男にそう呼ばれた老人はそっぽを向くように笑った。

 胸はなかったが、ウィッグと化粧で、かろうじて女装というレベルに達していた。


 セツナ老人は私の目の前にツカツカと歩いてくると、ひと言。

「あんた、化粧ばっちりしてないから、逆にバレたのよ。やっぱり目よ。まつ毛をもっと盛ったら。あと頬ね」

 そう言いながら、私と男との間に入って距離を置かせた。

「女になるなら眼よ。眼が重要」

「セツナさん、女の人嫌なんじゃないの」と大男が言った。

「見学して回りたいの? 色々見ていく?」

 セツナ老人は大男を無視した。


「いえ」

「あんた、結構ヒゲ濃いわね~」

「いや、俺も一瞬そう思ったんだけどさ、雰囲気でわかるよな。丸いから、やっぱり女なんだよ」

 大男が会話に加わってくるのをセツナさんは軽く流して、私をリードして歩きはじめた。

「私今日、お尻切れてるから。追いかけても無駄よ。タチだし、いいの?」

 牽制しても、大男はやっぱり遅れて自分たちについてきた。


 セツナさんは、シャキシャキした足取りで上の階にあがりはじめた。

「こっからだと、下で何してるか、一目でわかるわ」

「どうして私が人を探してるってわかるんですか……」

「寝たい男じゃなかった時の断り文句だよ、待ち合わせしてますって。あんた、帽子かぶったおじさんをうまく断ってたじゃない。聞いてたわよ~。さ、選んだ選んだ。ゲイの男と寝たいんでしょ? そういう女の子いるから」

「そういうわけじゃ……」と反論しようと思うものの、言葉がうまく出てこない。


 姉がもうすぐ死んでしまう日に、キスをしていたんです。

 姉が生きていた時間の最後に、私が甘えた人なんです。

 だからどうしてもその人に会いたいんです。

 いや、意味わかんないんだけど、と言われるだろうけれど。


 セツナさんに背中をポンと叩かれる。

 大男もあがってきていた。

 男は、セツナさんを腫れ物に触るように扱っていた。

 それは、セツナさんの性格やオーラのせいではなく、出会いの場において、老人であろうが女ものの服を着ていたらそれは女性だから、丁重に扱わないといけない。

 その気持ちが大男から私に伝わってきた。


 男は私とずいぶん距離をあけている。もしかしたら女の人が怖いのかもしれない。さっき、追い出そうとしていたのも、彼なりにどうにかしようと考えた末の決死の行動だったのだろう。

 彼の汗の臭いが、私の鼻にまとわりつくように漂っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る