第4話 男
私は公園以外に女装が集うところをネットで検索していた。
いくつもの掲示板がヒットしたが、男性同士の出会いの場と違い、女装は少ない。
ようやく、電車に乗って十五分ほどかかる、ネットカフェが"そう"らしいと分かった。
どういう服装で行けばいいかが、問題だった。
女装のたまり場なのだから、"女装男子"に化けるために、女性らしい服装を探す。いつもの服装じゃだめだった。
より女性であるような服装。今まで着た回数が少ない分、違う自分になれたようで、少し新鮮だった。私が持っているのはパーカーやパンツばかり。わざわざJRの駅近くにあるユニクロまで行ってワンピースを買った。
駅まで自転車を漕いで、女装の集う場に向かいながら、ふと足が止まる。
どこか思考がちぐはぐな気がした。
こういう時って、男のフリをするために、パーカーで来るべきではなかっただろうか。
なんで自分がワンピースを着ているのだろうか。
簡単に化粧をしたけれども、すっぴんのままのほうが良かったかもしれない。
私は、男のほうが、成りやすいはずなのに。
完成度が高いはずなのに。
ビールさんにも、間違えられたほど。
自分自身がどちらに成れば良いのか分からないまま、店の前に来た。幟がいくつも立っていて、隣に広い駐車場がある。赤っぽくて薄暗い3階建ての建物だ。入り口に灰皿があって、入ってすぐ右手が階段で、正面に受付がある。何も考えないようにして、そのまま歩みを進める。
受付では店長らしき人に怪訝な顔をされた。
6時間のコースで、個室料金2千円を支払った。店長から簡単な説明をされるが、時々「ローションは別売りで」という単語が混ざる。
平静を装い、頷く。
小さなカゴを受け取って、うつむき加減のまま、階段に向かう。上がっている途中、誰ともすれ違わないことを祈った。
個室ブースにカバンとカゴを置いた。ドアをゆっくりと閉めた。
その瞬間、歯がガチガチと鳴って、長い溜め息が出た。
身体全体がしばらく震えていた。
何もせずにじっとしていた。
ネットカフェ内はとにかく静かだった。当然だ。我が家よりもしんとしていた。
家は、子育てを引き継いだ私の母や義理の兄の、日々生きるための呼吸音があった。
私にとってそれは息苦しいものだった。
女装の集うネットカフェで震えながら、それでいて、ここには誰も来ないという最果ての世界に辿り着いたような感じがあった。
落ち着くまで、一時間くらいうずくまっていた。
気持ちが静まったので、うつむき加減にカフェ内をうろついた。
ネットカフェは、中央が図書館のようにマンガの棚で埋め尽くされていて、その周りを囲むように各部屋があった。
マンガを手に取るが、内容なんて一つも入って来ない。
突然、「女装さんですか?」と話しかけられた。
「僕のブースでお話しませんか」
上から下まで眺められて、体がこわばる。顔をあんまり見られないように、うつむきになる。帽子をかぶったおじさんだった。
「ちょっと待ち合わせてる人がいるんで……」と、声を低くして言うと、あっさりと引き下がった。
神経がいつもより張り詰めているのか、空調の音と、掃除する従業員、ひそひそとした声が常に聞こえる。
うろつくと、行為に及んでいるであろう囲いの中が見えた。
こんなところに、ビールさんはいるのだろうか。
顔ははっきりと思い出せるけれども、違う服、違うメイクでも、本当に見つけ出せるだろうか。
ワンピースを着ている私を思い出してくれるだろうか。
ビールさんを見つけるための唯一のカギは、セシルマクビーだけだった。
ふと、後ろをつけられている気がした。
さっきのおじさんは、自分と同じくらいの背丈だったが、私の後ろにすぐ立っていたのは、灰色のTシャツを着ていて、一八〇センチ近い男だった。
森のように立ち並ぶマンガの棚の隙間を縫うように歩いて逃げた。
ほとんどがエロマンガで、眼の端々にパ行の言葉が妙にちらつく。
足早に歩いているところが、誘っているように思われるのだろうか。案内をしている風に勘違いされているのだろうか。男の速度もあがったように思う。
フロアの真ん中からだんだん外れて、薄暗いブースのところへ追い詰められていく。
歩きながら、幾度も見かける。
アクリルのドアの隙間から、眼がのぞくのを。
父よりも遥かに年老いた人が、暗闇からこちらをうかがっている。
自分と寝てくれる女装が来てくれたのか、期待を込めた瞳だ。
私をつけていた男は歩調を一気に早めた。
「なにやってんすか」
腕を掴まれた時、驚きすぎて声が出せなかった。
座り込もうとしたが、引っ張りあげられて、かがむことすらできない。
「ちょっとこっちに」
引きずられながら、マンガの棚のほうに戻された。
相手の身体を叩くこともできなかったし、そもそも腕に力が入らない。
手首が尋常ではないくらい痛かった。
「あんた……」
「はい」
「女だろ……こんなとこいちゃいけないよ」
私はしばらく黙ってから、はい、と言った。
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