第12話 文原先生の一日
今朝は
こういうことが頻繁にあるので、一年以上経った今でも久野のことは色々な面で心配してしまう。だから少々弱った状態ででも顔を見せにきてくれると安心するのだが。
「……まぁ、大丈夫か」
以前、佐藤に「心配症すぎる」と言ったが、僕も大概そうなのかもしれない。自覚しているだけまだマシかとも思うけど。久野は単に学校を休んでいるだけかもしれない。僕にできることはないのだし、考えすぎないようにしよう。
この学校では、一時間目の授業後と昼休みに保健委員がクラスの出欠表を渡しにきてくれる。生徒が二時間目の授業を受けている間に、一年一組から順にパソコンにデータを入力していく。無心で作業をしていると、三年六組で手が止まった。そうか、久野は学校を休んでいるわけではないのか。それは良かったと思いつつ、ではなぜ保健室に来なかったのだろう、と疑問が拭えなかった。僕の中ではもう、久野が保健室にいる光景が当たり前になっていた。まぁ、昼休みは来るだろうという考えに落ち着き、僕は再びパソコンと向き合った。
昼休みには体育と昼練で怪我をした生徒が一人ずつ来たが、久野は来なかった。ここに来て僕は少し怖くなった。久野は自分のことを話したがらない。トラウマのトリガーとなり得る話は僕からすることもあまりない。だから久野の危機に駆けつけられるほど、僕は彼女のことを知らない。もしかしたら久野に何かあったのかもしれない。僕にも話せないほど、深刻な何かが。
校内の見回りがてら様子を見に行こうかとも思ったが、単位制のこの高校では授業のたびに教室移動があり、生徒数も多いから久野には会えないだろう。そう思いはしたが、考えが出てしまったからには居ても立っても居られず、午後の休み時間は校内をぐるりと歩いた。予想通り久野には会えなかったが、友達と廊下で喋っている
「あ、
立花は振り向き様に僕の顔を見るなり、怪訝そうに言った。
「何かあったんですか?」
「いや、別に何もないけど……」
そうだ。別に何も起こっていない。今はまだ。
「なんかすごい焦った顔してますよ」
「え、そうかな」
立花を含む三人にくすっと笑われて、僕はなんだか居た堪れない気持ちになる。
「
「いや、友達がね」
立花と視線がぶつかる。
「友達が、この先生のこと好きなの」
「ね、先生?」と微笑みかけてくるのはやめていただきたい。
僕がいなくなった後も僕の話題は続いているようで、変に意識してしまう。彼女たちの間で飛び交う明るい希望に満ちた言葉たちを背中に感じながら、僕はそそくさと保健室へ帰った。
放課後、偶然教室の前を歩く久野を見つけた。意識している時は全然会えなかったのに、気にしなくなった途端すぐに会えた。案外そういうものなのかもしれない。僕は少し嬉しくなって、思わず声をかけた。
「ふ、文原先生……」
一方久野は犯行後の犯人のように挙動不審で、僕と目が合うなり顔を隠すように明後日の方向を向いた。
「どうしたの?」
「やだっ! 先生来ないで!!!」
あからさまに拒絶され、悲しみとかそういうのよりも驚きが勝った。
「え、久野? 大丈夫?」
「やだぁ! 見ないでーっ!!」
久野にしては珍しく甘えた小さい子のような反応だった。僕は本当に訳がわからず、悪いとは思いつつも久野の顔を覗き込んだ。
「どうしたの」
変な顔をしている以外は特に変わりない。メガネをかけているのも久しぶりだが、まさかそんなことは関係ないだろう。
「久野、どうしたの?」
久野は観念したように口を開いた。
「……メガネ」
「うん。メガネがどうしたの」
「……今日どうしてもコンタクトが入らなくて、メガネなんです。メガネしてると、わたしもっとかわいくないから」
「だから会いたくなかったのに」と口先を尖らしている。
「それで今日来なかったの?」
「……はい」
まさかの方だった。メガネをかけているから会いたくないだなんて、僕には想像がつかない。
「一年の時もかけてたじゃないか」
「それだって四月だけです! ……もう最悪。文原先生には見せたくなかったのに」
「いや、僕見たことあるって。メガネかけててもかわいいよ」
「……そうじゃなくて」
はあ、とため息をつかれてしまった。僕が何か間違えたのだろうか。じっと見つめてみるが、よくわからない。
「……見ないでください」
「ああ、はいはい」
久野は本当に恥ずかしそうで、僕の謎は深まるばかりだ。
「あ、この前保健室の前でなんか迷ってたのはなんだったの?」
「……それは、文原先生が悪いんですよ?」
「どういうこと?」
久野は不本意そうな顔のまま俯いてしまった。耳も頬も赤い。何が起きているんだ。
「こんなに好きにさせられるなんて思ってなかったのに……!」
「え、今なんて言ったの?」
結局、最後まで答えは教えてもらえなかった。でも久野が元気そうだとわかったので、僕は今夜も安心して眠れそうだ。
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