第9話 佐藤くん 後編

「あれ、佐藤さとうくん」

「…久野ひさの。委員会一緒だったんだな。気づかなかった」

 佐藤くんに転んでできた傷の手当てをしてもらったのは、ほんの二週間前だ。

 委員会が同じならもっと前から知っていてもおかしくないのだが、知り合う前はお互いに興味関心を持っていないので、実際はこんなものだろう。

「本当だね。わたしも全然気づかなかったよ。…隣、いいかな?」

「もちろん」

 佐藤くんがにっこりと笑う。

 こうしてあっさり再会したわたしたちは、それから少しずつ仲良くなった。

 委員会や時間が合う帰り道など、なんとなく話をすることが増えた。話す内容はどれもとりとめのないことだったが、それが返ってお互いを気安い存在にしていた。

 だから、同じ高校を受験すると知ったときも普通に嬉しかった。

「佐藤くんがいてくれるなら安心! わたし、こんなに仲良くなれた男の子初めてなの。なんか佐藤くんはお兄ちゃんみたいだよね」

「…久野も妹みたいだよ。ちょっと危ないところがあるから放っておけない」

「そうかな」

「そうだよ。…受かるといいね、俺ら」

「大丈夫だよ。二人とも合格圏内だし」

 なんとなくほっこりした冬の帰り道。わたしはあの日々を忘れないんだろうな、と思う。


 お互いには全くしていなかったので、周りの人に冷やかされることもなく、佐藤くんとは順調に親しくなっていった。

 受験に受かったときは、合格祝いに二人でファミレスのパフェを食べに行った。

 そのとき、わたしは確かに新しい環境に胸を膨らませていた。新しい制服、新しい教科書、新しい通学路、新しい友達。

 そういう「新しい」に怯えることなく身を投じられたのはきっと彼のおかげだろう。

 そして、わたしは高校入学後にまた佐藤くんに救われる。

瑞季みずきくん」と呼ぶようになったのはそれからだ。不本意な経緯ではあるが、今では「瑞季くん」の方が馴染んでいる。



「あれ、また久野一人?」

「あ、瑞季くん」

 保健室でだらだら過ごしているところに瑞季くんがやってきた。

「今、文原ふみはら先生出てるけど。何か用事?」

「そんなとこ。…勉強してるの? 偉いね」

 わたしは目の前の参考書に目を落とす。

「まぁ、もう三年生だから。文原先生いなくて暇だし。…そういえばね、さっきまで瑞季くんのこと思い出してたんだよ」

 いつのまにか瑞季くんも保健室に入ってきている。

「中学のときとか? 懐かしいな。もうこんなに時間が経っているなんてゾッとするわ」

「そうそう。合格祝いにパフェ食べたよね。また行きたいなー。今度はようちゃんも一緒がいい」

「いいね。行こうよ」

「あー、保健室で青春してるー」

 いきなり後ろから声が降ってきて二人ともびっくりして振り返る。

「…文原先生。もうちょっとわかりやすく帰ってきてください」

 文原先生がくす、と笑う。

「ごめんごめん。佐藤もいるけど、何の話ししてたの?」

「高校の合格祝いに二人でパフェ食べに行ったこととか。なんか久野が思い出してたみたいで」

 文原先生が少し驚いた素振りを見せる。本当に驚いているかどうかはわからないけれど。

「へぇ。前から聞いてはいたけど、二人はずっと仲良いんだね。もっと二人の話聞かせてよ。…あ、佐藤は何か用事あった?」

 瑞季くんが首をすくめる。多分、用事がなくても保健室に来るのが当然になっているわたしと比べたのだと思う。文原先生は気づいていないだろうけど。

「別に大した用じゃないんで」

 文原先生の瞳がほんの少し丸くなる。からかっているように見えなくもない。

「…そう。心配症も大概にね。大人を無闇に信用しないのは感心だけれど」

 二人の会話の意図がわからず、少しだけムッとする。それがバレたのか、瑞季くんが「ごめん」と笑ってくる。


 わたしにとって他愛のない会話をできる存在、特に男の人はとても貴重だ。この二人になら囲まれても、わたしにはわからない水面下の話をされていても、わたしに手を伸ばしてきても、信用できる。怯えて必死にアンテナを張らずとも、自分の気持ちを隠さずとも、同じ空間にいられる。


 帰り際、文原先生がわたしと瑞季くんに飴をくれた。

「…勉強、頑張ってるみたいだから。ご褒美」とわたしにはこっそり耳打ちしてくれた。

 嬉しくてたまらなかったのに、飴は瑞季くんと帰っている間に、いつの間にか口の中から消えていた。

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