第8話 佐藤くん 前編

佐藤さとうくん」

 瑞希みずきくんをそう呼んでいたのは、中学の間と高校に入ってから半年ほどの期間だ。

 相変わらずわたしと親しくしてくれている瑞希くんとは、中学からの付き合いだ。

 ちょうど今から三年程前のことだった。



「……っ、いったぁ」

 中三にもなってこんなコケ方するとか馬鹿みたい。人通りの少ない住宅街で助かった。

 わたしはヒリヒリと痛む脚を片目で見る。

「…うわ」

 痛そう、と他人事のように思う。

 中学からの帰り道。いつもの通学路、その上何もないところで転んでしまった。

 血がじわじわと滲んでくる。このまま立ったら制服のスカートに付いてしまいそうだ。

 でもいつまでも道端に座り込んでいるわけにもいかないので、スカートを軽く持ち上げながら立つ。

「…なんか大丈夫?」

「えっ、あっ、えっ!?」

 体がビクッとなった。変な声も出た。

 声の主の方を振り返る。

「………誰?」

 制服を見ると同じ学校の生徒だということは分かった。それでも誰かは分からない。

 目の前に立つのは眼鏡をかけている、真面目そうな男の子だった。身長は男子にしては高くないようで、わたしとは目線が真っ直ぐにぶつかる。

「あぁ、ごめん。なんか大変そうだったから声かけただけなんだ。大丈夫?」

 彼はそう平然と言ってのける。

「た、多分、大丈夫…かな?」

 わたしは自分の怪我の状態よりもこの状況の方が気になり、曖昧な返事になってしまう。

 彼がちらりと私の脚を見た。

「怪我してるね。歩ける?」

「…うん」

「じゃあさ、俺んちおいでよ。あそこ」

 彼が伸ばす指の先は、目と鼻の先ほどの距離だ。

「そんな血流しながら帰るの無理でしょ。傷口洗って消毒して、絆創膏渡すくらいはできるけど、どう?」

 そう言いながらももう歩き出している。

「あ、ありがとう?」

「いいえ」

 彼は少し笑ってみせた。

 わたしはスカートを軽く持ち上げながら、彼の背中を追う。


「ここ。俺んち。ちょっと入って」

 表札を見る。佐藤さとうくんというらしい。

 可愛らしい門がついている。佐藤くんが開け、その中に入ると蛇口があった。近くに小さな花壇とジョウロがある。普段は水やりに使うのだろう。

「ここで洗ってて。消毒液と、絆創膏持ってくる」

 ついでにポケットティッシュも渡された。この急展開に呆然としながらも、わたしは言われるがままに傷口を洗う。

 佐藤くんはすぐに戻ってきた。

「脚見せて」

 佐藤くんが跪いたので、わたしもスカートを小さくめくって見せる。佐藤くんの仕草に手当て以上の目的は感じず、わたしは安心する。

 佐藤くんは非常に慣れた手つきでわたしの怪我を消毒し、絆創膏を貼った。わたしは貼られた絆創膏がうちにあるような適当な小さいものではなく、大判の高そうなものであることに驚いた。

「…なんかその絆創膏高そうだけど、いいの?」

 佐藤くんはにこりと笑ってみせた。

「いいのいいの。むしろこれ、親の教えだから」

「へぇ。いい親御さんだね」

「そうかな。ちょっと心配性が過ぎると思うけど」

 手当て完了、気をつけて帰ってねと佐藤くんが明るくわたしを見送ろうとする。そのとき、玄関の扉が開いた。

「…あ、あら。お友達? 気づかなかったわ。どうかしたの?」

 佐藤くんのお母さんだろう。雰囲気がそっくりだ。

「あ、あの! わたし、佐藤くんとは同じ学校で、あのさっきまで全然知らなかったんですけど…あ、いや、そうじゃなくて! 転んで怪我したところを助けてもらって。あ、ありがとうございます!」

 お母さんは穏やかそうに笑った。

「あら、そうだったのね。うちの中ですればよかったのに。あ、でもそれじゃあかえって気を使わせてしまったかしら。…ごめんねぇ、この子、すごく心配性で。こういうことあるとすぐ連れてきちゃうの」

 佐藤くんの方をちらりと見る。心配性、かぁ。

「強引じゃなかった? 怖かったでしょう」

「いえ。びっくりはしましたけど…優しくしてもらいました」

「あらそう? それなら良かったわぁ。また機会があったら仲良くしてやってね」

 佐藤くんはその間ずっと黙っていた。親御さんの心配性はしっかりと受け継がれていたことにようやく気づいたようだ。

「佐藤くん、ありがとう」

「…いや、なんかごめん」

「ううん。ありがとう。助かっちゃった」

「…あ、名前! なんていうの? うちの学校人多いからさ。同じクラスになったことないよね?」

「ないね。わたし、久野ひさのっていうの。久野、沙穂子さほこ。同じ学校だし、また会うかもね」

「ああ」

 わたしは佐藤くんに手を振って別れた。佐藤くんもわたしに手を振った。



 よく分からない出会いだったが、佐藤くんとの付き合いは意外とすぐ近くにあった。

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