第170話 藤本悠太は助ける

「私はスポーツインストラクターとして、会員の方々に技術指導を行う予定なので経営のプロを雇ったのですが…諸事情があってやめてしまったのです」


「なるほど…」


 蒼井さんは自信なさげな表情を浮かべているが、後ろにいるJKとスタイルのいい女性は怒りを募らせている。


「あの人は本当にひどかった!」


 そう言ってJKがコメカミを抑えている。


「本当よ!あいつは有能なふりをしているだけのゴキブリだったわ!今思い返すだけでもはらわたが煮え繰り返る気分だよ!ね?あかりちゃん?」


 スタイルのいい女性もJKの意見に賛同する。


「本当それ!責任を他人になすりつける点においてはプロでしたけどね」


 ふむ。


 つまり、どっから転がり込んだ有能なフリをした無能がざんざんやらかしたってわけか。まあ、世の中にはああいう類の人間ってはいて捨てるほどいる。実際、俺が働いていた会社にもそういう人は非常に多かった。大手だというのに。


 ていうか、この蒼井さんの妹みたいなJKの名前ってあかりか。蒼井あかり。今は全然明るくないけど、笑ったら確かに名前通りの女の子になりそうだ。


「つまり、このジムを回すための基盤が全くできてないということですか?」


 今まで、俺たちのやりとり見ていた刹那が落ち着いた表情で言った。彼女は書類の山を見てはため息をついている。


「まあ、端的に言えば藤本さんの彼女さんのおっしゃる通りです」


「か、彼女…」

 

 蒼井さんに口から彼女というワードが出た途端、急に顔を赤る刹那。誤解は早く解いた方がいいだろう。


「俺と刹那はこいび…」


「ああ、どうしよう!このままだとオープンなんかできるわけがないよ!ねえねえのお金いっぱい使ってようやくここまできたのに…申し訳ない…」


 あかりが俺の言葉を遮った。一瞬顔を顰めてあかりを見たが、彼女は涙ぐんでいる。




 ふと、会社での出来事が蘇る。




『藤本くん、これは全て君の成長のためだ』


『どう考えても新入社員のやる仕事じゃないと思いますが』


『こんな大きなプロジェクトに参加できること自体が君にとって大きなチャンスだ』


 やつは、超巨大プロジェクトを俺にやらせた。下っ端としてなら別に不満はないが、俺はこのプロジェクトをメインで仕切った。そして、やつはこのことを周りに知れ渡らないように隠し、やつは全部自分が取り仕切っているかのように演技をした。そんなスキルも知能もないというのに。奴は俺が新入社員であることをいいことに、情報を遮断し、搾取し、善人ぶっていた。


 蒼井さんの言ったあのトンズラした人も、もしかして俺の上司のようなタイプの人間だったりするのだろうか。


 気づいたら、俺は拳を握って、震えていた。


「お、お兄さん…」


 気づくと、刹那は俺のトラックジャケットの裾をギュッと握って引っ張っていた。


「あ、ああ、どうした?」


「急に顔色が変わったから…大丈夫ですか?」


「俺は大丈夫。俺よりあの人たちの方が大変そう」


「それは、そうですけど…」


 刹那のおかげで俺は我に返ることができた。蒼井さん含む3人も俺を見つめている。特にあかりの視線が最も鋭い感じがした。


 そう。これは、俺の立てた仮説を証明するだけの話だ。金沢の件みたいに、力を与えて、俺を長年悩ませた謎を解くだけ。


 と、考えた俺は咳払いをして、ゆっくりと話す。


「あの、ジム経営に合う基盤システム、必要ですか?」


「え?」


「はい?」


 蒼井さんとスタイルのいい女性が俺の言葉を聞いてキョトンとしている。まあ、当たり前だよな。こんな話、誰が聞いても胡散臭いと思うだろう。でも、でも


「俺…俺…」


「その基盤システムって、彼氏さんが作れるんですか?」


 あかりが言った彼氏っていうのは俺のことか。今はそんな細かいこと気にする暇などない。


「すでに作ってあるんだ。もちろんこのジムの環境に合わせて修正など加えてもいいけど、そのままでも使用できる」


「導入まではどれくらいかかりますか?」


「初期設定とクラウドとの連携作業まで含めると夜になるのかな?事務室のパソコンのスペックにもよるけど」


「パソコンはいいものを使っています」


「だったら問題ない」


「お願いします彼氏さん!私たちを助けてください!」


 突然あかりが頭を下げた。後ろにいるスタイルのいい女性も蒼井さんもそれに従って頭を下げる。


「お願いします!」


「お願いします!」


「俺、一旦家行ってファイル持ってくるんで」


 そう言って俺は早速踵を返し、ジムをでた。


「ちょ、ちょっとお兄さん!私も一緒に!」


「刹那は中で待っててもいいのに」


 刹那は早足で歩いている俺と歩調を合わせてくれている。


「私、お兄さんを手伝います!」


「刹那…」


「私、経営学部で、お父さんの仕事も手伝っているので、なんでも命令してください!お兄さんの役に立ちたい」

 

 刹那の顔は生き生きしている。まるで、面白いものを見つけた子供のように嬉々としているのだ。別に、楽しいものなんか何もないのに。


 だけど、刹那は優秀だ。きっとテキパキと仕事をしてくれるだろう。俺は基盤プログラムの初期設定で忙しくなるはずだ。あの書類の山を片付けることは到底できない。だとしたら


「給料は出さんぞ」


「お兄さん…そんなの要りません」


「だったら、何が要る?」


「お兄さんがなんで手伝うと決心したのか、その理由を教えて欲しいです。それだけで十分ですから」


「…」

 

 これは一種のジレンマだ。親しくなれば、俺の過去がだんだん明るみに出るという。


 だけど、俺の目の前で笑っている刹那の姿を見ていると、皮の一枚くらいは剥いてもいいんじゃないかと思ってしまう。


 ロング黒髪に、象牙色の皮膚。そして女優タレント顔負けの美貌にメリハリのあるボディー。離れたところから見れば、それは高みの花のように映るんだろう。だけど、彼女は、子供のようにあどけない表情で俺のトラックジャケットの裾をギュッと握っている。


 だから、俺の言うべき答えはとっくに決まっているのだ。


「わかった」

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