第134話 蒼井健司さんと青山夏帆

 いつもと変わらぬ朝ごはんを食べ、プログラミングの勉強に励んてからの出勤。


 俺を取り巻く環境は激変しているというのに、このルーティンはなんとか守られているようで、安心した。

 

 まあ、守られているというよりかは、俺が必死に守ろうとしていると言ったほうが正しい気がする。


 何もかもが変わる中でも、取り残される不変の真理というものがあるのだ。たとえ、人々がそれを死守する姿を指さして嘲笑あざわらうとしても、俺はめげずに俺の信念を貫く。


 もっとも、あぶれものに信念もクソもないと思うんだが。


 仕事しよう。


 暦は秋を指し示しているが、それでも真昼間は残暑ざんしょ猛威もういを振るうため、半袖じゃないとどうしても汗をかいてしまう。


 多くないけど少なくもない客を捌きつつ、時計を見やるともうすぐあのギャルがやってくる頃合いだ。


 そしてあの男も。

 

 噂をすれば影が差すという言葉があるように、自動扉が開き、ムキムキ体質の男が現れる。


 青みがかった短い髪に、半袖も半ズボンも切り裂きそうな筋肉を身に纏った姿を見た感想は実にシンプルだ。


 硬そうだな。


 蒼井健司さんは、今日もスポーツドリンクを買うために冷蔵庫をあさっている。


 他に客もないので、蒼井健司さんを目で追っていると、目があってしまった。


 すると、彼は微笑みをかけてくれる。それを受けて俺は、会釈とも頷きともつかない挨拶あいさつをした。そして彼は俺のいるレジにまっすぐ歩いてくる。


 近づくにつれて、だんだんとマッスルマン独特の雰囲気も増し加わり、えもいわれぬ気持ちになってしまった。


「秋なのに、相変わらず暑いですね」


 彼は、レジにカゴをおきながら俺に話しかけてくれた。


 おお。天気の話か。一番無難な選択だ。ていうか話かけるのかよ。俺たち、話すほどの仲ではないと思うんだけどね。


 俺は心の中で言葉をりすぐって、一番この場に適した話題を口にする。


「そうですね。ジムの方はどうですか?」


 俺は引きった顔でスポーツドリンクをバーコードをかざしながら蒼井健司さんを見ていると、彼は後ろ髪を引っ掻きながら口をまた開く。


「予定通りオープンはできそうですが…」


 語尾に行くにつれて、だんだん声が小さくなる彼をいぶかしむような視線で眺めている俺。


 やがて、何かに気がついたらしく、また微笑みをかけながら、はぐらかすように言う。


「いいえ。なんでもありません」


「は、はい」


 思い悩みでもあるのか、蒼井健司さんは冴えない表情をしている。深読みは良くない。それは越権行為だ。


 俺は気を取り直すようにため息を吐いてから、口を開く。


「全部で302円です」


 すると、蒼井健司さんはいそいそと財布から小銭を出して支払う。


 会計が終わると、蒼井健司さんはスポーツドリンクを脇に挟みながら、言った。


「私は藤本さんがジムに来ることを待っています!」


「え?」


「では、また!」


 突然放たれた宣言にも似た言葉を聞いて、戸惑っている俺は、蒼井健司さんがコンビニを出て行く後ろ姿をただただ無言で見るしかなかった。


 別に俺がジムに行くとしても、会費を払うわけでもないので、蒼井健司さんにとっては、メリットがない。

 

 彼は俺の存在自体が宣伝になるとか言っていたが、こんな根暗なヤツなんか、むしろ営業の邪魔になるだけだと思うんだけどな。


 さっき彼が発した言葉を噛み締めながら考えにふけっていると、背筋が凍るような気持ちがしてきた。


「先輩」


「うわびっくりした!」 


 いきなり、艶かしい声が俺の耳朶を打ったので、2歩3歩後ずさって、前方を見ると、相変わらず露出多めのショートパンツとシャツを着てるギャルが立っている。


「やっぱり先輩は面白い!」


「ひ、人をからかうもんじゃない…」


 最近、この子の悪戯がエスカレーター化している気がするよね。


「そう言いながら、私の胸はチラチラ見てるんですもんね〜」


 豊満な胸を自慢するように腕を組んでいて、思いっきりあおるような話し方で俺を挑発している。本当に健康美人だな。


 ていうか、完全になめられている。


 まあ、別にいつものことだし、殴られないだけマシだ。何事においてもポジティブシンキングが重要。


 俺は顔を逸らしてから、青山夏帆に向かって口を開いた。


「早く着替えてこい」


 俺の切実な訴えのような要求は、青山夏帆の心に届いたのか、笑み混じりの顔で俺に優しく返事する。


「わかりました。へへ」

 

 いつも俺をからかう青山夏帆らしからぬ純粋な笑顔。そのギャップに戸惑いながら、俺は更衣室へと向かう青山夏帆の後ろ姿を目で追った。


 薄褐色かっしょく肌と長い足。そしてほっそりとした腰。全体的にバランスが整っていてモデルと言われても違和感がない。


 今日は、ゆきなちゃんの授業もあるのに、疲れがドットでてきた。


 家帰りたい。









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