第120話 それは、母親として当然気になるからね
俺はゆきなちゃんの部屋を出てすぐ玄関へと向かおうとした。
西園寺家は俺にとってはいわゆる魔物の
よし。
次の授業は五十嵐麗奈がメイドとして働いているひがしむら珈琲店でやろう。
帰る前に西園寺京子さんに別れの挨拶でもしてから出ようと思い立ったので、
しかし、西園寺京子さんの様子は見当たらない。外出したのか。それともトイレか。まあ、いずれにせよ、挨拶をしなくてもいい口実ができたわけだから、早くここを出よう。
そう考えながら、
どうやら俺の登場を待っていたらしい。
西園寺京子さんは腕を組んでいたため、ただでさえ豊満な二つのマシュマロはこれ見よがしにその美しい
ていうか、他に用がないんだったら、普通に着替えて欲しいけどな。
「お疲れ様、藤本くん」
西園寺京子さんのことで思いを巡らしていると、労りの言葉をいただいてしまった。まあ、単なる社交辞令ってやつだけどな。
俺は軽い会釈とともに、いつものトーンで返す。
「どうも」
俺の無難な返事を聞いた西園寺京子さんは、背中を預けていた壁から軽く離れると、腰を少しかがめて、両手を自分の
いかにも少女漫画の主人公がやりそうなポーズだが、あんたは娘を二人も産んだおばさんだ。
だが、アラサと言っても通用するほどの美しい美貌は、おばさんという言葉を軽く吹き飛ばすに足る破壊力を宿しているように思える。
まあ、別に西園寺刹那と西園寺京子さんが絶世の美女だとしても、それが俺に何かいい影響を与えるわけでもないわけだ。
俺は黙々と静かに歩いて、靴のある玄関ドアの前まで行って、靴を履き始める。
そして聞こえる足音。どうやら西園寺京子さんが近づいているようだ。
一定の距離に達したとき、足音は消え、鼻を刺激する甘酸っぱい香水の香りが
「やっぱりゆきなちゃんには藤本くんが絶対必要だと思うんだ」
甘美なる声は俺の耳を伝って
だが、これは罠だ。
靴を履いた俺は、立って、西園寺京子さんを見つめながらいう。
「俺は単なる家庭教師です」
この線引きは非常に大事だ。だぜ大事なのか具体的な根拠を示すことは今のところできかねる。だが、こうやってちゃんと区別をつけないと、いつかブラックホールに吸い込まれてしまうのではないかという
西園寺京子さんを見る俺の表情はだんだんと深刻なものになってゆく。だが、この人は俺の気持ちの奥底を全部見透かしているように、妖艶な表情で舐め回すように俺の瞳をじっと見つめている。そして放たれる言葉。
「ふふっ。そういうことにしておくね」
そう言ってから、西園寺京子さんは、俺から距離を取ると、からかうような口調でまた語り始める。
「それにしても、嘘つくなんて感心しないな」
「え?うそ?」
今の会話の中で嘘になり得る要素なんてあったっけ?頭を振り絞ってもそれらしきものは出てこないんだが。
俺がキョトンと小首を
「刹那と一悶着あったでしょ?」
「聞いてたんですか…」
「それは、母親として当然気になるからね」
西園寺京子さんはニヒルな笑みを浮かべて俺を挑発するように言ってきた。
ていうか、西園寺家の女性陣ってストーカー行為が趣味なの?西園寺刹那に至っては、なんの情報もなしに、俺の働くコンビニを突き止めて押しかけてくるし、ママさんは授業内容を
でも、西園寺京子さんはの答えは、俺に一つの疑問を残した。俺は無意識のうちにそれを口にする。
「母親として…ですね」
俺の母親は、俺の友人関係については全く興味を示さなかった。いつも、仕事と自分の話ばかり。俺が殴られていじめられてきても、俺の悲しみを察してはくれなかった。関心を持ってくれなかった。
「藤本くん?」
西園寺京子さんが心配そうな顔で俺の呼んだ。
いかん。
これは俺の家庭事情だ。この人たちとは全く関係のない話だから、今はトラウマを掘り返すような
俺は力強く首を横に振り、玄関ドアを開く。そして振り向き様に小声で言い捨てように言う。
「それじゃ、さようなら」
俺はドアが閉まることも確認せずに、足早に、エレベーターへ歩き出した。
「藤本くん…」
西園寺京子さんが何やら呟いている声が聞こえたけど、カツカツと廊下を踏む音によって言葉として認識できないほど砕かれてしまった。
ふと思う。
伝わらない言葉って意味があるのだろうか、と。無意味だとわかっていても、それでもお互い声を振り絞って伝え合う事に生産性があるのか。
否。ずっと断れ続けて、より深く傷つく惨事に繋がることを俺は痛いほど経験してきた。
だから、西園寺京子さんの言葉は俺にとって無意味だ。
俺はエレベーターに乗ってエントランスを通って、この贅沢なタワーマンションを後にした。
やっぱり、このマンション大きいな。また近づいたら、今度は確実に押しつぶされそうだ。
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