第87話 だって理想超超超ー高いし

 静まり返る車内では、車輪がアスファルトと摩擦まさつする音しか聞こえず、気まずさゲージMAXの俺が身をよじりながら、肩をすくめている。


「わるいか」


 流石に、この年にもなって恋愛経験ゼロは引くよね。一人で過ごす時には、恋愛がしたいとか、恋人を作りたいという欲望はなかったから、あまり意識してなかったけど、他人の前で自分の恋愛歴を語るのは、いささか気恥ずかしいものがある。


 まともな友人一人も作れないようなろくでなしが異性と付き合うというのは、四則演算しそくえんざんも学んでない子供に偏微分へんびぶん方程式を教えるのと同じことだ。


「い、いいえ!全然悪くないですよ!むしろ、すごく意外というか…」


 恥ずかしい。超絶恥ずかしい。 


 俺は顔こそ平静を装っているが、心の中にいるもう一人の自分はのたうち回りながらもがき苦しんでいる。ああ、家帰りたい。


 でも、乗りかかった船だ。完全に泥舟だけどな。


 俺は絶望と悲しみに打ちひしがれたが、なんとか、声を絞り出して、西園寺刹那に聞き返す。


「そういう西園寺はどうだ?」


「え?わ、私?」


「ああ」


 やはり、聞かれっぱなしなのはフェアではない気がしてきた。もっとも、自分は全部他人に聞いていいけど、いざ自分が聞かれる番になると、涼しい顔で話題を全力でらそうとするのが世の常ではあるが。


 俺は、きっと答えてくれるはずがないという諦念ていねんはらんだため息をついた。

 

「私も、あ、あまりないと言いますか…そ、その」


 あまりか。つまり、あるっていう解釈かいしゃくでいいよな?


「お姉ちゃんも付き合ったことないでしょ?だって理想超超超ー高いし」


「ゆ、ゆきな!ななな、なにを言ってるのかしら!」

 

 ましてもどこっと車が揺れ出した。いや、本当に命の危険を感じるから、そういうお姉ちゃんがダメージ受けるようなキーワードを連発するのはやめてくれよ。心臓しんぞうちぢまるぞ。


 俺は血の気が引いた顔で二人の後ろ姿を交互に見た。西園寺刹那はハンドルをぶるぶる震える手で握り込んでいる。片や、ゆきなちゃんはというと、面白おかしいものでも発見した顔で、にまっと笑いながら西園寺刹那を見ている。手で自分の口周りを隠して目を細めたあの顔。俺は何も言わずにいよう。油断して俺もツッコミを入れたらトバッチリがこっちにかかってしまいかねない。


 対岸たいがんの火事ほど素敵な言葉もそうなかろう。つまり、争い事は離れたところから見るに限る。しかし、残念なことにここは密室。


 にひひひと小悪魔じみた笑みを自分の姉に向けるゆきなちゃんの視線は次第に俺の方に移り始める。ちょ、ちょっと?なんで俺を見んの?こんな腐って形態を保ってすらない目なんか見ても、何も出てきませんよ?


「ズバリ!お兄ちゃんは、お姉ちゃんが嫌いだから否定したわけではない、ということだよね?」


 からかうような面持ちで俺に語りかけたゆきなちゃんの表情は、次第に優しさを帯びている。


「そうだよ。あくまで、個人的な理由によるものだ」


「なるほど、なるほど。そういうことだよ。お姉ちゃん」


 今度は、姉の方に顔を向けて言ったゆきなちゃん。


「へ、へえー、そ、そうだったんですね」


 どういうわけか、西園寺刹那は自分の妹ではなく、俺に言葉を発した。後ろ姿しか見えないからどんな表情をしているのかは、うかがい知れない。が、ついさっきほどまで震えていた手は、いつしか止まって、リラックスした様子でハンドルを優しくなぞるように握っている。


 それっきり会話は途絶えてしまった。だが、別に気まずさはない。むしろ、高速道路を走る車から発せられる音一つ一つが聞き心地よく、俺を睡眠へといざなう。


 正直、西園寺刹那の運転は俺に恐怖を与えたが、それ以上に俺は疲れ果てている。


 2日前の金曜日は、ゆきなちゃんと約束を交わして訳のわからない感情にさいなまれ、土曜日は五十嵐麗奈と結んだ契約とかであまり睡眠を取っていないのだ。


 まぶたが重い。意識が朦朧もうろうとする中、一つの考えが俺の脳裏のうりぎる。


 西園寺刹那を攻略するのは絶対無理だな。

 

 あんなに眉目秀麗びもくしゅうれいで家柄もいい女の子が理想まで高いときた。一体どんな男と結ばれるのだろうか。有名な映画俳優か、大物政治家か、はたまた人をいじめることと略奪りゃくだつを得意とする暴虐の限りを尽くケモノか。


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