第86話 つ、付き合うとかよく分からないから…

 満面に笑みをたたえるゆきなちゃんは俺を真っ直ぐ見つめている。

 

 またしても、あの時と同じ感情が芽生めばえてきた。ゆきなちゃんが泣きわめいたあの出来事が起きてから、俺は名状めいじょうがたい負の感情を覚えた。

 

 そしてこの気持ちは俺に突きつけてくるのだ。


 お前はこのままでいいのかと。

 

 もちろん答えは分からない。


 どの道に進めば滅亡めつぼうせずにうまく行くのかを脳内で自動で計算するようになるほど、計算高い人になってしまったのだが、この子を前にすると、今までの俺のやり方は通用しない。


 気づけば、俺は視線を泳がせて、戸惑っていた。ゆきなちゃんは、こういう俺の行動を見て、笑顔から一転、あの時のように悲しい顔をしている。


 また、あのパターンになるのは、なんとしても避けなけらばならないんだ。別に、この子は俺にとって、単なる教え子で、教え子で…


『また逃げちゃうでしょう?』


 この前、ゆきなちゃんが涙ぐみながら口にした問い。


 その質問に対して俺は言ったのだ。


 逃げないと。


 俺は、気を取り直すように咳払いをしてから、ゆきなちゃんの頭に手をそっとおいた。


「ふえ?」


 ゆきなちゃんは若干驚きつつも、俺の手をこばまない。


「そうだな。世話のかかる妹ができちゃったな」


 一瞬、冷めかけた雰囲気は弛緩しかんする。もちろんゆきなちゃんの顔は元気を取り戻した。


「にひひ。いつもありがとうね」


 にまっと笑うゆきなちゃんを見つめながら俺はうなずき返した。


「それじゃ、出発しますよ!ゆきなちゃんは安全ベルト締めて」


「はーい」


 いよいよ行くのか。


X X X


 俺は公共交通機関やバス除けば、他人が運転する車に乗ったことがない。貧困だったため、お父さんお母さんは車と免許を持っていなかったからだ。あにはからんや、美少女が運転する車に乗るとは。


 と、いうわけで、俺の心は高揚こうようしている。もちろんいい意味での高揚感はあっちゃあるが、主にネガティブ的な高揚感でめられている。


 事故、起こしたりしないんだろうな?


 この不安を直接口で言うと、失礼に当たるから、絶対言えないけが、どうしても気になってしまう。


 今は阪神高速3号神戸線を走っていて、ゆきなちゃんは鼻歌はなうたを歌いながらスマホをいじっている。そして西園寺刹那は運転に集中して、飛ばしている。


 まあ、べ、別に問題ないよね?ここは大人しく、俺の命を西園寺刹那にたくそう。


「お兄ちゃん」


 俺が頭の中で、命の危険を感じていたことを知るはずもないゆきなちゃんが、鼻歌を止めて俺を呼んだ。


「うん?」


「お姉ちゃんと付き合えない理由を教えてもらえる?」


 一瞬、どこっと車がれた。西園寺刹那がハンドルの操作を間違えたせいだと思われる。

 

 こ、怖い。まじで命の危機を感じるからそういう事、言うのは止めてくれよ。


 と、冷や汗をかきながらため息をつくと、ゆきなちゃんは、返事をせずにいる俺の後部座席を振り返る。


 これは、というサインだろう。


 俺は諦念めいた表情で深く息を吐いて、車の窓ガラス越しに広がる海を見ながら返事をした。


「つ、付き合うとかよく分からないから…」


「ええ?藤本さんって彼女作ったことないですか?」


 いきなり、運転中の西園寺刹那が驚いたような口調で問うてきた。まあ、騙しても、この二人にはすぐバレるだろうし、背伸びなんか俺には向いてないんだ。


「そ、そうだ」


「…」


「…」


 な、なんだよ!この沈黙は!すごく辛いんですけど?大学生と小学生に無言のプレッシャーかけられるの超つらいんですけど?!

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