第84話 頑張って

「キスよ。キス」


「いや、繰り返して言わなくてもちゃんと聞こえてる」


「なら、なんで聞き返すの?」


「普通に考えてあり得ないでしょう」


 五十嵐麗奈のこういう態度には、参る。責めすぎというか、いつも、発言が斜め上過ぎて、戸惑ってしまう。


 俺は心配そうにため息をつくが、受話器の向こうの彼女は、気にすることなく、語り出す。


「あなたの考える普通という概念がいねんは世間一般的に考えると、だいぶ現実離れしているの」


「それは…」


 ピンポイントで指摘してくる五十嵐麗奈に俺は返す言葉もないので、口籠くちぐもってしまった。


 確かに、俺が普通を語るのはおかしいことかもしれない。腐っているこの世の中の人々が持っている考えこと普通だと言えるのかな。

 

 俺は言いあぐねるが、五十嵐麗奈はそんな俺の心情を察してくれたのか、優しい口調で話す。


「藤本くんが成長してリア充になるためには、女を知ることも大事よ」


「リア充か。嫌なひびきだ」


 俺はげんなりしながら、皮肉っぽく言った。リア充は砕けろ。ぜろ。


「本当、宝の持ち腐れとはよく言ったものね」


「なんの意味だ?」


「なんでもないわ。とにかく、キスまではいかずとも、男らしいところを西園寺さんに見せなさい」


 そう言われてもな。男らしいところっていう定義から始めないと、どういう風に接すればいいのか全く見えてこないのだ。と、考えた俺は、口を再度開いた。


「五十嵐さんの考える男らしさを教えてくれないか」


 やっぱり、ここは経験豊富そうな人に聞いた方が一番手っ取り早いものだ。


「そうね。やはり具体例がないとわからないものね」


「お、おう」


 今の流れだと、教えてくれそうだな。俺は神経をとがらせて耳を側立そばだてた。


「私は昔の失敗を克服する男が一番男らしくて格好いいと思うの」


「なんだか、抽象的だ…」


 ほとんど参考になれねーじゃねーか。まあ、実際話、西園寺刹那と五十嵐麗奈は違う人間だ。考え方も、思考も、タイプの男も何もかもが違う。だから、俺が無闇に戦略とか作戦をるとしても、それが実際通用するかどうかも眉唾まゆつば物である。

 

「まあ、そんなに難しく考えなくてもいいと思うよ。チャンスが訪れたら、自分の本音をぶつけたらいいの。昨日の藤本くんみたいにね」


「昨日の…俺」


 そう。俺は昨日、人間に勝ちたいかという問いに対して、首肯しゅこうした。山あり谷ありの我が人間関係の解決策が見つかるのであれば、やる価値はあると踏んだから。


 昨日のような感覚でのぞめば、うまいこと行くのか。いや、うまいこと行くかどうかは分からない。むしろ、良からぬことが起こって、より俺の首をめる事に繋がりかねない。


「わかった。分からないけど、やってみる」


「ふふっ、どっちなのよ。まあ、いいわ。分からないことがあれば連絡してちょうだい。時間あれば返すから」


「わかった。んじゃ一旦切るぞ」


「藤本くん」


「なんだ?」


 何か言い忘れたことでもあるのか。


「頑張って」


 まさか、ねぎらいの言葉をいただくとは。


「わ、わかった」


「それじゃ」

 

 言い捨てるように言うと、五十嵐麗奈はそのまま電話を切った。


 なるほど分からん。とりあえず服着替えようか。

 

 いくら頭をひねり出しても、何も思いつかない時は、他のことをやればいい。プログラミングでも、人間関係でも。


 と、言うわけで、俺はタンスの中にある引き出しの中から服を取り出した。


 今日は、白いTシャツを基調に、日焼け止め用の紺色こんいろテーラージャケット。ズボンは黒色のスリムパンツ。こんなもんでいいだろう。外は暑いから、テーラージャケットの袖はまくっておこう。


 俺が部屋の中に置いてあるかかみを見ながら、ファッションを確認していると、外から誰かがノックする音が聞こえた。


「お兄ちゃん!」


 いよいよか。




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