第30話 契約成立

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 言われるがままに、外をでた俺は、公園のベンチに西園寺せつなと座っている。といっても、家のすぐそばにある小さな公園だ。


 夏は基本、昼が長いので、晩御飯を食べても、猛烈な日差しは全てを焼きつくす勢いで照りつけてくる。幸いなことにベンチは木陰に守られているので他の場所と比べてマシだ。


 ゆきなちゃんはというと、最初こそ、ぶんむくれて「私も混ぜて」と駄々をこねていたが、西園寺せつなの真剣な顔を見て渋々俺の家に残ってくれた。


 ていうか、これってなんのシチュエーション?なんで俺、この子と二人っきりになってんの?やはりこの二人の姉妹の行動は読めない。まあ、人間って大体予測不可能ではあるのだが。でも、この子らは別格だ。


 俺は、隣に腰掛けている西園寺せつなをバレないように横目で見てみる。明るい半袖Tシャツを着ているにも関わらず、体の輪郭をはっきりと区別することができるほどのバランスの良さを誇っている。そして細い腕は混じりっ気のない象牙色。そしてデニムショートパンツから伸びた美しい二つの脚線美は、見る人を惹きつける魔力でもあるようだ。


「んで、なんの話だ」


 俺は平気を装って尋ねてみた。言うまでもなく俺は他人と話すのは苦手だ。こんな美少女と話すということ自体が今までなかったからどんな話し方で接すればいいのかもわからん。


「藤本さんって肌綺麗ですね」


「いきなり何をいってるんだ」


 西園寺せつなは俺の腕や顔を舐め回すように見ては驚いたようにいう。まさか、俺の肌を褒めるために呼び出したわけか。うん、違うよな。そんなのあり得ない。と苦笑いとも気色悪い笑みともつかない謎の表情で彼女を見ていると、はっと我にかえった様子で話す。


「ごめんなさい、つい。まあ、要するにあれです!」


「あれ?」


「はい!あれ!つまり、藤本さんは私と交渉をしないといけないのです!」


「は?交渉?どんな?」


 思い当たる節がないので眉根をひそめて続きを促す。


「家庭教師の交渉!」


「あ、そういう話か」


「はい!」


 確かに俺は昨日、ゆきなちゃんの家庭教師をやると言った。でも具体的な内容は、何一つ決まっておらず、いずれ話合わないといけないと、心の奥底にしまいこんだままだった。正直なところ、交渉とか、契約とか超苦手だ。人付き合いが下手くそな俺は、そもそも他人とろくに喋ったことがない。故に高度なコミュニケーション能力が必要不可欠な交渉に場においては、俺は無能そのものだ。と、残酷な現実を掘り下げた俺は、苦々しい表情でため息を洩らした。


「どうかしたんですか?」


 落胆する俺が気になるのか、拳一つ分詰め寄って、上目遣いで俺を見る西園寺せつな。そこには、明るいTシャツよりもっと真っ白で汚れを知らないうなじが覗く。


「いやなんでもない」


 俺は負の感情を全て吐き出す勢いで息を吐くと、携帯を取り出して、グーグルを立ち上げた。スマホをいじる俺につられて西園寺せつなはもっと距離を詰めてディスプレイを凝視する。近い近い。フローラルのいい香りが俺の鼻をくすぐった。俺の部屋にいるときもいい匂いしたんだけど、さらに近づくと、パワーも刺激も増すものだ。


 俺は己を徹底的に戒めて、またぞろ口を開いた。


「こういう時は、ネットで調べるのが一番早い。家庭教師の相場っと」


 俺が慣れない手つきで検索欄に入力すると、早速、結果が表示される。やはり、情報社会がもたらす恩恵は素晴らしいものだな。タッチ数回で欲しい情報が簡単に手に入る。


「家庭教師の一般的な相場は、小学生の場合は、個人契約だと一時間あたり1500円から3000円、中学入試ありだと3000円から8000円」


 へえ、悪くない時給だな。と、新しい世界を知った子供のように目を光らせる俺。てか、死んだゾンビのような目をしているのに目を光らせるなんて矛盾しているような気もするがな。だから、今の俺って超絶気持ち悪いんだろうな?


 西園寺せつなも俺のキモさに呆れたのか、コメカミに手を抑えて深々しいため息を一つつく。


「あの、お金の話は別にどうでもいいんで、週に何回できるのか、何時間教えられるのかをまず話しましょう」


 おい、お金なめんなよ。世の中金だぞ。


 あの煌びやかなタワーマンションに住んでいる御令嬢様とあって、金に対する認識が違いすぎるのは仕方のないことなのか。


 俺は見えないけど決して越えられない壁を痛感しながら苦し紛れに言葉を吐いた。


「君の望む条件を言ってくれ」


 やっぱり、ここは普通の人間の意見を参考にした方が簡単で手っ取り早い。俺は、自分の口で言うのもあれなんだが、世間一般がいう「凡人」とはだいぶかけ離れは人間だ。ここはこの子の普通さにかけてみるか。いや持って。俺の働くコンビニにを嗅ぎつけて、尾行し、あまつさえ家に勝手に上がり込んだ時点で、この子も相当あれなんだが。

 

 俺がこの子の闇に触れて全力で戦慄わななくとニコニコしながらすっごい優しい口調で彼女は話す。


「普通に週7日で1日5時間程度欲しいんですね」


「ええ?」


 やっぱり、この子に「普通」を求めるのはやめよう。ていうか、笑顔なのに言ってる内容がひどすぎて、なかなかシュールだな。


 俺は戸惑いつつ首を横に振って反対の意思を表明した。


「残念ですね。では多めに譲歩して平日毎日5時間」


「普通に月水金の2〜3時間程度じゃダメか」


 俺は呆れた様子で畳み掛けようとする西園寺せつなを阻止すべく、自分が考えた条件を口にした。


「それだと、ゆきなちゃんの成績は上がらないと思いますよ!」


 切羽詰まった様子で手をブンブン振りながら俺の条件を全力否定する西園寺せつな。


「ていうか、この前、優秀な家庭教師に頼んだけど全部ダメだって言ったよね。それって、家庭教師の経験ゼロの俺がやっても結局成績上がらなくないか」


「あ、えっと、それは、へへ」


 意表をつかれたか、西園寺せつなは俺から急に目を背けて、誤魔化し笑いを浮かべる。おい。


「コンビニのバイトもあるから、そんなしょっちゅうできる体力もないよ」


「は、はい。そうでしたよね」


 ついさっきまでの勢い余った様子はかき消され、しゅんと落ちこんだ声音だけが俺の耳朶じだを優しく打つ。


「じゃ、毎週月水金、1日あたり6時間ってことで」


「時間増えてんじゃねか。3時間だ」


「はい」


 こいつ、もしかしてわざとやってんのか。


「というわけで、交渉成立ですね!早速ですが、来週月曜日からお願いしてもいいですか?」


「まあ、やるのは別に構わないけど、ゆきなちゃんって小学何年生なの?」


「5年生ですよ」


「そうか。それなら、受験勉強も兼ねてやらないとね」


「はい!全部コミコミでお願いしますね!」


「お、おう」


 いつしか元気を取り戻した西園寺せつは、すっとベンチから立ち上がると、俺の正面に移動いて俺を見下ろした。しばらくして、俺に向かって差し伸べられた手。逆光を浴びているので、コントラストの差によって彼女がどんな顔をしているのかは計り知れない。でも言葉だけが、声音だけが、音色だけが、彼女の気持ちと本音を代弁してくれていると、ふと俺にそう思わせた。


「契約成立ですね!」


「そうだな」


 俺は一瞬迷ったが、勇気を振り絞って彼女の綺麗な手に俺の手をそっと重ねて握手。人の温もりなんか頼りにならない。熱りが冷めると、気持ちも感情も泡沫うたかたと化すだけだ。しかし、近いうちに破綻するとしても、空中分解されるとしても、その一瞬を重んじるのならば、きっとそれは間違いとは言えないだろう。だが、俺はその一瞬に価値があるとは思えない。強いていうならば、勇足とか骨折り損という類のものだろう。


 人間は愚かであり、同じ失敗を繰り返す生き物だ。今の段階では、この美少女はおそらくそれを知らない。けど、そう遠くないうちに、彼女が知ってしまったら、気付かされてしまったら、俺は、俺はきっといつもと同じ行動を取るだろう。

 

 異なるDNAを持つ手を手が繋がり、全く干渉しない独立した二つ調べは、ほんの一瞬、調和する。でも、やがて完全に外れていつもの不協和音に戻ってしまう。それだけの話よ。


 あ、そういえば、お金の話まだしてなんだけど?

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