第22話 藤本悠太は本音を言う②

 いつだって俺は本音を必死に隠してきた。いつからそうなったのかと聞かれると俺ははっきりと答えることができる。




 遡る事、小学校6年生。




 俺のイジメ生活は完全にルーティン化している。まずは、俺が学校に登校して下駄箱を確認すると、牛乳や、汚いものがいつも入れられている。裸足でクラスに入ると、俺を虐めるグループが俺の席でだべっていた。朝礼まではだいぶ時間があるから人数も少ない方だ。殴られるには丁度いい時間帯だ。彼らが俺に気づいて近づいてくる。俺は逃げようとするが、虚弱体質だった俺には抗うことが許されない。多勢に無勢だ。たとえ強い人であっても、6〜7人を同時に相手するのは物理的に不可能に近い。

 

 いつもの殴られタイムが訪れる。周りの人はチラチラと一瞥するだけで、関わろうともしない。とても賢い判断だ。なにもせずに、知らんふりを決め込むのは彼らにとっては当たり前だろう。

 

 だからこの地獄のような時間を今日が終わるまで耐えよう。今日が終われば明日、明日が終われば明後日。その次は休みだ。こういう日常がひたすら繰り返される。


 家に帰っても俺は心穏やかでいられない。家はいつ倒れてもおかしくない狭苦しいアパートで、お父さんとお母さんはとても仲が悪い。


『ただいま』


 挨拶をしても誰も返事をしてくれない。だって、この家には俺一人しかいないから。早く宿題を終わらせるべく、カバンを開けてみる。


『あ、』


 教科書と宿題の資料などが破られている。俺が知らない間に誰かがやらかしたんだろう。宿題は無理だな。少し寝ようか。


 瞼が重くのしかかって俺を眠りへと誘った。


 睡眠は実に素敵な行為であると同時に残酷である。なんでもかんでも忘れさせてくれるし、眠りから目が冷めると辛いイジメが待っているんだよと、俺に知らせてくれる。


『悠太!』


 どれくらい時間が経ったんだろう。お母さんの甲高い声が目覚まし時計の代わりに俺を起こした。窓を見ると、すでに夕日独特の赤色の光が差し込んでいる。


「家にきてすぐ寝ちゃったの?夜眠れなくなるからほどほどにね?」


 お母さんの指摘を受けて、まだ覚めやらぬ目を擦って頷いて見せる。しかし今日の俺は一味違う。今、俺を取り巻く現状を変えるために頑張るのだ。問題の原因となる要素を潰せばイジメはなくなる。だが、物事にはタイミングというものがある。機が熟したら俺の願いをお母さんに話そう。夕飯の時に。

 

 今日の晩御飯はスーパーのタイムセールで買ってきた弁当。お母さんは働いているため、食事を直接作ることは滅多にない。そのため、いつも外で食べるか、スーパーで安い弁当やパンなどを買ってきて食べるようにしている。


 しかし、今日はあまり食が進まない。俺は物心ついてから、要求や要望を他の人に伝えるのは初めてだから。多少なりとも緊張している。


『お母さん』


『うん?なに?』


 言うのだ。俺の胸の内を!本音を!


『学校行きたくないから、来月から行かなくてもいい?』


 言った!やっと俺の本音が言えた!


 言葉では言い尽くせない謎の達成感を感じながら、俺はお母さんの顔を遠慮がちな目で見る。


『何言ってんの!そんなバカなこと言わないで早くご飯食べろ。何を言うのかと思えば、二度とそんなこと言っちゃダメよ?あと、学校サボる悪い子にはご飯もあげないから』


『はい』


 俺が撃ち放ったか弱き抵抗はこうして幕を閉じた。この出来事以来、イジメはずっと続き、俺は自分の本音を言うのを極力避けている。




 だから、ある意味、俺に本音を言わせたこの西園寺せつなという女の子には敬意を表す。しかし、不思議なのは、西園寺せつなと妹のゆきなちゃんの瞳は、俺をいじめてきた連中と、会社の上司とは違う色をしているということ。色彩学的な可視光線の話ではなく、もっと根本的に違う何かが感ぜられる。


 ゆきなちゃんがウルウルとした目で「ふじにいちゃんは、ゆきなたちのこと嫌いなの?」と言ってから数秒が経っている。俺はもうすでに本音を言ってしまっている。つまり、さいは投げられた。答えねば。結果はあまり期待しないが。


「ああ、俺は君たちが嫌いだ」


 俺の表情が西園寺せつなの瞳に映る。そこには、怒りや復讐心のような感情は一切ない。無機質にも似た冷たい顔した藤本悠太という観測者だけが虚な目で明後日を見つめるだけ。


 

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