第19話 藤本悠太は「逃げ」の達人である

 どうして、西園寺せつなは俺の卒業した大学名と主席で卒業をしたという事実を知ってるんだ。頭をフル回転させてもそれっぽい答えは出てこない。焦燥感が俺の全身を駆け巡るのを感じつつ、俺は戸惑い気味に西園寺せつなの顔を見た。彼女は自信に満ち満ちた面でさらに捲し立てる。


「やはり、事故現場でお会いしたときから薄々気付いたんですよ。私、大学へ見学に行った際、体育館で藤本さんが主席卒業の賞状をもらうところ偶然見かけてずっと気になってました」


 西園寺せつなは目を輝かせてさらに熱弁振るう。


「あの頃は、なんと言いますか、すごく輝いていてるように見えました。けど、今は、目が死んだ魚のようになっていて見間違えるところでしたね!」


 笑顔で言っているけど、言ってる内容が酷すぎるだろ。自覚はあるんだが。


「一言多いぞ」


 俺がコメカミに手を当てて思い煩っている反面、ゆきなちゃんは、はてなと小首を傾げてお母さんに質問する。


「首席?なにそれ?」


 愛くるしい娘のかわいい質問を受けて、にこぱっと笑う西園寺京子さんは、ゆきなちゃんの艶やかな黒髪をひと撫でしてから優しく説明を始める。


「学校通して一番いい成績を収めた人のことだよ。ゆきなちゃん」


「ええ!すごいね!ふじにいちゃん!」


 ついさっき俺にガッカリしたゆきなちゃんは、またぞろお目々を流星のように輝かせて嘆息を漏らす。


「本当すごいね!ってことは、せつなの先輩ってことだよね?」


「そ、そういうことになりますね」


 お母さんの言葉に西園寺せつなは頬を赤て目を逸らした。完全に恥じらう乙女表情そのものだ。俺と面識あるのがそんなに恥ずかしいことなのだろうか。まあ、そうだろうな。


 いきなり自分の手が震える。正直、俺は畏怖を感じている。自分の過去のことを知っている人が目の前にいて、もし、俺が虐められてる中で晒した恥ずかしい顔まで知っているとしたら、きっと俺のことを心の中で貶して嘲るに違いない。だから震えが止まらないのだ。しかし、俺は冷静になるべきだ。この子が俺の恥ずかしい過去を知るわけがない。いや、知っても構わない。もうこの人たちと関わることはないから。大丈夫。ここは学校ではない。その気になればいくらでも逃げられる。俺を閉じ込めて出られないようにした連中は、ここにはいない。落ち着け。落ち着け。早くここから出よう。


「藤本さん、どうかしたんですか?」


 落ち着きを取り戻すべく、深呼吸を繰り返しす俺の様子を変に思ったのか、心配そうな顔で聞いてくる西園寺せつな。


「大丈夫です。俺、もうそろそろ帰りま、」


 今度こそ、最後まで言うのだ!


「藤本くん、ゆきなの家庭教師になりなさい」


「は?」


 なんじゃこれ!2回も話を遮られた!なにこの家族。切るの得意なの?得意なら俺との縁もバッサバッサと切ってくれ。


「ゆきなの家庭教師をやってくれ」


「いや、ちゃんと聞こえたから2回言わなくても結構です。ていうか、なんのつもりですか?!」


 この状態が続くと思考停止状態になってしまいそうだ。だが、おじさんは途方に暮れている俺なんかどこ吹く風と話の続きを語る。


「ゆきなの成績が日を追うごとに落ちている。だから優秀な家庭教師をつけることにしたのでね。君が適任だと思う」


「そうね。国立難関大学を首席で卒業した頭脳を持っているから、スペックとしては申し分無しね」

 

 おじさんの説明を補うかのように西園寺京子さんが付け足す。


「素敵ねすね!命を救ってくれた白馬の王子様が家庭教師になってくれるなんて」

 

 西園寺せつなが嬉々としながら一人で勝手に感傷に浸る。白馬の王子ってなんなんだ。汚らしいゾンビの言い間違いだろ。


 西園寺夫妻と長女に煙に巻かれたけど、俺は屈したりはしない。


「いや、だから俺は家庭教師になるとは一言も言ってませんよ」


 語気を強めて反対の意思を剥き出しにする俺。そこへ、トドメをさす最終ボスが現れる。


「ふじにいちゃん。家庭教師なってくれないの?」


 丸っこい瞳をウルウルと潤ませるゆきなちゃん。親に欲しい物をねだる時の子供みたいな、純粋で愛くるしい場面だ。並の人間だったら即折れることだろう。しかし、俺は違う。子供も所詮人間。目的を達成するために、自分の可愛さを駆使して力ある者の心をゆさぶる行為は、あたかも魔法に似ている節がある。英語で言えばマジック。イタリア語だとマジーア。語源はバビロニア帝国で使われたマゴス。なんで全部カタカナなの。日本人はわからん単語あればなんでもかんでもカタカナ表記するところあるよね?


 とにかく、ダメなものはダメ。心を強く持たないと。


「ダメです。ていうか、もう遅いし、帰ります」


「えっ?」


 俺は短く言い放つと、いそいそと席を立って逃げるように玄関へ向かった。俺のすばしこい行動に西園寺家の人々はたまげたらしく、挨拶どころか、そのまま固まってしまった。目を瞬くことすら忘れているようにも見える。なので俺はなにも言われないまま外へ出ることができた。

 

 幸いなことに、エレベーターも近くにあったので、ボタンを押したらすぐ俺のいる階に到着した。それを確認した俺はダイビングでもするかのように飛び込んでドアを閉めた。これでよし。これからいつもの日常が始まるのだ。イレギュラーな出来事は今日だけで事足りる。

 

 階数表示のLEDランプを見てスマホを取り出す。そしてLINEアプリを立ち上げた。


「アカウント削除っと」

 

 西園寺姉妹によって半強制的にインストールした禍々しい存在がいよいよ封印される。


 エレベーターは俺を1階に無事に運んでくれて、鼻歌を歌いながらエントランスホールを通り抜ける。ようやく外へ出ることができた。俺は地面を思いっきり踏みしめて満足げな笑顔で呟いた。


「空気がうまい」

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