第5話 火と煙の電車の中で

『人は何かを成すために生を受けて、成し終えた時死んでゆく』


 昔ハマっていた格闘ゲームのボスキャラが勝利した後に口にするセリフだ。


 俺は幼稚園児だった頃からずっと自分は何のために生まれたのか、何をなすために生きているのかを考えた。


 毎日毎日同級生から殴られて先生からも見捨てられて生きる喜びを失った俺はいつも理由を探し求めていた。俺の存在価値。俺を俺たらしめるもの。


 家族からも理解されることもなくこの痛みを誰も分かってくれない。俺は屠殺場に連れていかれる牛や豚のような存在なのだろうか。それらの動物は美味しい肉という価値あるモノを人に提供する。ならば俺も同じく肉体的暴力、言葉の暴力を受けて磔にされることによって彼らに快楽を与える生贄に過ぎないだろうか。と幼稚園児の俺はそう思った。


 しかし、今は人との関係を完全に経つことに成功したから、イジメにあうことはない。なのに今こうやって生きている。


 俺は一体何のために生きているのか。これは極めて難しい論点で頭のいい哲学者たちが頭を振り絞っても見いだせずに死を迎えるほど難解だ。


 だからもし、自分が死んで、今までの行いによって審判を受けるとしたら、自分の妥当性を主張できる判断材料が一つくらいはあったほうがいいのではないのかと考えている。


 これはいいチャンスだ。

 

 俺は燃え盛る駅へ繋がる入り口の中に入って階段で下まで降りた。別に自殺とかそういう類のものではなく、あくまで「何かを成して」「死ぬ」という一連のプロセスに則っての行動。


 ゆきなちゃんという女の子がいる正確な場所は知らない。ひょっとして誰かさんによって助かった可能性もあれば、自力で脱出した可能性もある。あるいは、ここまでにしておこう。


 俺はここら辺の地理には詳しい。生き字引といっても過言ではない。確か、駅の職員に阻止された女の子はゆきなちゃんという女の子が電車の中にいるとか言ったな。だとしたら電車があるところを探すのが手っ取り早い。しかし、三ノ宮駅は広い。電車も多いし、しらみつぶしに探したらきりがない。


 避難してきた人はきっと最も時間のかからない道に沿って逃げたはずだ。この仮定が正しいのであれば、俺が入ったあの入り口から最も近い電車から当たってみよう。そう判断した俺は走りながら電車へと向かう。


 はやる心を落ち着かせても、心拍数が早くなるのを感じる。恐怖を感じるときも動悸が激しくなるが、今の気持ちは昔さんざん経験した恐怖とは違う。


 煙が充満した駅構内に入ると、電車が何本か止まっている。煙で視界が妨げられていてよく見えないが、輪郭は見えてくる。火で車両の大部分が燃え尽くされていた。しかし、勢いよく燃えているわけではないので、びしょ濡れになっている今の状況なら中を確認することができる。と踏んだ俺は素早く電車の中にいるかもしれないゆきなちゃんを探すために足を踏み入れる。


 1本目の電車は何もなかった。2本目の電車に突入。


「あ、」


 助からなかった死体が見える。しかし幼い子供のような形をした死体はない。名状しがたい匂いに顔を顰めて3本目の電車に入ろうとした瞬間。


「助けて、ください、」


 か細い声音が俺の耳の中に入った。普通なら聞き逃す程度の小さき声だが、まるで耳打ちでもしたかのように鮮明に脳裏に刻まれるような感じだ。

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