第202話 重なる景色、重なる願い
「おはよ、雫。今日は早起きして私が朝食作ったの。顔洗って一緒に食べよ?」
幸せに囲まれた毎日。あなたの笑顔から始まって、おはようの挨拶で動き出す毎日。
「今日も暑いけど曇ってるし、かき氷食べに行かない? フワフワのやつね♪」
形あるものも……
「夏だけどこうして手を繋いでると……ふふっ、不思議。暑くなくて、温かいね」
無いものも……
「雫、大好き」
溢れる程、あなたから贈られる毎日。
私からもあなたに…………でも何を贈ればいいのか分からなくて……今できることの精一杯。指を絡ませて、背伸びをしてあなたの頬へキスをした。
◇ ◇ ◇ ◇
せっかくだから、形がありあなたの心の中で残り続ける何かを贈りたい。
でも、そんな都合のいいものは中々見つからず……夜半、家計簿を付けながら鉛筆をおでこに当てて考えていると、寝室から晴さんがやってきた。
「ふふっ、なんだか眠れなくて」
「明日はお仕事早いんですよね? 困りましたね…………では、少し待っててくださいね」
鉛筆を机に置き、二つ準備をしてあなたの手を引き寝室へ連れ戻した。
LED照明を消し、蝋燭の灯りが優しく寝室を包み込む。その間口ずさむのは、母から聴き継いだ子守唄。
水を浸した皿の上に、あなたと作ったエッセンシャルオイルを数滴垂らす。それを下からランプで少しずつ温めると……優しい私達の香りが漂い始める。
横になったあなたの頭を優しく撫でていると、ねだるように見つめられ……その愛しいおでこにキスをして、前口上を唱える私。
「さてさて、こんな真夜中に起きているのはいったい──」
それは、その場で作り出す即興のお伽話。
あなたはこれをとても好いてくれて……分厚い本が作れるのではないかと思う程作られては、あなたを夢裡へと連れて行った話の数々。
その時とあることが閃いて……寝息を立てているあなたに重ねてキスをして、リビングへ戻り鉛筆を走らせた。
◇ ◇ ◇ ◇
あの夜から二週間。合間を縫ってなんとか完成したけれど……このままでいいのだろうか。せっかくなら、あなたに贈る物としてちゃんとした……そう思い悩んでいると、我が家の呼び鈴が軽快に鳴り響いた。
「こんにちは。私のほうが早かったかな」
晴さんのマネージャーである栞さんが、大きな紙袋を片手にやってきました。ひょっとして、栞さんなら…………
「これヒナの忘れ物ね。じゃ、宜しく」
「あ、あの栞さん……み、見ていただきたいものがあるのですが……」
「………………へぇ、よく出来てる。これ雨谷さんが作ったの? まぁ本当に器用っていうか…………うん、これ売れると思う。知り合いに頼んで──」
「そ、その……世に出したい訳ではなく、キチンとした物に仕上がればと思いまして……つまりその……」
次第に晴さんのバイク音が聞こえ、顔が真っ赤になる私。意を汲んでくれた栞さんは晴さんの忘れ物が入っていた紙袋を逆さまにして、私の見せた物を隠すようにその中へ入れてくれた。
「一週間頂戴。郵送するから、ヒナに見られないようにね?」
私の頭を優しく撫でて振り返る栞さん。
タイミングよく晴さんが玄関ドアを開けると、おでこに指を弾いてあどけなく栞さんは笑った。
「いきなり何するの……っていうかなんで栞がいるの?」
「アンタの忘れ物届けに来ただけ。じゃあ雨谷さん、ヒナのこと宜しくね」
私にも優しくデコピンをし、片目で目配せをして栞さんは帰っていった。
◇ ◇ ◇ ◇
幼かった頃、お風呂へ入り髪を乾かして寝室へ行くその時間が待ち遠しかった。
【おかあさん、きょうはなんのえほんをよんでくれるの?】
【ふふっ、今日は……うん、“飛べ!カブトムシ”にしようかな】
ふわふわの布団とシャンプーの香り。
お母さんの優しい声、珈琲を飲みながら見守るお父さん。捲られる頁の音が心地良く、いつの間にか夢の中。
そんな在りし日のように……風呂上がり、オイルを髪に馴染ませ乾かした晴さんは、嬉々として寝室にあるベッドへと飛び込んだ。
「ねぇ雫、今日はどんなお話を聞かせてくれる?」
そんな在りし日の……お母さんの視界が重なって見える。
「ふふっ、今日は…………今日からは、これを読みましょうか」
真新しい絵本を手に取って、あなたに見えるよう膝の上に置いた。
あなたの為に描いた、世界に一つだけの絵本。
少しだけ……声と手が震えてしまう。もし受け入れてもらえなかったら……
そう思い横目であなたを見ると……より鮮明に、視界が重なる。
あなたは目を輝かせ、これからどんなお話が始まるのかと心躍らせていたあの頃の私の様に……絵本と私を交互に見つめながら、頁が捲られる瞬間を待っていた。
この須臾の……全てが愛しい。
あなたのおでこに優しくキスをして、物語は始まった。
❖
『雨の国に住むしーちゃんは、今日も空を見上げていました。どうして──』
それは、雨の国と
『陽の国に住むひーちゃんは、今日も空を見上げていました。どうして──』
自分の国には無い、違う色の空を求めて旅をする二人。そんな二人の性格は正反対。雲の国で出会うけれど、喧嘩ばかり。
啀み合いながらも、雲の国で困っている人達を手助け人助け。
雲の国から次の国へは一本道。仕方なく、二人は共に旅することに。
霧の国、雪の国、闇の国、光の国。それから、遠い遠い果てにある、星の国で出会った女神様。
行く先々で沢山の人助けをしてきた二人に、女神様はご褒美としてどんな願いも叶えてくれることに。
『しーちゃん(ひーちゃん)の願いを叶えてあげて』
二人の言葉に微笑む女神様は、一つの卵を手渡した。それは、二人が望む大切なモノが出てくる卵。
喧嘩ばかりしていた二人なのに、何時しか仲良し小好し。
手を繋ぐ二人の間には虹ができ、虹の国を作った二人は、何時までも幸せに暮らしました。
❖
絵本を閉じるその瞬間、あなたは子どものような声で私に問いかけてきた。
「二人の卵はどうなったの?」
あなたの頭を優しく撫でながら絵本を閉じ……その背表紙を見せると、あなたは微笑んだ。
「ふふっ、何が出てくるんだろう」
卵にヒビが入り、驚く二人の背表紙。
目を閉じながら……あなたは愛らしく呟いた。
「……ねぇ、雫は何が出てきたと思う?」
「ふふっ。実は私の中では薄っすらと決まっていましたが……そこは空白にしておこうかなと思いまして」
「じゃあさ、せーので言い合わない?」
どうしても、物語の二人をあなたと私に重ね合わせてしまう。だからもし、あなたが描く未来と違ったら……それが怖くて、空白にした結末。
「せーのっ──」
あなたの掛け声。共に発した言葉は……同じ声色、同じ言葉のユニゾン。
何もかもあなたの前では杞憂なのだと、幸せが溢れ出し頬を伝っていく。
お互い同じ顔をして微笑み、おでこを重ねて唇が触れ合った。
そんな私達の卵が割れるのは……もう少しだけ、未来のお話。
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