第203話 恋乃知秋


 明方、ベッドから落ちて目を覚ました私はそのままリビングへ向かう。

 まだ朝日が届かずほんのりと暗いリビング。その窓際では、彼女が湯気立つ珈琲カップを片手に愛らしい瞳で庭を眺めている。

 時折湯気で曇る窓にハートマークを何度も重ね書きし、その中央に私の名前を刻んでいた。

 

「おはよ、雫」

 

「お、おはようございます。今日はお早いんですね」


 一瞬窓のマークを消そうとした彼女だったけれど……消したくない気持ちが強いのか、消さず顔を真っ赤にさせながら私の下へ駆け寄ってきた。 

 そんな彼女が只々愛しく、強く強く抱きしめる。

  

「早く雫の顔が見たくて起きちゃった」


「…………私もです」


 私の寝顔を見て始まる一日が幸甚の至りだと常々言っている彼女。

 窓に薄っすらと残っているハートマークが目に入り、堪らずソファへと抱きしめながらなだれ込んだ。


「窓の外、何か見えてた?」


「木に止まっていた鶺鴒せきれいを見ていました。今時分は白露の次候、鶺鴒鳴せきれいなくですが……昨今は暑さが長引いてますから、中々実感出来ない時節柄を感じてみようと思いまして……」


「ふふっ、それで半袖半ズボンにネッククーラー付けて珈琲飲んでたんだ?」


 おでこを擦り付け、互いを見つめ合う。

 チッチッと鳴く鶺鴒。一段と顔を赤くさせる彼女。


「あのハートマークと関係あるのかにゃ?」


「あ、あれはですね、その……えっと…………わ、笑いませんか?」


「笑わない。こういう時、笑った事ある?」


「…………多々あります」


 どんなに恥ずかしくても目を逸らさない彼女。

 感情を通り越してでも、私への想いを貫いてくれる。ありがと、雫。それから──


「ふふっ、ごめんね。聞かせてくれる?」


「……鶺鴒は日本神話に登場する伊邪那岐いざなぎ伊邪那美いざなみに恋を教えた“恋教え鳥”なんです。私にとってその存在は晴さんなので……あなたに教わったこの恋を心の中で辿っている内に、自然と指が動いてしまいまして……」


 言葉尻、再度彼女を強く抱きしめた。

 出会ったばかりのあの頃のように頬同士を重ね合わせると、彼女は星のように目を煌めかせながら……再度顔を赤くさせる。


「ふふっ、私も初めての恋なんだよ? 私が教えたんじゃなくて……雫と、二人で一緒に知っていったんだから」


 恥ずかしそうに、どこか嬉しそうに小さく頷く彼女。

 見つめ合い唇を重ねるとする、彼女の香り。恋の味。


 恋が何なのか。どんな味なのか、匂いなのか。

 色も形も分からなかった私達。

 まだその道すがらなんだろうけど……彼女と過ごす毎日が恋で溢れている。

 春も夏も秋も冬も……全てが彼女と紐づいている。だから彼女は季節を、私を、恋を感じたくて七十二候を大切にしているのだろう。 


 そう思い、辿る記憶。

 去年の今頃は何をしていたのだろうか。一体どんな恋だったのか、それはどんな──


「……今、何を考えていますか?」


「ふふっ、去年の恋の味。どんな感じだったのかなって」


「…………これで分かりますか?」


 柔らかな唇が触れて思い出す、一年前の恋の味。それは、秋はまだかと空を見上げていたあの日。

 でも……とぼけた私は彼女の好きな顔で見つめ、ねだるように囁いた。


「まだ分からないから……もっとちょうだい?」


 真っ赤な顔で健気に私の手を引き、思い出させるように窓際でキスをしてくれた彼女。


 吐息で曇る窓ガラス。

 薄っすらと現れたハートマークを上からなぞり書きすると……漏れる嬌声、飛び立つ鶺鴒。見上げた空に、恋乃知秋こいのちしゅう

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