第201話 貴女の女
「ふぇぇ………………」
薬指に光る指輪を眺める彼女を眺めて二時間。
時折甘い吐息を吐くと愛らしく微笑み……只々恍惚の表情をしている。
そんな彼女が只々、愛しい。
「おーっす、彩ちゃんだよ。あれ……雫、新しい指輪じゃん。見せて見せて」
妹の彩が我が家に遊びに来た。
そんな彩に、愛らしい顔で指輪を見せる彼女。彩がいなければ理性の限界で寝室に連れ去ってただろう。
「これはですね、スペイン古城の麓で晴さんにいただいた……ふふっ、婚約指輪なんです」
「何を今更……とっくに婚約状態じゃないの? まぁいいや。晴姉はなんてプロポーズしたの?」
彩に聞かれ、目を逸らしてしまう。
チラッと彼女を見ると、耳まで赤くさせ薬指を握りしめていた。あれ以来、思い出す度にこんな感じで瞬間湯沸かし器になる彼女。
まぁ……本当は私から言いたかったし悔しいから改めてどこかで言うけど。
「そ、そのですね……私から……わ、私の……」
「なんか癪に障るから言わなくていいや」
そう言って彩は私の耳朶を抓ってきた。
大人びて……いつの間にか独り立ちした表情。
「雫泣かせたら横浜に連れて帰るから」
「私の実家でもあるんだけど?」
「しっかりしろって言ってんの……よっ!」
強く背中を叩かれ……ジンジンとその感覚が広がっていく。それは彼女を想う一人として、背中を押されていた。
「ふふっ、任せてよ」
◇ ◇ ◇ ◇
「日向さーん、指輪付けっぱなしですよー!!」
「ヒナー、早く外せー!!」
撮影直前。薬指にある指輪に気付いたスタッフと栞が私に知らせ、あっかんべーした私の下に鬼の形相をした栞が走ってきた。
その顔に思わず笑ってしまう。
「ふふっ、栞物凄い顔してる」
「アホったれ。嫌なら左手映んないように努力しなさい」
「強制しなくていいの?」
「そんな権限誰にも無いから。でもここにいる全員で仕事してること、忘れないで。アレの打ち合わせも今日あるんだからさっさと終わらせなさい?」
今朝の彩同様に背中を叩かれ鼓舞される。
見せつけるように左手を全面に押し出した私。長閑に笑うスタッフの声と、栞の拳が飛んできた。
◇ ◇ ◇ ◇
御盆、八月も折り返し。三つの山を越えた場所にある彼女の故郷では、号砲花火が山彦によって何度も行き来している。
恒例になった納涼祭。彼女は実家の縁側で山彦を聞き、手を合わせ目を瞑っていた。
「ふふっ、それはどんな意味があるの?」
「山彦は神様の所業ですから……今日は山の神様が見守ってくださっているので、感謝の気持ちを込めて手を合わせました」
随分と彼女のことを知った気になっていたけれど……全然、知らないことが多過ぎると鼻で笑ってしまう。それでも……焦る必要は無い。
まだ三年。これから何十年と、隣を歩いていくのだから。
ただそれが当たり前だなんて思わないから……彼女を真似て、手を合わせ目を瞑る。
「ふふっ。花火大会もありますし、そろそろ会場へ向かいますか?」
「ううん、まだ準備があるから。葵、ヨロシクね」
「はいはーい! じゃあまずこれに着替えて──」
長襦袢を着させられ困惑する彼女。私も同じ物を着て、隣で待機。
季節外れ、彼女は淡く雪のように美しい化粧を施されていく。
ヘアメイクに移った所で……疑問に思う。
「あれ? 和風にしないの?」
「最近は洋髪と組み合わせることの方が多いかな。ヒナちゃんが丹精込めて育てた雫ちゃんの綺麗な髪の毛を最大限活かしたいから……よし、こんな感じかな」
私と付き合い始めてから、彼女は髪の毛を伸ばし続けている。正確に言えば……葵の言う通り、雫は私のモノだと刻み込むように、毎日ヘアケアをしオイルと共に私の独占欲を染み込ませている。
「ふぇぇ……お洒落ですね……」
サイドは編み込み、肩よりも下に長く伸びた美しい毛には可愛らしい向日葵の花飾りが付けられていた。葵に見せたくない程に可愛い、私の恋人。
「さてさて、次はこれを着てみましょうかね」
葵が隠していた白無垢を彼女に見せると……甘く柔らかな吐息が彼女から漏れている。
両の胸元には、雨谷と日向の家紋が刺繍されていた。
「あ、あの……こ、これはどういった……」
「ふふっ、今日雫ちゃんには花嫁になってもらいます。ヒナちゃん、そっち持ってて」
誰にも見せたくない気持ちが強い。でも……皆に見て欲しい気持ちも強い。
私の恋人、私の女、私の雫だって……見せつけたい。
まだ桜が咲き始めた頃。今回の祭りを盛り上げる為、事務所と新市長であるお父さんとで計画をしていた。今回の話は……お父さんから持ち込まれたモノ。
【お父さん、ホントにいいんですか?】
【…………偶には歩む姿を見せつけるのもいいだろう。キミも雫も】
美しい白無垢と、つばの大きな白い麦わら帽子。そして白狐の面を被せられ……彼女は理解した。
【では雨谷様が白無垢で、日向様が袴ということでよろしいですか?】
【いや…………二人共白無垢でいいでしょう。その方が……あの子達らしさが出るかと。面と帽子も市の伝統工芸職人に──】
私も同様に白無垢姿になり、狐の面を手に取った。紐が絡まってしまい解こうとしていると……凛とした、雨谷の家紋が刺繍された袴を着たお父さんと、生まれて初めて見る着物姿のお母さんがやって来た。
お母さんは彼女の方へ行き手直しをして、お父さんが私の下へ来て面の紐を解いてくれた。
取れてしまった花飾りを付け直してくれ……温かくも不器用に口を開いた。
「花嫁という言葉……諸説ある中の一つで、人生を花に見立て一番美しく咲き誇るその瞬間を例えたものだが……私はどうも気に入らない」
「ふふっ、何でですか?」
私達の会話を聞き、気を利かせたお母さんが雫を隣へと連れてきた。
「容姿や年齢の若さが人の美しさとは思わん。他者から見てどんなに惨めで見窄らしくとも……身命を賭して歩み続けるその姿が美しいと私は思う。人も花も何時かは老いて朽ちゆく。しかし……朽ちゆくその瞬間まで、陽を求め咲き続けようとするその姿こそ、人も花も爛漫な刻なのだと思っている。今を精一杯生きなさい。……キミらしい、爛漫な晴になりなさい」
その眼差しの先、私の着物の胸元には……見慣れぬ家紋。それは雨谷でも、日向でもない。
ただ……懐かしむように、甘えるようにその胸元へ涙を流しながら顔を擦り寄せる彼女を見て、これが彼女の母の家紋だと理解した。
“
生きたくても生きられなかった、見たくても見れなかった今を精一杯抱きしめて……私らしく、晴爛漫に。
◇ ◇ ◇ ◇
宵の口、雨谷家の外では狐の面に着物を着た数十人が提燈を灯しながら列をなしていた。
それを先導する父と母、間に妹が入り……続く地元の子どもたちは鈴と小鐘を鳴らし、この地で古くから伝わる歌を歌いながら会場へ向かう。
私達が乗る人力車は俥夫を務める栞と葵がヒィヒィ言いながら汗を流している。
蜩が鳴き蛙が唄う田舎道に、蛍が煌く日曜日。
幻想的な狐の嫁入り大行列。沿道には数え切れない程の人々と、牧歌的なこの地には似合わないTVカメラ数台が賑わいを助長させている。
「さっきは言いそびれちゃったけど……雫、凄く綺麗」
狐の面を少しずらして、彼女の頬へキスをした。
田圃に波紋が広がり始め、土埃の匂いが湿気と共に昇っていく。大きな和傘を人力車に設置し、指を絡ませ肩を寄せ合った。
先に見えてきた会場から聞こえる花火大会のアナウンスと人工的な明かり。子どもたちが歌う独特な音階と提燈の灯りが混ざり合い……境界線が、ボヤケていく。
「ふふっ、なんだか面妖だね。あの歌はなんて歌ってるのかな?」
「暮も六つが過ぎれば心を懸けよ。常の世際目が濁れば大禍の刻。ゆめ見返らず居ぬるがよい…………これは歌詞の一部ですが、“謡歌”と呼び……神の意を伝える為に人の子に歌わせるものなんです」
そう私に伝えた彼女の背景。背負う山々は……大禍の刻、紫紺の空に染まりながら姿を変えていく。
本当に……この世ではない何処かへと繋がってしまいそうで、少し身震いをしてしまう。
「ふふっ。なんだか怖くなっちゃった」
振り返ると……列なる提燈の灯りが遥か先まで続いているように見えてしまい、慌てて視線をもとに戻した。
まるで親と夜道を歩く子どものように彼女の手を強く握ると……謡歌を口ずさんでいた彼女は私の頭を優しく撫でてくれた。
「古来より、人は目に見えぬモノや常識から外れた事象を神や物の怪の仕業と考えてきました。科学が発達し、そうした伝承の多くが解明されましたが……全て、というわけではありません」
彼女が狐の面に手を当て、口元だけを現れにさせる。妖艶に微笑む彼女の真紅の唇が、私の頬へ触れた。
「私の父は雨男、母は晴女だったそうです。では……二人の子である私は、何と呼べばいいのでしょうか?」
私の頬に付いた口紅の跡を指で拭い、それをまた自分の唇へと触れさせた彼女。艶めかしい仕草、霧雨舞う空に顔を覗かせる月光。
薄っすらと白虹が懸かり始めた狐の嫁入りに、私は心を奪われている。
「目に見えぬ……貴女へのこの想いは何と呼べばいいのでしょうか? ねぇ、晴さん?」
精霊馬に揺られ、御魂が還る盆の夜。
美しき妖狐につままれ……覚めない夢を魅続ける。
花火の音が、山彦により鳴り響く。
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