第199話 あなたしか見えない世界で
江戸城御門。半蔵門を横目に、晴さんはラジオ収録をされています。今日は三回分録音するそうで、ノコノコ付いてきた私は、晴さんのお仕事が終わるまでおまちを散歩中。
とある洋服屋、ショーケースに飾られた服を見て立ち止まる。
私達の最近の話題は専ら海外旅行。互いに気になる国や行ってみたい場所を話し合い、調べ、目を瞑り思い描いている。
今も私の頭の中には……ショーケース内にあるあなた色、柑子色の服を私が着て、隣にいるあなたは欧州縹色の空の下、私色をした露草色の服を靡かせながら微笑んでいる。
お洒落には興味……関心が無かった。
あなたと出会ってからもそれは中々変わらず、ただ端麗艶やかなあなたの隣に居たいが為に背伸びをして着飾っていた。
でも最近は……少しだけ、お洒落の楽しみ方が分かってきた気がする。
勿論こんなおまちのお洒落なお店は緊張して目が泳いでしまうけれど、でもあなたとの時間を目一杯楽しみたいから……拳を軽く握りしめて店内へ。
「ふぇぇ……」
案の定、おまち特有の雰囲気に飲まれてしまう。入店するや否や、店員が近づき話しかけてきた。だ、大丈夫……晴さんに言われたことを思い出して……
「あ、あの……ひ、一人で見れますので……」
うん、よく言ったよ雫。
声が小さかったのか何故なのか、店員はニコニコしながら私の側から離れなかった。
俯いていると、何時しかその気配はどこか消え……店の奥で聞こえてくる聴き慣れた声二つ。
それから……私の横には、嗅ぎ慣れた空気が一つ。
「可愛い服。丁度青と橙二色あるから……ふふっ、お揃いで買っちゃう?」
本当は……一人で不安だったんです。
あなたがいなければ、おまちにいるだけで辟易してしまう。乗り越えなくてはいけないことだとは思うのに……今のままで、それでいいんだと、甘えてしまう。
だって……そんな時、あなたはいつだって隣にいてくれるから。
「……お仕事はもう終わりですか?」
「うん、何故か栞と葵が付いてきちゃったけど」
「ではもう少しこのまま密着していても……いいですか?」
「ふふっ、勿論。ごめんね、雫。ありがと──」
優しくおでこにキスを貰うと、ここが東京のおまちだと忘れてしまう程に……あなたしか見えていなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
皇居をぐるりと迂回して、東京駅を越えた先にある栞さん行きつけのもんじゃ焼き店。
下町と呼ぶだけあって、私でも落ち着けそうな場所。密集した民家の中にポツンと佇むお店です。
「葵、私もんじゃ作ってるからこれ混ぜといて」
「ほーい」
ほんのりと汗をかいたステンレスグラスの中でカラカラと鳴る氷。エナジードリンクなるものと日本酒を混ぜる葵さん。
まぶたが重いのか、眠そうな顔でもんじゃ焼きを作っている栞さん。
演歌が流れる店内で皆の飲み物が揃うと、栞さんは私のグラスに軽くぶつけて乾杯してくれた。
「ハーーッ…………やっぱコレよ。葵、おかわり作って」
「シオちん、言っちゃなんだけどさ、ババァを通り越してジジィだよ」
「うっさいわね。雨谷さん、これ見といて」
手渡されたのは手作りの冊子。
隣で覗き込む晴さんにドキドキしてしまい、耳が熱くなる。
中身は…………えっ?これって──
「あ、あの……これは……」
「栞ちゃん特製、旅のしおり。それ作るのに三日徹夜してるのよ?」
「シオちん、徹夜自慢程みっともないものは無いよ」
思い切り頬を抓られる葵さん。
渡された冊子には、非常に細かいスケジュールが書かれていた。私達が行きたいと言っていた場所が殆ど載っていて……食事をする場所は都度複数箇所から選べるように書いてある。
泊まる場所も指定され、日数は予定よりも多い十四日間。
「栞、ありがたいんだけど……車で移動になってるけどこれタクシー?」
「馬鹿ね、私が運転するのよ」
「私はナビゲーターだよ」
「あ、あの……話が少し見えづらいのですが──」
私の言葉を遮る様……栞さんは真剣に、でも温かな瞳で私を見つめ優しく頭を撫でてくれた。その手のひらから、栞さんの心馳せを知る。
「雨谷さん、海外はあなたが思ってる以上に怖い場所なの。可愛い女の子が二人だけで適当に旅行したらどんなことになるか……分かるでしょ? あなた達の行きたい場所も安全も、両方確保出来る方法はこれが一番だと思うの」
「シオちんイタリア語が堪能なんだよ。私はね、今頑張ってフランス語の勉強してるんだ」
「アンタ来る必要あるの?」
「私だって海外旅行したいもん!!」
追いつきそうで追いつけない思考。
間の抜けた問にも、栞さんは笑顔で答えてくれた。
「あの……どうしてこんなにも思慮してくださるのでしょうか……?」
「あなたと一緒にいると楽しいから。他に理由、必要?」
伝う涙……拭う必要はなく、晴さんが優しく抱き寄せてくれた。
あなたしか見えなかった世界……それはよく見れば、沢山の大切な人たちに見守られている。
見回してお辞儀しようとすると……いつだってあなたは私の両頬を手のひらで挟み、唇を塞いで「私だけを見て」と瞳で語ってくれる。
今もこうしてあなたに唇を塞がれると……栞さんと葵さんの燥ぐ声や店内に流れる演歌、鉄板の焼ける音さえも聞こえなくなり……私の……私の友が見守る中、あなたしか見えない世界で私達は微笑んでいる。
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