第194話 古琴之友の輪の中で
「ヤバっ、今日までだったっけ」
鞄を整理していた晴さんが慌ててカレンダーと手元の葉書を見返しています。
お出かけの予感。手早く洗い物を済ませ、エプロンを脱いだ。
「もしもし、栞? あのさ、今日なんだけど──」
個人の自由ではあるものの、外出する時はマネージャーの栞さんへ一報を入れます。期限が迫っている言い方だったから、何か提出しにいくのかな……? お出かけ用の服へと着替えてリビングに戻ると、晴さんが両手を広げて待っていた。
駆け寄る前にあなたから来てくれて、強く強く抱きしめられた。
「雫、準備出来た?」
「はい、バッチリです。どちらに行かれますか? 郵便局でしょうか?」
「ふふっ、免許の更新だよ」
「では警察署へ……」
「音も葉もない噂流されても困るから免許センターに行けってさ。二人も途中で乗せてくから早めに行こっか」
「二人……ですか?」
◇ ◇ ◇ ◇
と言うわけで、栞さんと葵さんが車の後部座席で騒いでます。とりわけ、珍しく葵さんの方が高揚しているみたいです。
「葵、お店はいいの?」
「うん、若い子に任せてるから。いや、私も若いよ? でも後進の育成っていうか──」
「ババァがなに若作りしてんの? 自分のことを若者だと思い込んでる時点でその線引から外れてるんだけど」
「わ、若いもん! 色々ケアしてるからシオちんより肌綺麗だし、シオちんみたいに味気無い格好してないし──」
「若者ってのはね、何にもしなくても若いの。アンタはババァ。私は可愛いからお姉さん。分かる?」
「私だって可愛いもん!! ねぇ雫ちゃん、私可愛いよね?! 若いよね!!?」
「葵さんはお若いですし、可憐でお洒落なおまちのお姉さんだと思ってます」
「へへっ、どうだ!」
「若い子に気を遣わせて……哀れね、葵」
「なんだとこのババァ!!」
いつも以上に明るい車内。お二人共とても素敵ですが、どうしたら伝わるのか考えていると……赤信号。私の頬を優しく触り晴さんは後部座席へ振り向いた。
「まぁまぁ、何時かは皆んな年老いてくんだから。でもさ、栞も葵も二十歳の頃から私と一緒にいてくれてるでしょ? 例えオバちゃんになっても……それだけ同じ時間を過ごせてるんだから、それでいいんじゃない? 私は幸せだよ」
「……ホント、よく躾けられたものね。余程飼い主に懐いてるのかしら」
「シオちん嬉しいくせに照れ隠ししてや──」
葵さんの頬を思い切り抓る栞さん。笑いながら抓り返す葵さん。
あなたの一声、あなたの微笑みが……春風駘蕩、爛漫な花を咲かせる。本当に……素敵な素敵なお人。私の恋人。
四人仲良く流行歌を歌いながら、目的地へ到着しました。
「着いたよー!!」
「ふふっ。葵さん、今日は上機嫌ですね」
「そうだね。葵、免許センター来たこと無いの?」
「だって免許持ってないもん。雫ちゃんも車の免許無いよね? 一緒に行こ──」
私の手を引き足早に入口へと向かう葵さんを、文字通り首根っこを押さえ耳朶を抓る栞さん。
「勝手な行動しないでくれる? アンタどこ行くつもり?」
「ふっふっ、シオちんその歳で知らないの? 免許センターでは自動車学校に行かなくても一発試験で免許を取れるんだよ」
「アンタね……まさか本当に一発で取れると思ってるの? 仮免試験受けて路上で練習して本免試験受けるのよ?」
「えっ!? じゃあ今日免許貰えないの……?」
「その歳で知らないの?」
入口のベンチで項垂れる葵さん。
それを見て笑いながら葵さんの手を引くお二人。
少し後ろから、三人の後を追いかけた。
◇ ◇ ◇ ◇
「さぁ始めるよ。ヒナはとっとと更新しちゃいなさい」
腕を組む栞さんと少し萎れている葵さん。
その手には四角くて黒い機械?が握られていた。
「あの、それは何の機械でしょうか……」
「これ? EMP発生装置よ」
「……ふ、ふぇ?」
「ヒナの肖像権を守る為にね、言う事聞かない人のスマホをぶっ壊すの。ほら、さっそくスマホ向けてる──」
若者二人組に向かって走っていく栞さん。
口論になっているのか、栞さんは容赦なく機械を使っている。
「アレ作るの大変だったんだよ? シオちんと二人で作り方調べて……シオちんの仕事用のスマホを二台も壊しちゃって、二人して会社に謝りに行ったの」
「…………何時も思いますが……マネージャーというお仕事は本当に大変なんですね」
「こんなのマネージャーのすることじゃないよ?」
「えっ? で、ではどうして……」
「ふふっ、友達だもの。ヒナちゃんと雫ちゃんには何時までも笑っていて欲しいから」
輪の中、その少し外側から一緒にいさせて貰っている……そう思っていた。旧知の間柄に入れるなんて、そんな烏滸がましいことは考えられなかった。
でも……ほんの少し、前に出てみよう。
輪の中に、その線を跨いで──
「あ、葵さん! 今から試験受けましょう! まだ間に合います! 今日合格して、また来ましょう。その……四人でまた……」
尻込みする私の言葉を繋いでくれるように、葵さんは私の頭を撫でてくれた。
遠くで受付をしながら見てくれていた晴さんは握りこぶしを作り、鼻の前で少しその手を突き出す。その手を縦に開き、お辞儀しながら優しく微笑んだ。
二年前……山奥の蕎麦屋で出会った縁から始まったあなたの手話が、私とあなたを強く結ぶ。
『よ ろ し く ね』
携帯電話のメールのように、手で伝える時は少しだけ大胆になれる。小指と人差し指、それから親指を立ててあなたへ届けた。
◇ ◇ ◇ ◇
「意地の悪い日本語のテストみたいだったよ…………」
「流石に筆記で落ちるとは思ってなかったわ。ほら、切り替えなさい? アンタの好きなラーメン食べに行くよ」
「ババァぱいせん……」
「ま、また次受験しましょう! 晴さん、その……」
「ふふっ、何時でも車出すから。取り敢えず来週の水曜日辺りチャレンジする?」
私を抱き寄せようとした晴さんから奪うように、私を抱きしめてくれた葵さん。
目に見える全ての出会いが、行き摩りの宿世だとしたら……
花の下の半日の客、月の前の一夜の友。
古琴之友の輪の中で、あなたを真似て花を咲かせたい。
それ以来、何度も四人で通った免許センター。
ラーメン屋さんのスタンプカードが全て埋められた頃……何時もの様にラーメンを食べながら、駐車場に見える若葉マークの付いた車を眺め、私達四人は笑い合った。
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