第193話 367日の閏日


 日課である朝のヨガTime。ふとカレンダーを見て違和感を感じていた。

 

「うーん……」


「どうしました?」


「カレンダー見てるんだけどなんかしっくりこないんだよね」


「ふふっ、今日が閏日だからじゃないですか?」


 二月二十九日。四年に一度の閏年。

 違和感の正体が分かりスッキリとヨガを再開。彼女は私の動きを真似しながら微笑んでいる。


「だいぶ前から考えていましたが……特別な日にしようと考える度に、私にとっては毎日が特別で素敵に思えてしまうので……ふふっ、何時も通りにしようかなと」


 春陽が照らす窓際。扇風機から伝わる、彼女の三月用の日焼け止めの香り。その桜色に染まる頬は春の匂いがした。

 そのまま押し倒し、ヨガマットの上で戯れ合う。


「す、少し汗をかいてしまったので……その……シャワーをしてからでも……」


「ダメ。全部好きだから…………ね?」


 指で可愛くバッテンを作る彼女。

 

「もー……わざと誘ってるでしょ」


「な、何をですか?!」


 出会ってから今年で四年目。変わっていくこともあるけれど、彼女のらしい所は変わらずに……より艶やかに磨かれている。


「ねぇ、せっかくなら閏日にしか出来ないことしない?」


「し、したいです!」


 私も毎日が特別だよ?

 でも今日は……もっともっと、特別にしたい。


「四年に一度。今日だけは四年前の自分になるの」


「四年前……つまり出会う前の私達ですね……」


 雫は私の言う事を、悩んで考えて100%を超える答えで応えてくれる。

 私だって大好きなのに……そんな身を削る様な愛され方をされてしまうと、つい甘えてしまう。

 この問にだって、彼女はなりきるなんてモノを超えてしまう。


「わ、分かりました…………十九歳の……私……」


 目を瞑り深呼吸すると、彼女は十九歳の自身になっていく。私だって負けられないけど……でもそれ以上に、彼女をこの目に焼き付けておきたい。ごめんね雫、ズルいことしちゃうけど……特別な日の特別なあなたを見たいから。


「……あれ? ここは……だ、誰ですかあなたは?! け、警察を呼びますよ!?」


 凄い……そうだよね、何も知らないんだから当然そうなるんだろうけど……本物だ。ここにいるのは十九歳の……雫。 

 

「ごめんね、私もここがどこか分からない。私は日向晴。あなたは?」


「日向……晴……」


 母親と同じ名前。きっと出会ったあの日も運命を感じてくれたのだろう。もっと早く出会えてたら……なんて、“もしも”の世界が閏日に訪れる。


「わ、私は雨谷雫です」


 一目惚れしてくれていたらしいけど……今もしてくれているのかな?

 ふふっ、ほっぺが赤い。


「もしかして私の事知らない?」


「し、知りません……初めて会いましたよね?」


 こんな子が眼の前に現れたら、当時の私はどうしていたのだろうか。

 携帯もテレビも持っていない、私を私として見てくれる唯一人の存在。

 あっという間に惹かれていただろう。


 カレンダーの日付に気が付いた彼女が狼狽える中、私の腹が鳴った。時間旅行でも腹は減る。

 そんな私を見た彼女はキッチンへ一礼し食材を探し始めた。


「何か食べたいもの……ありますか?」


 考える間もなく、口が開いた。

 忘れられない……二十歳の味。一歳上の、あなたの味。


「……お粥、食べたいかも」


 一瞬目を見開いた彼女。私と目が合うと不自然な挙動で狼狽える。


「ふふっ、どうしたの?」


「あ、あのですね……私も……何故かお粥が頭に浮かびまして……へ、変ですよね……」


「…………変じゃないよ」


 カウンター席に座り彼女を見つめていると、顔を真っ赤にさせ調理している。時折こちらを見ては慌てて視線をもとに戻す。

 その全てが愛しい……どの時代も、私は彼女に恋をするのだろう。

 

 机の上にあった写真立ては彼女をより混乱させるだけなので伏せた。これを夢と思っているらしく、少しずつ口数が増えていた。


 生まれた日も年齢も同じだと分かると、嬉しい気持ちを隠すように俯く彼女。抱きしめたい衝動に駆られていると、ポンちゃんが二階から下りてきた。  


「ひ、日向さん! 狸ですよ!! ふぇぇ……可愛いですね……ふふっ、あなたの名前は……うん。ポン助かな」


「キャンッ!!」


「日向さん、この子きっとポン助という名前ですよ。ね、ポン助?」


 彼女の問に、尻尾を振り手を擦り合わせながら答えているポンちゃん。ここで漸く名前の理由が判明した。


「ふふっ、なんでポン助なの?」


「狸と言えばポン助ですよね?」

 

 犬がくればポチ、猫がきたらタマになっていたのだろう。

 

 庭を散策し、早咲きの桜が風で舞い散ると……つい何時もの癖で彼女の手を取り、ステップを踏んでしまう。

 赤面し、ぎこちなく踊る彼女。ワルツの終わりに強く抱きしめた。


「あ、あの……その……ひ、日向さん?」


「ごめん……イヤ?」


「…………嫌じゃないです」


 キスをしたかったけど……今ここで、この彼女にするのは違うと思ったから、彼女の柔らかな頬に私の頬を重ね合わせた。

 

「あっ、そ、えっ……あ……あの……こ、これはどんな意味が……」

 

「ふふっ、愛情表現。おいで」


 彼女の手を取り、部屋の中へ戻る。

 少し遠慮がちに握り返してくれたことが嬉しくて……緩む頬を隠すのに精一杯だった。

 私の主演した映画を鑑賞し、共に夕食を作る。

 時折指先が触れ合うと、彼女は愛らしい声とともに俯いていた。


 次第に状況を飲み込み始めた彼女は、ここが夢の中ではないことに薄っすらと気付いていた。


「どしたの?」


「……もうすぐ日付が変わってしまいます。閏日が齎す魔法なら……その……解けて……」


 震える手に優しく手を重ね、おでこ同士をつけた。


「ふふっ、十二時に解ける魔法なんてシンデレラみたい」


「……ひ、日向さんはその……お姫様のように可愛いので……その通りかと……」


「雫もお姫様だよ。お姫様二人って素敵じゃない?」


 秒針により迫る、四年に一度の魔法の終わり。 

 

「…………また……会えますか?」


「ふふっ、未来で待ってるから」


 机に伏せてあった写真立ての位置が少しだけズレていた。真っ赤な頬を隠すように俯くから、顎を指で押し上げて見つめ合う。


「目を瞑って? 今から十数えるけど……その終わりに魔法は解けるよ。大丈夫、怖くないから」


 私の言う通り目を瞑り少し身体を強張らせている。優しく始まるカウントダウン。


「三……四……」


 出会うことのなかった時代の雫に、私を残しておきたかった。こう思わされている時点で……私達は本物の魔法にかけられている。  


「八……九──」


 魔法が解ける数字の間、彼女のおでこにキスをした。その時の彼女の顔は……忘れることの出来ない私の宝物。


「──十」


 三月一日。片方の目から涙を流していた彼女は、何も言わずに私に抱きついてきた。 

 急激に襲われる焦燥感と喪失感に、思わず口が開く。


「あ、あのさ……今日で出会ってから何日か分かる……?」


 何時からか数え始めたそれは、今日で1,127日。前に何度も計算したから間違いない筈だった。     

    

「……1,128日です。ふふっ、お待たせ……しました──」


 四年に一度。

 1年が366日の閏年が起こした魔法は、ある筈の無い一日を作り出した……367日の、閏日。

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