第186話 君影草


 十二月も二十日を過ぎ、世間はクリスマス色に染まり始めている。

 テレビの画面ではクリスマス用のチキンが煽るように映し出され、ソファで彼女を抱きしめながら呟いた。


「なんでクリスマスになると鶏肉を食べるんだろうね」


「ヨーロッパでは古くから降誕祭にはガチョウが食べられていたと聞いたことがありますので、そこから来たのではないでしょうか? そういえば…………ふふっ、私達のクリスマスは二回ともカレーライスでしたね」


「じゃあさ、我が家のクリスマスはカレーライスの日にしない? ふふっ、楽しみ楽しみ♪」


 彼女の髪の毛を弄りながら口元へ指を添えると、ふにふにと優しく甘噛みされ……耐えきれずソファへと彼女を巻き込みながら寝転んだ。

 キスの合間に、会話が続く。


「……よく噛んで食べましょうね。カレーは飲み物と以前仰ってましたから心配でして……沢山食べてくれるのは嬉しいのですが」


「ふふっ、だって美味しいもの。街角アンケートで、我が家の味といえば?の一位がカレーライスだったんだって。分かるなーって頷いちゃったっけ」


「市販のルーに分量通りの具材を入れただけですが……どの家庭ももっと拘りを持っているのでしょうか……?」


 おでこ同士を付け、鼻先を擦り合う。

 彼女の潤んだ瞳がゆらゆらと揺れ、頬が赤く色付いている。

 三年一緒にいるけれど、何時までもこうして感情豊かに私を好いてくれている。それが嬉しくて、何度も深く絡み合う。


「ふふっ、どこも同じ味だと思うよ?」


「ふぇ!? で、では何故我が家の味なのでしょうか……」


「……ただいまって言える場所があって、お帰りって言ってくれる人がいる。何時もと変わらない味のカレーライスが出てきて……いつもと変わらずに美味しいの。どんなに変わっていくものがあっても、その場所も味も笑顔も、変わらずにいてくれるから……そんな我が家で食べるから。…………って言うのは建前で……本当は……」


「……本当は?」


「雫が作ってくれるから。私の大切な家族だから」


 目を見開いた彼女は潤ませた瞳を輝かせ愛らしく微笑んだ。瞳に映る私の顔が、赤く色付いていく。

        

「あなたと出会えて、あなたを好きになれて幸せです」


「……そうやって何時も言いたいこと先に言うんだから」   


 手を繋いで寝室へ向かうと、火照った私達にはその少し肌寒い室内が心地よかった。

 

 ◇  ◇  ◇  ◇


「もうサンタさんには手紙書いたの?」


「いえ、今年はもう書きません」


「えっ!? ど、どうして?」


「昨年、最後のお願いということで少々無理なプレゼントをいただいたので……今年はもう私にはサンタさんは来ないのではないでしょうか」


 “亡くなった母に夢の中で会わせて欲しい”

 

 去年彼女がサンタクロースへ願ったことで……確かに手紙には“最後”と書いてあった。

 彼女がそう言うのならば、これで終わりにしても………………良いわけ……ないよね。

 信じる人にサンタクロースは必ずやって来るって……初めて共に過ごしたクリスマスで彼女に教わったから。


「来るよ、サンタさん」


「で、ですが……」


「サンタクロースは良い子の下へ来るんでしょ? 私は自信ないけど、雫には必ず来るよ。だから一緒に手紙書こ?」


 優しく背中を後押しすると、彼女は戸惑いながらも嬉しそうな顔で用紙とペンを二つ持ってきた。内容をこっそり覗こうとしたところ、指で可愛らしくバツ印を作る彼女。

 ペンを置く前にはもう、唇は触れ合っていた。


 ◇  ◇  ◇  ◇


 毎年サンタクロースへの手紙では願いごとなんて書いていなかったらしく、去年が初めてだったと彼女は言っていた。

 最後の願いと決心していた位なんだから、今年は例年通りな筈。

 つまり…………サンタクロースは何を届ければ正解なのだろうか。

  

 答えは出ず、クリスマスまであと二日となってしまった。

 世はクリスマス一色に染まり、我が家もそれらしい飾り付けが増えて賑わってきた。

 トナカイの角を模したカチューシャを付けた彼女は鼻歌まじりに角を揺らしながら口ずさんでいた。


「ジングルジングル──♪」


「ふふっ、ジングルってどんな意味なの?」


「リンリンリンと鈴の音が鳴っているオノマトペのようなものです。起きていてはサンタさんは来てくれないので、実際に聞いたことはありませんが……いつかトナカイが引くソリが奏でる鈴の音を聞いてみたいものですね」

 

 鈴の音……そういえば確かフィンランドの……

 急いでスマホを取り出し忘れぬ内に検索していると、愛らしい我が家のトナカイは角を揺らしながら微笑んでいた。


「ふふっ、何か良いことがありましたか?」


「……うん。だってもうすぐクリスマスだもの」


 脚立に乗り飾り付けをする彼女。

 隣に行き、いつもとは逆に私が背伸びをしてキスをすると……ひと足早く、真っ赤なお鼻を見せたトナカイが私を見下ろしていた。


 ◇  ◇  ◇  ◇


「おはようございます晴さん。ハッピークリスマスです」


「ふふっ、ハッピークリスマス。今年はメリーじゃないの?」


「はい、ハッピーなので♪」


 クリスマス当日、何時も以上にニコニコしてくれる彼女。どうやらサンタクロースからのプレゼントが無事届いたらしい。

 プレゼント袋を持ってきて嬉しそうに見せてくる姿に、先人達の景色を垣間見る。

 

「……そ、そういえば晴さんのプレゼント袋が見当たらないのですが……あの……」


「ふふっ、もう貰ったよ? 私もね、とってもハッピーだよ♪」


「ほ、本当ですか!? ふぇぇ……良かった……では、私の袋を開けてみますね。何が入っているのでしょうか…………」


 その幸甚な息づかいを隣で感じながら、彼女の手から取り出されたモノは二つ。

 一つは世界的に有名なとある小説(英語版)。

 玩具屋で目を輝かせる子供のように、彼女はその小説を見つめ抱きしめ小さな声で感謝の言葉を呟いていた。

 それからもう一つ。小さな袋を開けると、彼女は愛らしく首を傾げていた。


「これは……なにかの種でしょうか? 見たことがありませんね……」


「……雫、袋に何か入ってるよ? 手紙じゃない?」

 

 その小さな手紙は、遠いフィンランドから届けられたと一目で分かるものだった。

 

【Taas kellon ääni】


 急いで書斎へ行き、分厚いフィンランド語辞典を持ってきた彼女。

 暫くして手を止めた彼女は目を丸くしながら妖艶な吐息を漏らしていた。


「なんて書いてあったの?」


「……鈴の音を再び、です。晴さん、一緒にこの種を蒔いて欲しいのですが……」


「ふふっ、もちろん。行こっか」


 ◇  ◇  ◇  ◇


 庭に出ると、人差し指を口に当て熟考している彼女。私の癖が何時の間にか彼女に染み込む冬日和、彼女と私の指先が微かに触れると……優しく指を絡ませた彼女に手を引かれ、とある場所に案内された。

 

「鉢植えにするの?」


「増えすぎても他の花に影響がありますし、少しずつ愛でていければなと…………よし。ではこの穴に種を蒔きましょうか」


 二人仲良く寄り添いながら種を蒔く筈が……種にすら妬いてしまう私は、見せつけるように深く深くキスをした。

 

 ◇  ◇  ◇  ◇ 



「どんな花が咲くのかな?」


「ふふっ、そうですねぇ……二度目の……クリスマス、といったところでしょうか」


「えー、なにそれ? どういうこと?」


「ふふっ、内緒です♪」


 その花の花言葉は、“再び訪れる幸せ”。

 サンタクロースがいるフィンランドの国花であるその花は、軈ては根付き芽を出すと……毎年可愛らしい花を咲かせてゆく。


 我が家では春が過ぎると、小さな鈴が風に揺られ幸せの音を響かせている。


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