第184話 頂の告白
今日は晴さんと初めての待ち合わせ。
出会ってからずっと一緒にいる私達だから、どこかで待ち合わせてお出掛け……なんて、したことが無かった。
待ち合わせをする為、晴さんは前日から彩ちゃんのアパートへお泊りしています。
どんな格好で、どんな顔で、どんな気持ちで待ち合わせ場所まで来てくれるのかな……?
「キャンッ!!」
「ふふっ、晴さんがいないと不思議だね。ポン助、いい子で待ってるんだよ? 行ってきます──」
◇ ◇ ◇ ◇
待ち合わせ場所は横浜駅東口。
予定の十一時よりも三時間早く着いてしまいました。よりによって一番人の流れが強い時間帯……
波に飲まれ何時の間にか西口方面へ。
落ち着かせるように深呼吸し、案内図を頼りに構内にあるチェーン店の喫茶店へ向かった。
国立駅の近くにもあった店で、ここなら私一人でもなんとか注文出来る……筈。
甘い飲み物を……と思ったけれど、あなたの顔が思い浮かび、ついブラックコーヒーを注文してしまう。
目立たない奥の席へ座り、コーヒーの蓋を開けその熱を冷ましていく。
少しだけ猫舌な私。何時も晴さんがこうして蓋を開け冷ましてくれる。
湯気の向こうに想い人を浮かべ、一息つきながら店内を眺めると……物語の主役達が、頁を跨ぐ様に歩み流れていた。
パソコンを操作しながら美味しそうにドーナツを齧る女性。
頻りに時計を確認し足踏みをしながらレジに並ぶ学生。
寝不足なのか目の隈を目立たせながら欠伸する店員。
電話越しに頭を下げ謝り続ける男性。
そして……これから恋人と初めての待ち合わせをする私。
この先どんな物語になるのか、それは当人にしか捲れない頁達。
読み進めるように、私は一冊の本を捲り始めた。
表紙に大きく横浜と文字が書かれたガイドブック。この日の為に書店で購入した物。
中華街、ショッピング、赤レンガ倉庫……
気になる頁には付箋を貼ってあり、この後晴さんと一緒にこれを見ながら横浜を散策出来たらなと、密かに楽しみにしている。
それから、横浜には遊園地があるそうで……高い所は怖いけど、でもせっかくのデートだから……あなたと一緒に観覧車に乗ってみたい。
その時それはどんな景色で……あなたはどんな顔をしているのでしょうか。
ピロリンと軽快な電子音が鳴り携帯電話が少し振動した。あなたの名前が表示され、頬が緩む。
『おはよー。今日は楽しみだねฅ( ˙꒳˙ ฅ)』
出会った頃を思い出す。
電子的でも繋がれることの喜び。メールの文字一つにも心があり、想いが乗せられている。メールでしか伝わらないその慕情があることを、あなたに教わったあの頃。
『おはようございます。楽しみですね、早く会いたいです。大好き♡』
こ、こんな文字を使ってはしたないかな……でも大好きだし……何時もより素直になれるから、メールは本音を引き出してくれる不思議な道具なのかもしれないけど……うん、せめてハートマークは消しておこう。
……素直になれるのが嬉しくて、恋文をメールで作ってしまう。これは送らなくても良いわけで……溢れるあなたへの想いを綴り続け完成したそれを見て、満足気に保存する。
待ち合わせまであと一時間半。
通勤時間を過ぎ多少人の流れが緩やかになったので、一息二息付いてから喫茶店を出る。
…………こんな所にお花屋さんが……晴さんに買っていきたいけど嵩張るかな…………あ、これなら──
◇ ◇ ◇ ◇
「ふふっ、きた来た。遅いぞー?」
「す、すみません!? あ、あれ? まだ一時間あった筈では……」
「ごめんね、早く来ちゃった。ふふっ、可愛いコーデだね。私のはどうかにゃ?」
「と、とても素敵です……その……可愛いですにゃ」
「もー……大好き。ね、ちょっと歩こっか」
待ち合わせ場所には既にあなたがいて混乱してしまったけれど、あなたの台詞を聞き……ドキドキと同時に少しだけ落ち着きを取り戻す。それは出会って間もない頃のあなたとの想い出。
【ご、ごめん……その……私さ、緊張するとすぐに歩く癖があるみたい】
【ふふっ、日向さんでも緊張されることがあるんですね】
【緊張っていうかさ……ドキドキしてるの。好きな人と一緒にいるから】
【そ、それはその……えっと……あの……ご、ご馳走様でした…………】
【アッハッハ!! もー…………好き。ね、もうちょっと歩かない?】
あなたと沢山のことを経験してきたけれど……私と一緒にいて、まだドキドキしてくれているのでしょうか?
私はいつもドキドキでいっぱいです。
「あ、あの「ねぇ雫、見てみて。これ買ってきたの」
私の声にあなたは重なり……その手に持つ雑誌は、鞄に入っている私のガイドブックと同じ物だった。
ドキドキが……増していく。
「スマホでもこういうのいっぱいあるんだけど……隣で捲りながら歩きたくて。いっぱい目印してきたから──」
折り目が入れられた頁達も……私の付けた付箋と重なって見えた。息をするのも忘れてしまいそうな程……あなたへの想いで私の中が溢れかえっている。口を開けば止まらなくなってしまいそうだから……唇を少しだけ噛み、あなたの手を強く握った。
沢山……沢山、あなたと歩いた一日。
「ね、肉饅食べよっか♪ あっちのお店も美味しそう──」
あなたの生まれたこの横浜で、初めての待ち合わせ。
「これお揃いで買おっか。ふふっ、うん。似合う似合う──」
私の小さな歩幅に合わせてくれるあなた。背伸びをしてキスをする私。
「わぁ、凄いね。これ倉庫なんだ? ……ふふっ、じゃあ解説お願いね──」
次第に灯っていくおまちの灯り。遊園地の眩い電飾達が、賑やかす様さんざめく。
あなたと共に捲られていく頁は……とある箇所で薄く折り目が付けられ、思い直した様にもとに戻されていた。
私のことを想って戻してくれた折り目を……あなたを想い折り返す。
「……観覧車、乗りませんか?」
「…………いいの?」
「ふふっ。行きましょう」
指を絡ませ寄り添いながら鉄の籠に乗り、腰を下ろした。強張る私の身体……肩に手を回したあなたは、次第に見えてくる横浜の全景を指差し微笑んでいた。
……この想いをあなたに届ける方法は一つだけ。
『晴さんへ。今日は初めての待ち合わせですね。朝から胸が弾んでしまい、三時間前に横浜駅に着いてしまいました。今私は珈琲を飲みながら、あなたへの想いをメールで綴っています』
私を安心させる為、私の視界に入るようあなたは向かい合って座り直した。
指輪の付いた小指同士は、絡まり合ったまま。
『ガイドブックなるものを買いました。気になる箇所に付箋をしたので、あなたの隣で捲りながら横浜のおまちを沢山歩きたいですね』
煌めくあなたを引き立てる様に、その背では横浜のおまちが出迎えてくれた。
なのにあなたも私も、ずっと互いを見つめたまま。
『お昼は中華街で食べているでしょうか?美味しそうな肉饅があるそうなので、楽しみですね。少し緊張しますが、お洒落なお店でお揃いのなにかを買えたらな、なんて密かに思っています』
私達の乗る籠が頂上に差し掛かる頃、どちらからともなく唇が触れ合った。
写真を撮ろうとスマホを取り出したあなた。自然と、私の手はメールの送信ボタンを押していた。
『それから、少し怖いんですが観覧車に乗ってみたいです。どんな景色でしょうか?私はどんな顔をしていますか?あなたはどんな顔で私を見ていますか?私には似合わないと自覚していますが、観覧車の頂上で愛の告白が出来たらロマンチックですね。気の弱い私はきっと短い言葉、精一杯の六文字しか言えないでしょう。ですがその六文字には、宏大無辺の想いが込められています。なんて、偉そうなことを言ってますがそんな勇気も無いのでこうしてメールを打ち込んでいます』
沢山の景色を共に見て、その瞳は横浜に染まっていた筈なのに……
スマホの光に照らされているあなたの瞳は、それを見つめる私の瞳は……瞬きを忘れてしまう程にドキドキして、互いの色に染まっている。
『もしあなたがこのメールを読んでいるのなら、それは私が有りっ丈の勇気を振り絞っている時なんだと思います。言えるかな?無理かな?頑張れ私──』
観覧車の頂上で止まる数秒が永遠に感じる程の……ドキドキ。
鞄の中に入れたまま忘れていたお揃いの髪留めをあなたに付け、震える手を抑えながら自分にも付けた。
「よ、横浜駅の花屋で買った物でして……アーティシャルフラワーと呼ぶそうです。か、可愛らしい花の髪留めだなと思い……その……えっと…………あのですね……」
震え涙を流す私の手を優しく握ったあなたは、同じ様に涙を流しながら微笑んでいた。
「……雫、頑張って」
「…………愛してます」
「うん……うん。私も、私も愛してる──」
港町横浜を彩る大きな観覧車。
頂上から降り始めた一つの籠は少し揺れ……その重心が、少しだけ傾いた。
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