第183話 二人だけの高校時代


 私、日向彩は本日目出度く二十歳になりました。夜は大好きな雫(ついでに晴姉)と一緒にお泊りしながら初めてお酒を飲むって約束してて……少しだけ雫に近付けた気がして、背筋が伸びて頬は緩んでしまう。

 本当は一日中雫に甘えていたいけど、今日は晴姉の通っていた高校で文化祭があり、昼から晴姉がトークショーを行うので見学に来た。

 トークショーはここの生徒と関係者のみしか入場出来ないけれど、日向晴がやってくるとあって校内はキャパシティを遥かに超える人達で賑わっている。


「ねぇパパ、クレープ買ってよ」


「さっき唐揚げを買ったばかりだが……」 


「いいじゃん、私今日誕生日なんだよ? ブルーベリーにしよっかなぁ……」


「じゃあお母さんはチョコバナナホイップにカスタードをトッピングしようかな。雨谷さん、ご馳走様です」


 それから……何故かお母さんと私、パパの三人で行動することになった。パパは気まずそうにしているので、定期的にちょっかいを出して和ませている。


「ねぇ、パパは何で今日来たの? 市長の仕事は?」


「……市長でも休みは有る。来いと言われたから来た、只それだけだ。まぁ……二つ程用はあるがな」


 初めて会った時はぶん殴ってやろうかって思った位嫌な人だったけど……ツンデレ?っていうのかな。そのツンさえも大分丸くなった気がする。

 ……素直になれないんだね、きっと。昔の私もそうだったけど、雫と出会ってから…………日向晴の妹っていうことをすんなり受け入れられるようになった。それから……自分のことが好きになれた。


「パパ、あーんして。あーん」


「こ、こんな公の場で出来る訳ないだろう!?」


「じゃあ人気のない所ならいいの?」


「そ、そういう訳では無くてだな……」


「……私ね、皆んなで写真撮った時とか吊るし雛飾ってもらった時とか……凄く嬉しかった。あの二人だけじゃなくてさ、私も……私のこともちゃんと見てくれてるんだなって思って。ねぇ、私ね……小さい頃、父親と楽しそうにお出かけしてる子が羨ましかったの。でもそういう景色が目に映る度に晴姉が私の手を強く握ってくれて……子供ながらにさ、心配させないようにしないとって思って心の中から父親っていう言葉を消したの。でもさ、今は……違うでしょ? ぶっきらぼうで頑固者で口数少ないのに言葉遣いは古臭いし、怒りっぽいし何考えてるのか分んないような人だけど……でも私の──」


 私の言葉を遮るように、大きな口を開け私の持つクレープを頬張るパパ。口についたブルーベリーソースを拭うと、ぶっきらぼうに……微笑んでいた。


「……すまんな、こんな生き方しか出来なくなってしまったんだ。…………彩、誕生日おめでとう」


 そう言って二つの箱を渡すと、照れ隠しに腕を組み空を見上げていた。

 頭よりも心が追い付かなくて、理由もわからず大きい方の箱を開けた。

 そこには私と同じ名が書かれたお酒が入っていて……涙が頬を伝う分だけ、十九年分の何かが私の中で満たされていった。


「…………もう一つも開けていい?」


「好きにしなさい」


 生まれて始めての、父親からの誕生日プレゼント。

 血は繋がってないけど、もっと大切なもので繋がってるって……雫と出会ったあの日私は教わった。 

 色々なものが巡り巡って出会えた、素敵な縁。

 何一つ欠けることは許されなかったのなら、それはきっと運命と呼ぶのだろう。

 開けた箱の中には……私には背伸びしても似合わない高級な財布が入っていた。

 

「私にはこんなに素敵な財布…………」


「……昨今は十八歳で成人と呼ばれるが、私にはまだ違和感があってな。二十歳を成人とすると……今日が大人としてのゼロ歳。今はまだ早くとも、一歩ずつその歩みを止めなければ……必ずやキミが見据えている背中に追いつき、追い越せるだろう。それが何歳なのかは当人次第だが……何時の日か、その財布が似合う大人になった時に振り返ってみなさい。そこから見える景色も込めて、私からのプレゼントだ」


 叶わないと思っていた夢だった。

 父がいて、母がいて……姉がいて、大切な人がいる世界。そこには私が幸せそうな顔で笑っている……そんな世界。

 人目を憚らずパパに抱きつくと、笑い声が二つ。一つはお母さん、それからもう一つは……


「ふふっ、仲の良い親子さんですね。彩ちゃん、お誕生日おめでとうございます」


 大好きな人からの祝言。

 ようやく踏み出した大人の一歩は、小春日和の下……不思議と、空から優しく誰かに見守られている気がした。


 

 ☂  ◇  ☂  ◇



 今日は晴さんの母校であるこちらの高校で文化祭が行われています。

 私が高校生の頃はお父さんに「参加する必要は無い」と言われ、縁がなかった文化祭。

 晴さんもお仕事で参加していなかったと聞いたので、私達の初文化祭です。

 高校の話になると、何時も少しだけ晴さんの声は淀む。全てを受け止めて……その上で全てを私で満たしたい。無かった筈の昨日さえも、今日作りたい。大丈夫だよ雫。あなたなら出来るよ、きっと。


「うわぁ、凄い人の数……これじゃ出店に行くなんて出来ないね。雫、お父さん達と見て回って来たら?」


 校内の賑わいも然ることながら、ワンボックスカーなる大きな車に群がる人達。栞さんが乗っていて、曰く“暇潰しの目眩まし”だそうです。この人集りを肴に車内では栞さんはお酒を飲まれているらしい。帰りの運転は誰がするのだろうか?

 出待ちの方々は晴さんが乗っていると思われている様ですが、実際は何時もの可愛らしい軽自動車に乗りカーテンを閉めて待機しています。


「ふふっ、よく父が来ましたね」


「娘の参観日なんだけど?って挑発気味に誘ってみたの。ふふっ、何だかんだ気にしてくれてるんだよね。ほら、行っておいで──」


 深くて長いキスの後、目立つように首筋に痕を付けてくれた。離れていく唇が名残惜しくて、あなたの袖口を握ってしまう。


「虫除け。可愛いんだから、気をつけてよね?」


 離れたくない。一秒でもあなたの隣にいたい。

 今私に出来る最大限のことを考えると、自然と身体は動き……あなたの首筋に数個、印を付けていた。

 どうやっても隠せない位置に付けたその濃い痕を見て、あなたは嬉しそうにその痕を撫でながら微笑んでいた。


「ふふっ、悪い子ちゃん。虫除けしてくれたの?」


「……マーキングです。私の……縄張り。あなたの隣は、私だけのモノですから」


 一瞬目を見開いたあなたは温かくなった頬を私に重ね合わせ、離すまいという思いが溢れ出る程強く強く抱きしめてくれた。


「……あと五分頂戴」


「……では私の五分と合わせて十分ですね」


「もー……そういう所も大好き──」


 ☂  ◇  ☂  ◇


 首筋に五個、胸元に九個痕が増え……フワフワと夢見心地に移ろいながら、校内をふわふわと。

 それでも、あなたに言われたことを思い出し緒を締める。

 自分のことを可愛いとは思えないけれど……あなたが隣にいてくれると、少しだけ自信を持てる。あなたが隣で温かく見守ってくれるから、私は向日葵の様に真っ直ぐに背を伸ばし、あなた目掛け空を見上げることが出来るんです。

 何時の日か……私もあなたの様になれたらいいな。


「ふふっ、仲の良い親子さんですね。彩ちゃん、お誕生日おめでとうございます」


「雫!! 見てみて、パパからプレゼント貰ったんだ♪」


「いいですね。私だってここ十年貰ってないんですよ?」


 気まずそうに腕を組み直すお父さん。それを茶化す彩ちゃんとお母様。

 こんな冗談を言える様になったのも……こんなにも素敵な景色が見られることも、全てあなたと出会えたから。


 家族皆んなで、あなたの応援をしに行きます。

 頑張ってくださいね。


 ☼  ◇  ☼  ◇


「ふふっ、マーキング……ね」


 思えば、雫と初めて出会ったあの日……彼女の香りがする服に着替えさせられて、彼女の香りに包まれたあの部屋で目が覚めたあの瞬間から私は既にマーキングされていたのだろう。

 疾うの昔から……私は彼女に支配されている。


「ヒナ、大丈夫とは思うけど突拍子もない発言はしないように」


「はいはい、任せといて」


 酒臭い栞に怒られて、タートルネックのブラウスに着替える。それでも見える位置にある痕を指でなぞり、鏡の前で微笑んだ。


「よし、呼ばれたわね。サクッと終わらせて来なさい? ご褒美が待ってるから」


 栞の言っているご褒美が何なのかは分からなかったけれど、彼女の顔が浮かんでしまい惚気顔のまま舞台上へと向かった。


 視聴者はこの学校の生徒と関係者のみ。全校生徒が集まったらしいので、皆出店や展示を放棄して来ているのだろう。

 見渡すと、関係者席で大きく手を振る彩と母。それから、膝下で小さく手を振る彼女。振り返すと、場内がざわめいた。


 校内にある多目的ホールで行われるトークショー……とは言うものの、生徒主体で考えられた流れに従い受け答えしていく。

 暫くすると、生徒からの質疑応答の時間。私も栞も想定していた質問がやってきた。


『付き合ってる人っているんですか?』

 

 チラッと舞台袖を見ると、軽く受け流せといった視線で頷く栞。

 でもさ栞、突拍子もないこと以外ならいいんでしょ?突拍子もないの反対は……ふふっ、普段通りってことなんじゃないの?

 胸を張って、彼女を見つめながら答えた。


「ふふっ、この中にいますよ?」


 どよめく場内。鬼の形相で中指を立てている栞。静かになるまで待っていたら時間が来てしまいそうだったので、私から均衡を破った。


「皆さんは私にどんな印象を持っていますか? 有り難いことに、私は多くの企業から広告塔にさせて貰っています。故に“日向晴のイメージを崩すな”と、事務所から口酸っぱく言われていますが……この恋は、皆さんの目にどう映るでしょうか? 二十歳で初めて恋をしました。思い返せば笑ってしまう様な出会い方だったけど……初めて見る沢山の景色を隣で見れて幸せです。愛してます、愛されてます。末の露本の雫……でもこの幸せは、永遠だと思っています。この愛は、何よりも尊く美しいものだと思っています。誰にも否定されるものではないと、胸を張って言えます。ですが……ふふっ、あまり大きな声で言うと色々な人に怒られてしまうので中々自慢出来ないのが少し悩ましいです。ふふっ……私には、素敵な素敵な恋人がいますよ? では次の質問どうぞ」


 ☼  ◇  ☼  ◇


「なにもグーパンチすることなくない?」

   

「馬鹿は殴んなきゃ分かんないでしょ」


 舞台後、鳩尾辺りに握りこぶしをめり込ませてきた栞。理由を聞けば、顔は商売道具だからと言っていた。

 ネチネチと文句を垂らしながら案内された教室棟。階段を上がると、三階で栞は立ち止まった。


「行ってらっしゃい」


「えっ、どこに?」


「行ってらっしゃいって言ったら何て返すの? ほら、高校生からやり直してきなさい」


 そう言って栞に手渡された綺麗なスクールバッグと制服のブレザー。それは数える程しか使わなかった私の物だった。笑いながら背中を押され、戸惑いながらもブレザーを羽織り廊下を歩く。

 懐かしい……なんて感情は湧かない。

 何となく自分のクラスだった三年九組へ行くと……教室内の窓際に一つの影。

 私の素敵な恋人が、椅子に座り淑やかに小説を読んでいた。

 私の気配に気が付いた彼女は瞳を閉じて深呼吸すると……教室内の色が、少しだけ色褪せた淡く甘い色に染まっていった。


 聞こえるはずのないチャイムが、鳴り響く。


「晴ちゃん、おはよう♪ 昨日のソラテン見た?」


「……ごめん、見てないや。どうだった?」


 ソラテン……それは私が高校生だった頃絶頂期を迎えていたお笑い番組。今は番組名を変えて深夜帯に移ったけど……当時は皆が見ていた、世代を代表する番組だった。

 卒業アルバムのクラスページにも、ソラテンは好きな番組ランキング一位で……贔屓してもらったのか、私の出演していたドラマは二位と三位だった。

 当然多忙な私はテレビなんて見る時間無くて……

 もし普通に学校に通う普通の高校生だったなら。もし高校時代に彼女と出会えたなら。

 交わる筈の無い私達の過去の線が……優しく彼女に手解きされて、今結び直される。


「ふふっ。すっごく面白かったよ? 一番の見所はね……三周半周って1260度! っていうのがね、すごく…………晴ちゃん?」

 

 扉が開く、音がした。


「……ふふ、ふふふっ。あっはっは!!」


「えー、そんなに面白かった? ふふっ、私も釣られちゃうよ」


 身体を張った一発ギャグを精一杯やる彼女が可愛くて可笑しくて……冷静に考えれば笑えるようなことではないのかもしれないけれど、純心な彼女への想いが飾り気のない本当の私を引き出してくれる。誰かに声をかけられたような気がして振り返ると、そこには小学六年生から置き忘れてきた童心が……私を待っていてくれた。


 石蹴り、じゃんけん、荷物持ち。通り過ぎる車の影と競争をして、引っ付き虫を投げ合った。

 誰よりも“今”を生きていた童心達を、私以外のクラスメートは薄くなりつつも確かにまだ持っていた。

 次第に通う日数が減っていった中学、高校。

 偶に行くと私だけが取り残されていた様な感覚がしたのは、今思えば私が私を演じていたからだったのだろう。

 役作りに、と教室内の会話に聞き耳を立てていたけれど……他愛もない、鉛筆が転がれば笑ってしまうような……至極当然に片生いなクラスメートで溢れていた。

 物語に登場する中高生なんて、所詮絵空事で創られた模造品。それを演じていた私は、既に大切なものを置き去りにしてしまっていた。


「晴ちゃん、お弁当一緒に食べてもいい? よいしょ……」


 机を向かい合わせにし、鞄からお弁当袋を取り出した彼女。コンコンと教室のドアを叩く音が聞こえると、ドアの小窓から母が顔を覗かせ小さく手招きしていた。


「か、母さん……何してるの!?」


「お弁当、忘れてるでしょ?」


 随分昔に使わなくなってしまった手縫のお弁当袋を嬉しそうな顔で渡す母。

 一瞬頭の中が混乱してしまったけれど……直ぐに彼女の顔が思い浮かび、涙腺が緩んでしまった。

 最近夜な夜なタブレットで動画を見ては何かをメモする姿が気になっていた。

 隠し事が出来ない彼女だから、挙動不審になりながらも私の目の前で母さんに電話していたのも知っている。気を利かせてイヤホンをつけ音楽を聴いていたので内容は分からなかったけど……

 全部、全部私の為に……


「晴、行ってらっしゃい」


 私も母も仕事で忙しく……タイミングが合ったことは一度もなかった。

 だから、これが最初で最後の高校生のお見送り。胸を張って、笑顔で応えた。


「行ってきます、母さん」


 教室へ戻ると、彼女の机の上には一つの弁当箱。全体的に茶色いけど……ウインナーはタコ型で林檎はうさぎ型に切ってある。少々不格好なそれは、多分お父さんが作ったのだろう。

 彼女はそれを見つめながら涙を堪えていた。


「お待たせ、食べよっか。いただきまーす」


 おかずを交換し、口元に付いた米粒一つで笑い合う。陽が傾き始めた頃、夕映えを受け艶やかに彼女は微笑んだ。


「ねぇ晴ちゃん。将来の夢ってなに?」


「んー…………あ、一つだけあるよ」


「ふふっ、なになに? 教えて欲しいな」


「……雫のお嫁さん」


「ふぇっ!? そ、それってあのその……だ、駄目だよそんな……」


「えー、嫌なの?」


「…………私、冗談とか分からないから……その……本気にしちゃうから……」


「……いいよ、本気になって」


 ブレザーの第二ボタンを引き千切り彼女へ手渡すと……夕陽が染めた室内の二つの影は、一つに重なり合った。


 それは私と彼女だけが知る、二人だけの高校時代。    

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