第171話 待つも、待たすも


 三日連続の猛暑日が続く東京。

 置き型のパラソルの下では、保冷剤を首に巻いた栞が項垂れながら文句を言っている。


「暑すぎるでしょ……塗ったそばから日焼け止めが溶けてくわ……」

「まぁまぁシオちん、夏は暑いから夏って言うんだよ」

「それ誰の言葉?」

「私」

「でしょうね。偉人がそんな馬鹿みたいなこと言わないもの」

「あっ、今バカにしたでしょ!? 馬鹿って言う方が馬鹿なんだよ!!」

「うっさいわね。馬鹿が伝染るからあっち行っててよ」

「ヒナちゃーん、ババアが虐めてくるー」


 何故こんなことになっているのかというと……以前遊びで書いた詩に彼女が音を付け、彼女の伴奏下で私が歌った動画を数曲アップしたことが発端だった。

 想像以上に再生され各所で話題になってしまった為に公式で曲を作ることに。嬉しいしありがたいけど、この炎天下でのMV撮影はここにいる全員にとって酷である。


「ヒナ、アンタはエアコン効かせた車の中で待ってな。演者がこんなとこで待ってたら私が怒られるから」


「皆んな頑張ってるのに私だけがそんなこと出来ないでしょ。そこのコンビニで全員分のアイス買ってくるよ」


「……まぁアンタのそういうところが仕事に繋がってるんだけどね。葵、私達で買ってくるよ。ヒナ、ロケ弁かコンビニ弁当どっちにする?」


「ふふっ、愛妻弁当を持ってきたから両方いらない」


「暑い暑い。まだ時間あるから今食べちゃいなさい?」

「シオちんもこの前ウタちゃん(栞の恋人)にお弁当作ってもらって持ってきてたよね」

「……そうね」

「唐揚げ弁当だったよね。照れながら自慢するババアに腹立ったっけ。美味しかった?」

「…………中が赤かったわ」

「あっ…………だから次の日休んだんだ。一口目で分からなかったの?」

「分かってたけど、せっかく作ってくれたんだし……残せないでしょ」

「猛暑日にババアの惚気話なんて一瞬で腐りそう。ヒナちゃん、早く食べたほうがいいよ!」


 セミの騒音達に負けないくらいギャアギャアと騒ぎながらコンビニへ向かう二人に、思わず肩の力が抜けてしまう。

 日陰に置いておいた保冷バックを手に取り中を確認すると……いつもなら手紙が入っている筈が、今日は何故かSDカードが顔を見せた。

 確認の為に仕事用のノートパソコンを用意し読み込む間、愛妻弁当の中身を見ることに。

 

 キンキンに冷えたご飯、他の容器には……細かく刻んだ胡瓜と茄子と……ミョウガかな? これらは少し凍っている。

 あとは魔法瓶に胡麻が浮かんだ出汁のいい匂いがする液体が入っていて、少しだけ残っている氷がカラカラと音を立てている。

 その不思議なお弁当にワクワクしていると、読み込みが完了したパソコンに映し出された一つの動画。


【……ちゃんと映ってるのかなぁ。ポン助、そこに座って待ってて…………うん、位置良し。カメラの時間も進んでるから撮れてるね。ここは編集で切り取るとして── 】


 その愛らしい姿に……外気の物理的な暑さとかそんなのは関係なく胸の奥が温まり、声が漏れてしまう。


「ふふっ……カット出来なかったのかなぁ……可愛い……」


【晴さん、お仕事お疲れ様です。暑いですよね? 大丈夫ですか? 今日は外での撮影と聞いているので心配で……少しでもお力になれればと思い、ビデオレター?なるものに挑戦してみました】


 私に向かって手を振る彼女。自然と微笑んで振り返す。


【今日のお弁当は南極冷汁弁当です。冷えたご飯にシャリシャリとした食感の凍ったお野菜、それに冷たいお出汁をかけて召し上がってください。味変でカリカリ梅と焼きたらこ、味付け昆布を乗せて楽しんでくださいね。おかわり出来るようにご飯は二段になってます。少しでも午後の糧になれれば幸いです………………こうしていると六時間後の晴さんに会いたくなっちゃう……今どこにいるのかな……】


「ふふっ、私も会いたいなぁ……」


【……私はもっともーっと会いたいですよ?】


「えっ……ど、動画……だよね……?」


【ふふっ、今驚かれたあなたの顔が目に浮かんでます。六時間前の私は上手くあなたと会話出来てますか? 六時間後の私はもっともっとあなたのことで頭がいっぱいになってます。困らせてしまうのは分かってますが…………会いたいです。早く帰ってきてくださいね? それから……大好き。晴さん、午後もファイト♪】


 惚気火照った顔を、冷汁弁当がやさしく冷ましていく。「よく噛んで食べましょう」、なんて言う彼女の顔が浮かんでくるけど……ふふっ。こんなに美味しいお弁当、すぐ無くなっちゃうよ。


 溢れ出る好きが、私の糧になっていく。


 暑さなんて気にならない程集中していた。


 気が付けば撮影は終わっていて、バイクに跨り家路を辿る。

 逸る心、少しだけ早く繋ぐクラッチに思わず鼻で笑ってしまう。

 落ち着かせる為に口ずさんだ歌は彼女お気に入りの歌謡曲。その歌詞通り……只々、彼女に焦がれている。


 ◇  ◇  ◇  ◇


「お帰りなさい。大丈夫ですか? 暑かったですよね? すぐにシャワーを……きゃっ!? は、晴さん…………?」


「ごめん……汗臭いかな……?」 


「ふふっ、いい匂いしかしませんよ?」


 唐紅に染まる入道雲、ヒグラシの笑い声。

 エアコンの風と温かな吐息が、一日の疲れを優しくほどいていく。

 

「……どうかなさいましたか?」


「ふふっ、言い忘れてたなって思って」


 私の言葉を受け目を瞑り……赤くなった頬を差し出す彼女。

 頬を重ねて、優しく擦り合わせる。


「ただいま、雫」


「ふふっ、おかえりなさい。晴さん」


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