第168話 優しき彼女のファフロツキーズ


 珍しく、仕事で小さなミスをしてしまった。

 滞り無く終わったけど……もっとああすれば良かった、どうしてこう思わなかったのか、なんて自己嫌悪に陥りながら頭の中で反省会をし、気分が落ちてしまう。

 表に出していない筈なのに、彼女には全て見透されているのだろう。私の好きな料理ばかりが並ぶ食卓。献身的なマッサージ、彼女からの戯れ。

 

 彼女に満たされ過ぎて反省したことが飛んでいかないよう心の緒を締める。

 まぁそれすらも見透かされるんだから……ふふっ。笑っちゃうくらい、私には彼女しかいないのだろう。


「まだ大丈夫かな……」

 

 窓の外から空を眺め呟く彼女。

 物置から段ボール箱を持ち出して……あれは風鈴?

 小さな可愛い風鈴を十個程出すと、外へ出て脚立を使い庭の木に吊るし始めた。

 あの紅い花は……なんだっけ……


 全て吊るし終わると、ひょこひょこと可愛らしく私の元へ駆け寄り……私を包み込むような微笑みで手を取った。


「晴さん、ご一緒しませんか?」

 

「ふふっ。うちの魔法使いは何をしてくれるのかな?」


「…………ファフロツキーズをお見せします」

 

 ファフロツキーズ。

 私の浅はかな知識によると、空からありえないものが降ってくる現象をそう呼んだ気がした。


 先程の紅い花を咲かせる木の下へ案内され、二人がけの椅子へ仲良く座る。

 何箇所にも吊るされた風鈴達を見上げ、相変わらず彼女は只々優しく微笑んでいる。


「この木は百日紅さるすべりと呼びまして、今時分から十月頃まで花を咲かせます」


 私が知らないことも承知で……思わず恥ずかしくなってしまい、顔が熱くなっていく。

 情けなくて、でもなんだか嬉しくて、頭をコツンと彼女の肩へ付けた。

 何も言わず同じように頭を寄せてくる姿に、私の中で恋の音がした。

 

 そよ風が靡くと、彼女はビニール製の透明な傘をさし……彼女の持つ手と重ね合わせて、傘を握った。


 次第にポツポツと地面は濡れ、透明な傘にヒラヒラと紅い花が何枚も辿り着くと…………空から降り出した風鈴の音。


 それはまるで、透き通った天の鐘。

 雨音は軽やかに歌い、紅き花が華やかに舞い踊る。 

 

「“散れば咲き、散れば咲きして百日紅”。これは加賀千代女が詠んだ句でして、百日紅は百日もの間花を咲かせ続けることが名前の由来ですが……実際にはこうして直ぐに散ってしまうんです」


 紅く染まる傘と美しき頰。

 柔らかな風鈴の音と滴る雨粒達が、私の心に染み渡っていく。


「散っては咲いて、また散って。それでも私達にはその美しい花々が咲き続けているように見える。ふふっ、まるで晴さんみたいじゃないですか?」


 努力を人に見せるのは好きじゃなかった。

 いくら裏で努力をしても、皆の前では、カメラの前では平然とこなす事が当たり前だと思っていたし、プロフェッショナルとしての信条だった。


 そんな私を理解して……凄いとか偉いとか、そんな安い言葉で片付けず…………只々こうして受け入れてくれる。それがどれ程尊くも優しいことなのか、どれ程私のことを思い想えば……その領域に辿り着けるのだろうか。


 彼女と共に染まった頰を、伝う涙が優しく冷ましていく。


「……綺麗だね」


「ふふっ。とってもお綺麗ですよ」


 その優しさで溢れたファフロツキーズを眺めながら、明日の私はまた美しい花を咲かせるのだろう。

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