第167話 恋に酔う


 六月末。大学を卒業してから三ヶ月が経ち、新しい生活にも慣れ始めて来た今日此の頃……


「うん、うん……聞いてみるね。折返し電話するね…………ふふっ、そうだね。じゃあまた後でね── 」

 

「詩音さん?」


「はい。水曜日から会社の研修で東京に来るそうで、金曜日の夜にご飯を食べないかと誘われまして……」


「ふふっ、楽しんでおいで」


「 はい、ありがとうございます」 



 ◇  ◇  ◇  ◇



 というわけで、金曜日になりました。

 何を着ていこうかな……晴さん以外とお出かけなんて僅少以下だし……でも詩音ちゃんだし気兼ねなく──


 クローゼットの前で悩んでいると携帯電話に着信。相手は詩音ちゃん。


「はい、雫です── 」


 ◇  ◇  ◇  ◇


「服決まった? あれ、どうしたの?」


「先程電話がありまして、人数が増えるとのことでして……中学校の同級生が六人程上京していて、同窓会のような形になるようなのですが……年頃の方々もいらっしゃいますから、お断りをしました」


 詩音ちゃんには会いたかったけど仕方が無い。

 今度晴さんと一緒に詩音ちゃんが住んでいる名古屋に……なんて思っていたところ、晴さんがスマホを片手で操作し、何かを送信したのだろうか……ピロンという電子音が聞こえ、私を見て微笑んだ。

 

「雫、行ってきな?」


「ふぇ? で、ですが……」


「今詩音さんに送ったから…………ふふっ、OKだって。おいで、雫」


 手招きされ傍に行くと、優しく手を引きながらワードローブへ案内され……人差し指を唇に当てながら、今日着ていく服を選んでくれている。


「これと……これを合わせて……あとはこれかなぁ……」


 選んでくれた服はあなたのお気に入りばかりで……可愛いと言って下さることは嬉しいけれど、でも……


「は、晴さん……もう少し地味な服でも……」


「ふふっ、ダメ。じゃあこれに着替えて今度はメイクね。あっちで待ってるから」


 あなたの好みの服を纏い、可愛らしいお化粧に年相応のお洒落な髪型にしてもらった。

 それはまるでおまちの中に溶け込めそうな程で……  

 

「うん、すっごく可愛い。目瞑って?」


 頭の上から、あなたのお気に入りの香水を一吹き。お揃いで買った装飾品を首に掛けてもらい、そのままベッドへと押し倒された。


 ◇  ◇  ◇  ◇


「ちょっと動きそうにないかなぁ……」


「事故でしょうか? 詩音ちゃんに連絡しておきますね」


 皆が集まる居酒屋まで晴さんが車で送ってくれている道中、事故渋滞にはまってしまいました。

 久々の同級生との再会、私感覚ではかなり背伸びをしているお洒落な身なり……

 迫る夕間暮れ。変わりゆく信号機、動かぬブレーキランプ達。

 気持ちを落ち着かせるには十分な時間。あなたを見つめると、時を同じに私を見つめたあなた。

 おまちの光に照らされて、あなたは私の首筋に濃く稠密な痕を一つ付けた。

 初夏のコーディネート。隠す物も無く、それは誰からも見える位置。

 でも……そんなことは気にならない程、愛らしく微笑むあなた。


「……虫除け。悪い虫が寄らないように」


 小指に嵌めた指輪を薬指に嵌め替え、深く深くキスをする。

 おねだりをしても尚、車が進むことはなく……

 あなたからの愛で溢れた頃に、青信号は仕事をし始めた。



 ◇  ◇  ◇  ◇



「遅くなってごめんなさい。渋滞にはまっちゃって……」


「雫ー久しぶり!! 三十分遅刻とは随分…………」


「? 詩音ちゃん、どうしたの?」


「バ…………」


「ば?」


「バチクソ可愛いじゃん!!? なに!!? 芸能人!!?」


 二年ぶりの詩音ちゃんとの再会。

 最後に会ったのは私の実家の近くで、あの時はお父さんに軟禁されていたところを晴さんに助けてもらった後のことだった。

 社会人になり見た目も雰囲気も大人びた詩音ちゃん。社会人……私は一体、なんと呼ぶ存在なんだろう?


「ふふっ、全部着飾りさせてもらったの。私の可愛さじゃないよ?」


「いや、まぁ……謙虚過ぎてそれ以上突っ込めないや。一応聞いておくけどその首の痕は何?」


「ふぇっ!? こ、これはその……む、虫……除け……でしゅ……」


「相変わらずあんなに素敵な人に愛されてて羨ましいわ。詳しく聞かせてよ。生? チューハイ?」


「う、烏龍茶で」


 詩音ちゃんは勿論、八年ぶりに合う同級生達はその面影を残しつつも皆それぞれ個性豊かに成長していて、思い出話昔話に彩付き花は咲く。

 浅酌低唱、皆は次第に酔い始め……何故か口々に連絡先を聞かれたけど、必要性は感じなかったのでお断りしていた。そんな中、距離感の近い同級生は私の隣に座り肩に手を回してきた。


 思わず驚き、目を丸くしてしまう。

 その同級生の手には私の肩ではなく、小さなお酒のコップが握られていたから。

 私達が座る座敷席の後ろから聞こえる賑やかな声。

 二度、目を丸くしてしまった。 


「お兄ぃさん、それセクハラだよ? その子、連れの彼女なんだけど。まぁ……私と飲み比べで勝てたら許してあげるけど?」

「アルハラで対抗だー。シオちんやったれー!!」 


 どうしてお二人が……


 渡されたお酒は相当度数が強い物だったのか……一杯飲んだだけで同級生はフラフラとし……栞さんはそれを見て笑いながら容れ物で直飲みしている。


 再び肩に訪れる手。

 何故か拒むことなくスルリと受け入れ……在るべき場所へ納まる感覚。

 首筋の痕が、主を求め熱く疼いている。


「ほら、悪い虫が寄ってきた」


 その声に、酒も飲まずに酔ってしまう。


「甘美な花には虫がつきやすいの。雫は可愛いんだから、自覚して?」


「で、ですが── 」


 頬を両側から押され、雛のような口でパクパクしてしまい……そのまま口を塞がれた。

 心地良いほろ酔いに、全てを委ねる。


「雫、あなたは私の可愛い恋人なの。分かった?」


 肩書なんて必要無いのかもしれないけれど、皆が社会人ならば……私はあなたの恋人。

 小さく頷くと、あなたは首を横に振りまた一つ口を塞いだ。


「返事は?」


「…………はい」


 とびきりの可愛いお洋服もお化粧も、首筋の痕も、全てあなたのモノだという証。

 色々と質問する詩音ちゃんに、あなたは愛らしく微笑みながら答えていた。

 芸能人だから、有名人だから。詩音ちゃんのそんな言葉が、私の胸に響いている。


「誰にも見せたくないんだけど、皆んなに見せつけたいじゃない? こんなに可愛い恋人なんだから。ふふっ、矛盾しちゃうくらい大好きなの」


 名士なあなたと名もなき私。もしかしたら、私が恋人だから……それがあなたを抑圧してしまい、枷になっているのかもしれない。

 でも、それでもあなたは私を選んでくれるから……背伸びしてでも隣に。そう思うと、優しいあなたは私に合わせて屈んでくれる。

 そんな必要無いっていつも言ってくれるけど、そうでもしないと素敵なあなたを誰かに取られてしまうんじゃないかと不安になってしまう。

 だからだろうか……

 寝転がりおでこ同士をつけている瞬間……背伸びも屈む必要も無いその瞬間が、好き。

 

 酔いは深まり、思考と現実の境目が分からなくなってしまう。

 酒の席の無礼講……お酒は飲んでないけどこれだけ酔ってしまっているのだから、許してくれますよね?

 

 あなたの肩を引っ張って、座敷の上で横になる。

 おでこ同士が重なり鼻先が触れ合うと、あなたの香りに酔いが増す。


「私も大好きです」


 美しい瞳がよく見える程目を見開いて……あなたからも私と同じ、酔いの香りがした。


 何枚ものお札を詩音ちゃんに手渡して、私を抱き抱え連れ去るあなた。

「またね」と言い手を振る詩音ちゃん達。それから……楽しそうに笑いながらクラッカーを鳴らし見送ってくれた栞さんと葵さん。

 去り際に貰ったお酒が入った箱を抱え店を出ると、雑居ビルの隙間であなたと戯れた。


 この恋への酔眼朦朧。

 気が付けばその胸の中で寝てしまい……翌日は、あなたの隣で始まる幸せな二日酔い。

 貰ったお酒、藤の花酵母で造られたそれを見て……あなたと笑い合い、優しく唇を重ねた。


 藤の花、その花言葉は「恋に酔う」。

 

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