第146話 人気女優の恋人は女子大生


 私の名前は雨谷雫。

 田舎から上京して四年目、東京のおまちまで電車で四十五分程の所に住んでいる元女子大生。


 卒業式が終わり、家族皆で横浜にある写真館へと訪れた。

 忘れられない……大切な日。

 今日は、私達の卒業記念日です。

 

「雫、着物キツイでしょ? 大丈夫?」


「ふふっ、大丈夫です。晴さんこそ大丈夫ですか?」


「うーん……早く脱ぎたいにゃ」


 お揃いの桜柄の着物。

 何をしても、何を着ても、私の恋人は素敵な人である。


「晴ちゃんまた可愛くなったなぁ!! 胸焼けしそうな位幸せなのが伝わってくるよ」


「ふふっ、幸せでーす。可愛く撮ってね」


 私達の為だけにお店を開けてくれる店主。

 大切な記念日はここに来て写真を撮るという、私達の恒例行事。

 先ずは私達二人だけの写真撮影。

 毎回緊張してしまう私を、晴さんは優しく解いてくれる。

 今回は…………


「雫、素敵な卒業式だったね。総代……大学の代表でしょ? そんな雫が私……ふふっ、誇らしかったなぁ。私の恋人だぞーって。私が何かを成し遂げた訳じゃないんだけどね」


「…………私もいつも同じなんです。テレビの中であなたを見ると……こんなに素敵な人が、私の恋人なんだよって……こっそり思ってます」


 あなたの言葉が、ゆっくり溶かしてゆく。


「ふふっ、じゃあ一緒だね。仲良しだ♪」


 同じように私も微笑むと、シャッター音がスタジオ内に響いた。

 あなたの手にかかれば……私の中にある可愛いは、いとも簡単に引き出されてしまう。


「じゃあ次は家族写真だ。晴ちゃん、どっちの家族からにする?」


「……みんなで一つの家族だから、みんなで撮りたいかな」


 彩ちゃんに手を引かれ渋々輪の中に入るお父さん。その片手には、お母さんの写真が握られていた。

 雨谷家も日向家も、みんな揃って……あなたの優しさに包まれて、一つの家族。騒がしい後ろを他所に……隠れてあなたと一つ、口付けをする。


「ねぇパパ、抱っこして撮ろうよ」

「な、何を馬鹿なことを……」

「ふふっ、良かったね彩。今日は素敵なパパがいるものね」

「……後でするから今はカメラに集中しなさい…………」

「今がいいの。家族写真で父親がいるの初めてなんだし…………」


 この日この瞬間の想い出は、忘れることなんて出来ない。

 瞬きをする間に花が咲くこの瞬間を。


「…………晴、キミがこれを持ってなさい」


 誰かの前で、お父さんが名前を呼んだのは二回だけ。

 それは不意に訪れて去っていくから……日々の一秒を大切にしようと、胸に刻む。


 写真を託された晴さんは俯きながら声を震わせる。その口元は、無理をして微笑んでいるように見えた。


「もー…………化粧落ちちゃうじゃん……」


 ……恋人として、家族として、今度は私の番。

 あなたの手を優しくとり、促すように肩をたたいて微笑んだ。


「私も涙でお化粧が取れてしまってます。ふふっ。一緒の……仲良しさんですね」


「…………好き。大好き。雫と出会えて私幸せ」


 あなたからの口付けが、写真撮影の合図となる。

 お父さんに背負われた彩ちゃんも、お義母さんもお父さんも……写真の中のお母さんも、晴さんも……

 そして私も、同じように微笑むこの瞬間に、幸せの花が咲く。

 窓の隙間から入り込んだ桜の花弁が告げる卒業、踏み始める新たな一歩。

 

 震える手を優しく握ってくれたあなたに背中を押され踏み出す。

 いつの日か一人で……なんて思うけど、いつの日もあなたが隣にいてくれるから、これから踏み出す一歩は全てあなたと共に。


「お母様、お父さん、彩ちゃん、お母さん、晴さん、皆んな……皆んな大好きです。ふふっ、ありがとう!!」


 咲き誇る花々を捉えたカメラ。

 切り取られたその一枚は、ここにいる凡ての世の春の……始まり、始まり。



 ◇  ◇  ◇  ◇



「私も勉強して女子大生目指してみよっかにゃぁ」


「ふふっ、とっても素敵だと思いますよ?」


 網戸になった我が家の窓から一つ、風光る日曜日。

 ソファの上で見つめ合い、時折唇を重ねる私達。


「まぁ……手っ取り早くなれる方法があるけど」


 そう言ってあなたは瞳を閉じて、深く息を吸った。

 なりきるあなたのいつもの仕草。

 あなたが女子大生なら私は…………


「では私は商店街の路地で酔い潰れている人気女優、というところから始めますね」


「もー、その設定必要?」


「必要です。……ここから始まったんですから」


 あの時の一歩が、全ての始まり。

 それは、私の中で凍りついていた心が溶け出す一目惚れ。

 ……なりきってみよう。

 あなたの真似をするように、深く息を吸い目を閉じると……世界が変わってゆく。


「ふふっ、凄いなぁ。いつの間にそんなこと出来るようになったの?」


「……だって私は、あなたの恋人ですから」


 人気女優と女子大生。

 アルバムの一枚を懐かしむように、私達は演じてゆく。


「では……始めますよ?」


「ふふっ、どうぞ♪」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る