第144話 身を知る雨が陽に照らされて


「あれ、今日も大学に行くの? また卒業式の打ち合わせ?」


「いえ、今日は彩さんと大学で会うお約束をしているんです。春休みですし講義はありませんが……私も大学生でいられる時間は僅かですし、思い出づくりにと……」


 私と同じ大学へ……そんな嬉しい言葉を現実にした彩さん。でも、同じ学舎で過ごせた時間はたったの一年。

 もっと……彩さんの為に何か出来たのではないだろうか。

 そう思うことが多くて…………


 ◇  ◇  ◇  ◇


「で、なんで晴姉がいるの?」


「いいでしょ? 大学の思い出に私も混ぜてよ」


 春休み、学生の姿は殆ど見られない。

 違和感なくすんなりと構内に溶け込む晴さん。彩さんは何処となく機嫌が悪そう。


 春休みの間、こうした彩さんとの時間が増えていて……いつも通り、お洒落な珈琲屋で買ってきた飲み物を片手に談笑する。

 時折互いの飲み物を交換して、違う味を楽しむのだけれど……


「雫が飲んだものは私を経由してから彩が飲んで」


「はぁ? 意味わかんないし。っていうか晴姉部外者なんだから敷地から出てってよ」


 彩さん、どうしたんだろう……

 私が何かしてしまったのだろうか……


「彩、ちょっと態度悪くない? 確かに私は学生じゃないけど……」


「晴姉には私の気持ち分かんないよ。全部持ってる人には……絶対分かんない。だったらせめて……数少ない私の場所までは取らないでよ」


 私の……場所……

 ……ここは彩さんが許多きょたの努力で……頑張って……頑張って、漸く辿り着いた場所。

 雫、あなたに出来ることはなに?

 考えてる時間なんてないよ?

 歩け、進め。

 背中を押せないなら、引っ張ってあげればいいでしょう?

 前に立つ者として、先輩として、そして……私はあなたの──


「あ……あ、雨谷雫二十二歳、歌います!!」


 私に出来ることなんて、たかが知れてる。でも……こんな私でも出来ることが一つあって……どうしてもっと早くしなかったのだろうと、卒業間際で後悔している。


「あおーげばーとうーとしー」


 私、嬉しかったんです。

 慕ってくれて、追いかけてくれて……

 私を見る度に笑顔で手を振るその姿が、透き通るように澄んだあなたの沢山の表情が、いつだって私の心を彩ってくれる。

 今だって……錆御納戸さびおなんどに染まるあなたは、大粒の涙を流しながら私に抱きついてくれている。


「やだよ……雫、卒業しないでよ……せっかくここまで来れたのに…………」


「…………私の思い違い、自惚れかもしれませんが……彩さんはどうしてこの大学に来たかったんですか?」


「そんなの……雫がいるからに決まってるじゃん。ずっと……ずっと雫を追いかけてきたんだから……」


 再び声を震わせた彩さん。

 優しく頭を撫で、晴さんをチラッと見ると……促すように、温かく微笑みながら頷いてくれた。


 晴さんの妹だからこそ出会えた、私の大切な人。

 そして、もし受け入れてもらえるならば……あなたは私の大切な妹。


 優しくも強く抱きしめ……おでこに一つ口付けをすると、驚きと喜びが混ざった朱華はねず色をした愛らしい顔で私を見つめ……甘えるように私の胸へ顔を擦り付けた。

 

「……私の姿は今、どう見えますか?」


「…………全然遠いや。頑張ってここまで来たのに、その背中が大きすぎるから視認出来てただけだって痛感させられる。優しくて温かい……憧れの背中だよ」

 

 その存在を私も知っている。

 近づけば近づくほど遠ざかる……母の背。

 いつの日か振り返った時に、背ではなく……笑っている母の顔が見れるよう、私なりに藻掻き足掻いて歩んでいる。


 追いついたその瞬間に見える母の景色、そして……背中を押され見える私の景色。

 そうやって人は繋がっていくのならば、私は…………


「ふふっ。歩みを止めない限り、必ず来れますよ? あなたは私の大切な……大切な妹です。何時迄も待ってますから。ね、彩ちゃん?」


 身を知る雨が陽に照らされて、あなたの瞳は輝きを増す。


「うん、うんっ!! 私、絶対に追いつくから。待たなくても……走って追いつくから!!」


 勢いよく私の頬に唇をつけると……更に勢いよく反対側の頬に唇をつける晴さん。

 幸せに挟まれた私、その勢いのまま芝の上で三人寝転び……はしたなくも、大きな声で笑い合う。

 春霞はるがすみ……滲む瞳を、柔らかな指が両側から拭ってくれた。


「ふふっ……春ですね」

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