第133話 十八歳の影


「母校で講話? ふふっ、凄い話だね」


 来週、彼女が卒業生代表で行うらしい。

 私でも名前を聞いたことがある有名な女子高校であり、県内屈指の進学校。

 私の事じゃないし何をした訳じゃない、彼女の努力の賜物だけど……だけど、自分の事のように嬉しくなってしまう。

 私の彼女は凄いんだよって……自慢したくなっちゃう。


 でも当の本人は……


「私で本当に良いのかと思ってしまい一度は断ったのですが……一体何を話せばいいのか、なかなか決めかねています」

 

 自信なんてなくてもいいから……ただ、雫が歩いてきた道は私に繋がっている。

 そう伝えたくて指を絡ませると……私の気持ちが伝わったのだろう。大きな瞳をキラキラと輝かせて、彼女は愛らしく微笑んだ。



 ◇  ◇  ◇  ◇



「で、なんで二人が付いてきてるのかにゃ?」


「お嬢様学校なんて楽しそうな所独り占めしないでよ。ヒナ、次のコンビニで止まって。麦風味炭酸水買うから」


「私も楽しそうだからつい。栞、それ発泡酒って言うんじゃなくて?」


 道中、車内後部では何故か栞と葵がいて……でもなんで二人が……


「ごめんなさい、私が栞さんにお話しました。その、今日は晴さんにも同行して欲しくて……でもそうなると、晴さんに気が付く生徒や先生が必ず出てくると思うんです。なので── 」


「火消し部隊でーす」

「二号でーす」


 逆に油を注ぎそうな二人がゲラゲラと笑う。

 でも……私の大切な二人が彼女の事を慕ってくれているこの景色。ルームミラーが、淡く滲んでいた。



 ◇  ◇  ◇  ◇



「栞さん、大丈夫ですか? 顔色が良くない気が……」


「ヒナの運転が下手糞なだけ。葵、そこのベンチまで私を運びなさい」

「重っ……ヒ、ヒナちゃん手伝って……」


「えぇ……あなた達は何をしに来たの……」


 高校に着いたはいいものの、車内で飲み続けた栞を介護する羽目に。

 それにしても……聞いていた通り、厳かで質の良い学校だとひと目見て理解した。

 行き交う生徒達を眺めていると、私の通っていた学校はまるで動物園だったのかと思わされてしまう。


「私は少し先生達とお話をしてきますので、晴さんも少しお休みしていて下さい。長旅の運転、ありがとうございます。では言って参ります」


 校舎へ向かう彼女。

 何度も振り返り手を振る姿が愛しい。

 彼女が見えなくなるまで、手を振り返した。


「……ヒナ、いつから名前で呼ばれてんの? あの子、口を開けばひなたさーんひなたさーんって言ってたのに」


「いいでしょ、いつだって。私はね、雫の晴なんだから」


「訳分からん。ごめん葵、吐くわ」

「きゃーーー!!!?!?」



 ◇  ◇  ◇  ◇



「あれ? 葵さん……どうして学校指定のジャージを着ているんですか?」


「麦風味がね……」

「あー、スッキリした。雨谷さんもうすぐでしょ? さ、気合い入れていくよ」


 彼女が過ごした学舎。目を瞑り、在りし日のその姿を思い描く。

 当たり前だけどその景色には私がいなくて……大人気なく嫉妬してしまう。

 私達は出会って漸く二年。この学舎は、三年間も彼女と過ごした。

 私の知らない彼女の顔を……アンタは覚えているんだよね。でも私だって…………

 そう幼稚に張り合っていると、立ち止まった彼女にぶつかった。

 両手を広げ……目を瞑っている。


「この学舎での想い出、晴さんで埋め尽くしてください」


 どうしてか……なんて、考える必要は無い。だって、雫も同じ気持ちなんでしょ?

 思い切り抱きしめると、それを離すまいと同じように彼女も強く抱き返す。

 おでこ同士を重ね合わせ、鼻先を擦り付ける。


「ふふっ。塗りつぶしてやる」


「……お願いします」


 ゆっくりと目を見開く彼女。

 ぐるりと見回すように、抱きしめながら優しく回転し……その学舎の景色共々、私の愛で塗りつぶした。



 ◇  ◇  ◇  ◇



「それでは雨谷さん、よろしくお願いします」


 ホールに集まった約三百人の学生。

 舞台袖から出てきた彼女は臆することなく……凛とした端麗な姿で、一礼をした。

 

「ご紹介にあずかりました、雨谷雫です。さて…………このような素晴らしい舞台で何を話せば良いのか……私は大層な人間ではないので、皆様の糧となるようなお話は出来ません。ですが……唯一ただひとつ、誇れることがあります。と言っても……ふふっ。私の中で、という話なので……今日は四年前、高校三年生だった頃の私に向けて手紙を書いてきました。もしこの手紙を通して……些少でも、皆様の心にある大切な何かに触れられれば幸いです」


 彼女の言葉を思い出し、その一挙一動を心に焼き付ける。


 “今日は晴さんにも同行して欲しくて”


 いつも……こんな風に見守ってくれてたんだね。

 雫がいてくれる、そう思っただけで私は可愛くなれたの。

 今の雫にとって、私はどんな存在かな。

 私はここにいるよ。頑張ってね、雫。



【……もうすぐ卒業ですね。四年後の私も、あと一月で大学を卒業します。そう、あなたのお母さんと同じ大学です。お母さんが亡くなって以来、何をしても楽しくなくて……何かをする意味が分からないまま、あなたはそこに立っています。最後に笑ったのはいつですか?私は……ふふっ、今こうして沢山笑っています。では……少しだけ、ほんの少しだけ未来のお話をします。あなたが笑えるようになったこと、沢山の意味を知ったこと……それは、大好きな好きを見つけられたから。その好きは、あなたのお母さんと同じ名前で……あなたと同じ誕生日。それから、あなたと同い年。ふふっ、凄いでしょ?あなたの好きは、私の大好きは、凄いんだよ。ピアノ、習字、生花……どれも正解の無い習い事。それは頭が固いあなたに、正解なんて無くてもいいんだよっていう……お母さんが残してくれた、大切な贈り物。全て、大好きな好きが教えてくれました。それから………………それから、あなたに伝えたい事が沢山あります。意味の無い事なんて無い、あなたの歩んだ一つ一つが……繋がってる。だから焦らず、あなたの歩みでおいで?素敵な未来で、待ってます】 



 滴る涙の理由は、大好きな好きが溢れて止まないから。

 私もいつも……同じことを思っていた。

 良い事も悪い事も沢山あったし、その歩みを止めようと思い……飲んで潰れたあの日。

 その全てが雫に繋がっている。

 何が正解か、なんて分からないことが多いけど……でも、私達がしてきたことは間違いじゃない。

 だって、こんなにも幸せなんだから。

 ……ふふっ。ね?雫。


「……何が正解か、なんて分からないことがこれからも沢山あります。私は運が良かっただけだと今でも思います。でも……歩み続けたからこそ、見つけられたもの。どうか、皆様にとっての大好きな好きを見つけて、大切にしてください。その好きが……皆様にとって本当の意味を教えてくれると、私は思っています…………ふふっ。そうですよね、晴さん? では次に、私が大学生活で──── 」


 

 ◇  ◇  ◇  ◇



「凄い拍手だったね。素敵なお話だったよ」


「……ごめんなさい、思わず晴さんの名前が出てしまいました。あれで良かったのでしょうか……」


「ふふっ、大丈夫。ちゃんと届いたよ」


 放課後、生徒達の居なくなった教室で椅子に座る私達。ここは四年前、彼女が在席していた教室。

 無理言ってお願いし借りた制服を着ると、少しずつ……時間が巻き戻っていく。

 

「ヒナ、一時間はこの校舎に誰も入ってこないから、その間に楽しみなさい?」


 栞と葵が教室に入ってきたけれど、何故か二人も制服を着ていて……その光景がなんだか可笑しくも愛しくなってしまい、思わず笑ってしまう。


「二人共なに? その格好は」


「女子高生になって酒飲む背徳感を味わう為。葵、隣の教室で飲むよ」

「ねぇねぇ、私先輩役でいい?」


 全てがこの幸せに繋がっているならば、その全てを染める必要なんて、本当は無いのかもしれない。


「…………ふふっ。出会う前の時間さえ私は求めちゃうけど……知らない雫も含めて愛さなきゃ、この地続きの幸せに失礼かな?」


 秒針を進ませようとした私の覚悟を、せがむ彼女の上目遣いが、いともたやすく崩していく。


「……塗りつぶしてくれないんですか?」


「…………ふふっ、どうしようかな」


 精一杯の強がりも、私達の秒針は巻き戻っていく。


「……お願い、晴さん…………」


 椅子の脚が引きずられる音が教室に響くと、十八歳の影は一つに重なり合った。

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