第130話 魔法使いとモルペウス


 振袖姿の私が出ている正月の特番を見ている彼女。

 少しだけ強張った肩、いつも以上に姿勢よく見える後ろ姿。

 なにかモヤモヤしているんだろうなと見るだけで分かるのは、きっとこの世界で私だけ。 

 

 声をかけようと彼女に近づくと、私の腹のなる音が響いた。

 彼女は目を丸くしたあと、愛らしく微笑んだ。その右手はパー、左手はチョキ。

 違う……五と二で七を表しているのかな?


「ふふっ、今日はなんの日でしょう?」


 そっか、今日は一月七日……だからその仕草なんだ。いくら考えても今日は土曜日しか出て来ないので、カレンダーをチラリ。えーっと、今日は……


「人日の……節句?」


「ぱんぱかぱーん♪ 正解です!」


 笑顔で左右の手を振り、私を祝う。

 可愛過ぎて理性が飛びそう…… 

 

「というわけで、採りに行きましょう」


「えっ? なにを?」


「ふふっ、春の七草です」



 ◇  ◇  ◇  ◇


 

 庭に出た彼女は、人差し指を口に当てて何やら悩んでいる。

 彼女は気がついていないけれど、その仕草は私がよくやってしまう癖。

 私のモノだとマーキングした気持ちになり……まぁ独占欲が高いなと、思わず笑ってしまった。


 春の七草って言ってたけど……あれ?


「ねぇ雫、それって七草?」


 立派に育った美味しそうな白菜を収穫する彼女。

 この庭で育つ野菜は、全て私好み。きっと彼女が意図的にそうしているのだろう。


「芹薺、御行繁縷、仏の座、菘蘿蔔……これが一般的に言われている春の七草ですね」


 そう言いながら彼女が収穫するのは……


 白菜、大根、菜の花、小松菜、わさび菜、ネギ、柚子。


「明方、乾煎りした𩹉あごで出汁をとっておきました。日向さんがお好きないつものお出汁です。それと、今採った六種のお野菜とお米を煮込み……塩と粉末にした𩹉を上からまぶして完成です。柚子の汁、それからお砂糖と蜂蜜を和えた柚子皮を刻んで小皿に乗せ……ふふっ、味変なるものでしょうか? それらをかけて最後はさっぱりと終わるのも良さそうですね」


 聞いただけで三回もお腹が鳴る。

 そんな間抜けな私の顔を見た彼女は、嬋媛せんえんに微笑みながらベンチに腰を掛けた。

 髪の毛を耳にかける仕草がなまめかしくて、今が何月か分からない程に身体が火照っていく。

 

「春の七草……大本となった中国の文献では “正月七日を人日とし、七種の菜をもっあつものつくる” と、記されていました。ですがこれは旧暦のお話ですし……地域によって、その家によって入れてある具材も違っています。ですから── 」


 何度、私を恋に落とせば気が済むのだろうか。

 底のない愛だから、何度でも、何処までもこの恋に溺れていくのだろう。


「ふふっ。適当で……良いんです♪」


 冬麗ふゆうらら、あどけなく悪戯に笑う彼女の笑顔が鳴り響く。

 初めて見るその表情を他の誰にも見せたくなくて、隠すように抱きしめた。

 速まる私の鼓動とその理由に気付いた彼女は、顔を赤く染まらせながら私の胸へ顔を埋めている。


 こんなにも素敵な表情を見せてくれた理由は……きっと、絶対に、私といるから。

 まだ見ぬ彼女を引き出せたことが嬉しくて、まだ見ぬ彼女が愛しくて……好き。


 一歩踏み出した景色、どう見えてる?

 私はどんな顔をしてる?

 大好きだよ、雫。


「……私も大好きです」


「ふふっ、凄いね雫は。魔法使いみたい」


「私が魔法使いなら……日向さんはモルペウスですね」


 その言葉の意味が分からなくて家の中に戻る最中に調べた私は、思わず頬が緩んでしまった。

 つくづく思うよ。ホント、仲が良いよね私達って。



 ◇  ◇  ◇  ◇



 台所では彼女が採れたての野菜を切る音が響いている。

 温まるにつれて香る出汁の匂いも相まって、お腹の音が暴れている。


「そういえばさ、昨日買い出しに行った時七草粥のセット売ってたよね? どうして買わなかったの?」


「……あなたが喜んでくれるものが、他人が作ったものなんて悔しいじゃないですか。出来ることなら、あなたを満たすもの全てが私でありたいんです。ふふっ。これって、重たいですか?」


 私のモノだとマーキングしていたつもりだったけれど……案外その逆で、私が彼女の手の平の上で転がされているのかもしれない。

 思えばこの恋が始まってからの主導権は…………ふふっ、私じゃなかった気がする。

 

 台所に立つ彼女の姿に、二年前を重ね見る。

 初めて私のマンションに来たあの日のあの言葉が、私を優しく包み込む。


“一人で駄目でも……二人一緒なら……私は……私は、ずっと隣にいますから”


 魔法にかけられたように、身体が自然と彼女の隣へ向かう。

 ううん……ずっと魔法にかけられているんだと思う。

 

「日向さん?」


「手伝うよ。一緒に作ったほうが……美味しいでしょ?」


 二度と彼女から離れられない、優しくて重たい魔法に。

 

 そして彼女は夢を見る。

 甘くて重たい、夢を見る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る