第121話 伸ばす理由、伸びた理由


 突然ですが、今日はおまちの中のおまちへ来ています。

 もし私が東京で生まれていたとしても近づくことなんてない程にお洒落なここは、日向さん行きつけの美容院。

 店主である葵さんは、日向さんが幼い頃から通っていた美容院の娘さんだそうで……

 そんな二人は幼少期からのご友人。独立した今では日向さん専属の美容師さんとして活躍されていらっしゃるそうです。


「ごめんねー、急に来ちゃって」


「ホント急すぎるでしょ。で、どうしたの? その子が例の?」


「ふふっ、可愛いでしょ? 実は今日── 」


【大分髪伸びたね。そろそろちょっと整える?】

【そうですねぇ……では、庭で切ってきますね!】


「──って感じで、慌てて連れてきちゃった」


「ハハッ、いいよいいよ。彼女さんそこの椅子に座って待っててね。ヒナちゃんはどうする?」


「栞が打ち合わせしたいっていうから、奥の部屋使わせてもらっててもいい?」


「はいはい、ご自由に。さて……初めましてだね。今日担当させてもらう葵静あおいしずかです。ヨロシクね」


「は、初めまして。雨谷雫と申します。本日は何卒よろしくお願い申し上げます……」


「ふふっ、硬い硬い。本日はどのようにします?」


 どのようにと言われても…………分からない。

 小さな頃はお母さんが切ってくれて……真似をするように、自分で切り始めた。

 いつも同じ髪型。

 その中にお母さんがいてくれる気がして、変えられなかった髪型。

 日向さんと出会ってから、一歩ずつ進み始めた私と同じように、この髪は伸び始めた。


 葵さんはそんな私の髪の毛を触ると、納得したような顔で頷いた。


「へぇ……よくケアされてる毛だね。流石はヒナちゃんの恋人だ」


「これは、その……日向さんが毎日して下さって……ですから私は何も……」


 お風呂上がり、髪を乾かす前に塗るオイル。霧状で吹き付ける髪に良いモノ(多分)。優しく櫛で梳かされる度に、あなたからの愛情が染み込んでいった。 


「……美容院に行く時ってさ、どんな時だと思う?」


「髪を切る時や染める時……でしょうか?」


「ふふっ、建前はね。ただ切るだけだったら駅前の千円カットに行くでしょ? 美容院ってさ、心に余裕が無いと来れないの。お休みの日、雨が降っている日、デートの前の日、破れた恋から踏み出す日……心に余裕があるから、前に進もうって思うから、人は一歩変わりたくて美容院に来るの。髪の毛をケアしてる時も、それに近い感じなんだよ。雨谷さんの髪の毛が教えてくれるの。ゆったりした空間、優しいブラッシング、する側もされる側も……ふふっ、幸せなんだろうね。あなたの髪の毛にはそんな幸せが沢山詰まってる」


 毎日見る、幸せな景色。

 私の髪の毛を梳かす時間、鏡越しに映る私とあなたは、愛屋及烏あいおくきゅううの瞳で微笑んでいる。

 思い出すだけで、思わず頬が緩んでしまう。


「可愛いなぁ……ねぇ、私に全部任せてもらえる?」


「お、お願いします」


 慣れない私を気遣って、葵さんは笑いながら「目を瞑っていればいいよ」と仰った。

 お洒落な音楽、小気味好い会話。

 日向さんは普段どんな気持ちで切ってもらっているのだろうか。

 きっと葵さんと笑い合いながら……

 ……その話の中に、少しでも私が含まれていれば嬉しいな。


「ニ年近く前にね、ヒナちゃんが急に恋バナしてきた時があって……そういうの嫌いな子だから驚いたんだけど、中々話せる相手がいないからって。それ以来かな……毎回合う度に、雨谷さんの話を沢山してくれるの。料理もピアノも書道も生花も出来て、大学で一番成績が優秀なんでしょ? 自慢してる時のヒナちゃんの惚気っぷりを見るとね……あなたが相手で良かったって、心から思える。ヒナちゃん専属の美容師として……それから、友達として言うね。ありがとう、雨谷さん。さ、目を開けて」


 気持ちが追いつかない。

 今はただ……あなたに会いたい、あなたの顔を見たい。

 そう思って目を開けると、美しく整えられた髪の毛と……それから、葵さんの横で腕を組みながら微笑んでるあなたが鏡に映っていた。

 どうしよう……恥ずかしくて……嬉しい。


「誰かさんの愛情たっぷりの髪の毛だったから、軽く整えるだけにしました。まだ伸ばすんでしょ? 伸びてもおかしくならないようにバランスを調整してあるから……これからも愛情注いでね、ヒナちゃん」


「……葵、ちょっと目瞑ってて」


「はいはい。奥にいるから済んだら呼んで」


 愛しそうに私の髪を撫でる日向さん。

 その指先は徐々に顔へと近づいていき、唇に軽く触れてから、私の顎を軽く持ち上げた。

 その後は……沢山、あなたからの愛情をもらった。唇が離れる度に、私を褒めてくれる。

 “可愛い”と、何度言われたか分からない。只々応えるように……指先と、あなたと繋がる場所を絡ませた。


 

 ◇  ◇  ◇  ◇



「葵、もういいよ」


「はいはい…………砕けきってるけど、その子大丈夫?」


「ふふっ、仕方ないよ。可愛過ぎるんだもの。だってね── 」


 夢見心地、鏡越しで見るあなたは喜⾊満⾯に染まっていた。

 心を許せる友に語る、恋の話。

 普段見ることの出来ないあなたの姿は、私色に包まれて見えた。

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