第106話 雨過ぎて天晴れる


 雨過ぎて、天晴る九月末。

 お揃いの長靴を履いて日向さんとデートしています。

 わざと水溜りに入ってはしゃぐ日向さん。愛しさ全開で見つめていると、「雫もおいで」と優しい瞳で語ってくださったので、真似をしてはしゃぎます。


「ふふっ、なんだか楽しいですね」


 暫く水溜りで遊んでいたので気が付かなかったけれど、日向さんは立ち止まってスマホを私に向けていた。


「どうしましたか?」


「水溜りではしゃぐ可愛い可愛い雫の動画を撮ってたの」


「ふぇ!? け、消しましょう!」


「ふふっ、イヤ。雫も撮ったら?」


 そう言われたので、私も携帯電話の画面とにらめっこです。

 日向さんは気を使ってくださり、カメラに気が付かないよう自然にはしゃいでいます。


 あなたが隣で笑う、当たり前の景色。

 でもそれは当たり前ではなくて、奇跡のような毎日の積み重ね。

 だからこそ、掌中の珠が零れ落ちていかないように……この尊い毎日、目が覚めても隣にいてくれる幸せに感謝している。


 気がつけば携帯電話を閉じて、あなたを見つめていた。


 水溜りで藻掻いている小さな天道虫を指で掬い、優しく街路樹へ移すあなた。

 「次は溺れちゃダメだよ?」と、天道虫に瞳で語っていた。

 

 虫が嫌いなあなたは、普段なら絶対に触れない筈なのに……

 私以外に向けられた優しさに毎回嫉妬してしまうけれど、そんなあなただから……そんなあなたが、大好き。


「恥ずかしいからさっきのは消しといて……あれ? 撮ってないの?」


「ふふっ、勿体ないじゃないですか。写真や動画も素敵ですけど……きゃっ!? ひ、日向さん?」


 後ろから覆いかぶさるように伸し掛かり、私の耳を甘噛する日向さん。

 力が抜けてしまった私は、すんなりと御姫様抱っこされた。

 秋陽をも従えてしまう程、あなたの顔は何よりも眩しい。


「あ、あの……日向さん……?」


「雫、私のスマホ持ってて」


 胸ポケットにある日向さんのスマホ。

 録画画面になっていて、数字が増えていく。わけも分からずにカメラをあなたへ向けると、待っていたという微笑みであなたは口を開いた。


「九月二十二日、今日は雫とデートしてるよ。雨が止んで、良い天気。こういう時は……なんて言うんだっけ?」


「……雨過天晴です」


「ふふっ、ありがと。こうしていつも雫に教えて貰ってます。いつもの私達、当たり前の景色。そうでしょ?」


 その言葉と微笑みに、顔が熱くなる。

 ……そうだよね。

 私が考えていることなんだから、あなただって同じことを考えてくれている。

 そんな奇跡のような当たり前の、尤なること。


「携帯電話の中身も、雫の心も、全部私で埋め尽くしてよ。私だけには……もっと欲しがりになっていいんだよ? 私の全部、独り占めにしてよ」


 誘うように、私の背中を後押しするように目を瞑るあなた。

 スマホを胸ポケットに戻して、私の携帯電話のカメラを起動させる。

 私達が映るようにインカメラモードで調整して……少し頬が緩んでしまう。

 あなたの顔が、あまりにも可愛いから。


 初めて、あなたの顔を手繰り寄せて……思い切り抱きしめてキスをした。

 それは、全てが私のものだと刻み込むように、甘くて蕩けてしまう耽美なキス。 


 あなたから返された愛情に再度力が抜けてしまい、携帯電話を持つ手はぶら下がる。

 帰宅してから見た動画は、その後の全てが描かれていた。


 水溜りの波紋が、私とあなたの境界線を暈してゆく。

 やがて静穏になった水鏡には、旻天を流れる巻積雲の下、一つに重なった私達が映し出されていた。

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