第107話 日向雨


 九月も終わるというのに、本日の予想最高気温は三十一度。こんな日が数日続いていたけれど、明日からはいよいよ秋が訪れるらしい。

 せっかくなので今年最後のこの暑さを満喫すべく、昨日の夕方から準備されたプールが我が家の庭で物言わず佇んでいる。

 約七メートル×四メートルの巨大なビニールプール。

 

「日向さん、準備出来ましたか? ユニコーンちゃんも出しちゃいますね」


 朝起きた時には既に水着を着ていた彼女。

 浮き輪を使ったことが無い、なんて聞いてはいたけれど……こんなに興奮している時は滅多にないので、余程楽しみにしていたのだろう。

 一緒に選んだ、アクアブルーの水着。

 その胸元や首筋には、昨夜と今朝方私がつけた痕が主張をしている。

 しかし可愛いなぁ……


「空気入れは私に任せて下さい。この日の為に買いましたので!」


 青と黄色の足踏み式の空気入れを手でシュポシュポと押している彼女。そのドヤ顔が堪らなく愛しくて可愛い。

 電動の空気入れも買ってあるけど、今日はこれの出番は無さそう。

 懸命にユニコーンの浮き輪に空気を入れていく彼女。

 さて、私も準備しようかな。私と同じように、いっぱい可愛いって思って貰いたいんだから。



 ◇  ◇  ◇  ◇

 

  

「じゃーん。どう? 似合ってる?」 


 ハイネックタイプの水着にエスニック柄のパレオを纏わせた、穏健な私。

 どんな私でも愛してくれる彼女だけど、それでも一番喜んでくれそうなものを選んだ。

 正解なんてないけど……ふふっ、嬉しい。


 パンパンに膨らませたユニコーンが床に落ちて空気が抜けていく。

 私一点を見つめて耳まで赤くなった彼女からは、私への想いが止め処なく溢れ出ている。


「似合ってないかにゃ?」


「あ、あの、その……えっと……」


「もー、落ち着いて?」


 優しく抱きしめると、私の胸へ顔を擦り寄せて……大きな瞳を潤ませながら、彼女は口を開いた。


「…………あなたの真似をしてもいいですか?」


「ふふっ、いいよ?」


「めっちゃ……ヤバいです」 


 私の想像を遥かに超えてくる彼女の可愛さ。ホント……めっちゃヤバいでしょ。

 準備運動なんて必要ないくらい、互いの愛を確認し合った。



 ◇  ◇  ◇  ◇



 ユニコーンに跨った彼女は、緊張しながらも高揚した顔で私を見つめている。


「で、では私から入りますね…………ひ、日向しゃん、浮いてますよ!!? ふぇぇ……ふぇぇぇぇ…………」


 毎日が幸せだけど、こうしてとびきりの可愛いを見せてくれる瞬間が凄く好き。大好き。

 愛しさが溢れて止まらない私は、直接彼女にこの想いをぶつける。

 

「ふふっ。なら良かっ…………た!!!」


 わざと水飛沫をあげるように、思い切り彼女のもとへ飛び込んだ。抱きつかれるユニコーンに嫉妬していたので、引き剥がして水の中で戯れる。

 水底で見つめあい、おでこ同士をつける。

 昔見たドラマの真似をして、私から彼女へキスをしながら空気を送ろうとしたけれど……隙間から泡となって漏れていく。

 一瞬目を丸くした彼女は、毛の隙間も無いほどの深いキスをして……ねだるように甘い瞳で見つめてきた。

 漏れることのない私からの空気が彼女を満たしていく。


「ぷはぁ……ふふっ、どうしてあんな顔をしたの?」


「あなたからの贈り物ですから……一つ残らず欲しかったんです」


「…………じゃあ、今度は残さず受け取ってね」


 顔を赤くしながら頷く彼女は、言葉通り私からの愛情を溢すことなく全て受け止めてくれた。



 ◇  ◇  ◇  ◇



 その後も私達はこの環境を満喫した。

 大きな水鉄砲で互いに撃ち合って遊び、どちらが長く水中で息を止めていられるか勝負をした。ビーチボールで燥ぎ、途中からポンちゃんも乱入して……ふふっ、楽しかったなぁ。


 一日しか使わなかったプールに来年を思い、焦がれる。

 暑いのは嫌いだった筈なのに……変わってしまった自分とその理由を考え、自ずと見えてくるその愛しき姿に何度も何度も恋をする。


 浮き輪に乗り水面に揺られ、彼女の作ったモクテルを飲んでいる最中、ポツポツと水面に波紋が広がっていった。

 空は快晴。不思議なものだなとボンヤリしていると、私の上に出来た一つの影。


 見上げると、里芋の大きな葉を茎から切り取って傘にしている彼女が私を見つめていた。

 その姿は、可愛らしいのにどこか妖艶で……只々、魅入ってしまう。


「さて……斯様な天気の事を、狐の嫁入り、日照雨そばえ等と申しますが……もう一つ、素敵な言葉が有る事を……御存知ですか?」


 無学な私がそんな言葉を知る筈は無いけれど、勘だけは良いので何となく……その答えに辿り着く。

 

 声に出そうとした私の唇に人差し指を優しく当てた彼女は、その指を自分の唇に重ねた。こうして私は……化かされる。

 

 真夏日の鱗雲、金木犀とビニールの香り。


 私を抓んだ美しい狐は、大きな葉に顔半分を隠しながら、私を誘うかのように微笑んでいた。

 

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