第105話 分かっても、分からなくても


 朝晩は涼しくなり、過ごしやすくなってきた秋涼の候。

 それでもまだまだ暑い日中、今日は彼女と避暑を兼ねてのタンデムツーリング。

 湧き水が評判の峠へとやってきた。


「山の中だから結構涼しいね。バックパック、私が担ごうか?」


「いえ、嵩張るだけで重くありませんから」


 少し大きめのバックパックを背負っている彼女。この峠に行くと決まってから何やら準備をしていた。

 山ガールファッション、私の彼女は何をやらせても可愛い。


「どうしました?」


「ふふっ、山ガールだなって思って」


「ゆ、雪女的なものでしょうか? 山女とは……」


 怪訝な顔で自分の身体を見つめている。その全てが愛しい。

 頬を撫でると、照れながらも嬉しそうな顔で目を瞑る彼女。

 おでこにキスをすると、おねだりをするように私の服の袖を掴んできたので、応えるように柔らかな場所を重ね合わせた。



 ◇  ◇  ◇  ◇



 避暑に来た筈なのに火照ってしまった身体を、湧き水がゆっくりと冷ましていく。

 荒っぽく飲む私とは正反対、彼女は水を飲む姿も淑やかで美しい。

 見惚れている私を見て微笑む彼女。もう少し、冷ます必要がありそうだ。


「ここのお水は水質検査が定期的に行われているので安心して飲めますね」


「湧き水なんだからみんなキレイなんじゃないの?」


「綺麗なのは確かなのですが……様々な菌や病原微生物、自然由来のヒ素等が含まれている可能性がありますから、基本的には検査をして尚且煮沸消毒してから飲む事が適切なのかと」


「じゃあこれも念の為に煮沸したほうがいいんじゃない?」


「えぇ、ですが……ふふっ、こうして飲む方が美味しく感じますよね」


 手のひらで掬って、私の真似をして飲む彼女。悪戯っぽく微笑むその姿を見ると、水の流れさえも聞こえなくなっていった。



 ◇  ◇  ◇  ◇



「この辺りならいいでしょうか……」


 近くにあったフリーサイトのキャンプ場。

 周囲を見回し、背負ったバックパックから小さな折りたたみ椅子を二つ出した彼女。それから、理科の授業で使うフラスコとビーカーのような物とアルコールランプを取り出した。


「ふふっ、何をするの?」


「見たことはありませんか? では先ずはこちらから……」


 そう言って取り出し渡されたのは……手動のコーヒーミル。三種類用意された豆から一つ選び、砕いていく。


「ふふっ、楽しいね」


 私の言葉に頬を緩ませている彼女。 

 砕いた豆をビーカーのような容器に入れ、フラスコ?には先程汲んできた湧き水を入ると、アルコールランプで温め始めた。

 豆が入った容器をフラスコの上に挿し暫くすると……


「わぁ……なにコレ? どうなってるの?」


 温められた湧き水は沸騰しながら上昇し、コーヒー豆と混ざり始めた。

 撹拌して火を消すと、液体はゆっくりと下のフラスコへ移動し始める。


「お洒落……こんなコーヒーの淹れ方があるんだね」


「サイフォンと言いまして……大気圧や重力を利用して、高い位置にある液体を低い位置に移動させるサイフォンの原理を用いたことからそう名付けられたそうですが……」


「へぇ、サイフォンの原理……」


 悲しいけど詳しいことを聞いても、私は大して理解出来ないだろう。彼女の想いを……ひと粒残らず受け止めたいのに。

 情けない気持ちで困っている私。そんな私にいつも寄り添って、目線を合わせてくれる彼女。

 優しい微笑みとコーヒーの豊かな香りが、私の心を包み込んでいく。


「……上の容器があなた。下の容器が私です。温められた私の想いは行き場を求めてあなたの元へ向かいます。私の想いを受け止めてくれたあなたは、私と混ざり合い一つになり……その愛に溺れるように、ゆっくりと深く深く沈んでいきます。そうして出来たものが……ふふっ、なんでしょうか?」


 私を世界一愛してくれる人は、目の前の彼女。誰よりも理解してくれて、誰よりも寄り添ってくれる。


「……だからかな。このコーヒー、とっても甘い気がする。真面目で優しくて、甘い甘い味が濃いの。どうしてか……ふふっ、分かる?」


 質問に質問で返してしまう意地っ張りな私。私だって……彼女を世界一愛してる。

 照れ隠しにコーヒーを見つめ何度もかき混ぜる彼女。

 一口飲んで何か言おうとしていたけれど、それを遮るようにキスをした。

 いつだって私は素敵な言葉を貰っているから……だから私は、素敵な想い出を彼女に刻み込む。

 二人の想いは混ざり合って、溺れるようにゆっくりと、深く深く沈んでいく。

 そうして出来たものが、私達の……ふふっ、なんだろうね。


 見つめ合った私達は頬同士を擦り寄せて、同じような顔をして笑い合った。

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