第103話 深更のアンサンブル
深夜二時、なんとなく目が覚めてしまい暫くベッドで横になっていたけれど……どうやら本格的に目覚めてしまったらしい。
リビングへ向かいぼんやりしていると、彼女が目を擦りながらやってきた。
「ごめん、起こしちゃったね」
「ふふっ、日向さん感知器が作動したので。眠れないんですか?」
「ちょっとね。雫、明日は講義無いんだっけ?」
「はい。お湯沸かしてきますね」
そう言って、電気ケトルではなくヤカンでお湯を沸かし始めた。
不思議に思いながらも、机の上にあるチョコレートを一つ取って口に含ませた。
「こんな時間に甘いもの食べてると、なんだか悪いことしてるみたい」
「ふふっ。では……一緒に悪い子ちゃんになりましょうか」
悪戯っぽく微笑んだ彼女は、リビングの数カ所にキャンドルを設置し始めた。
ゆっくりと順に火を灯し、優しく照明を消す。
その全てが緩やかで、淑やかで……
時折私を見て微笑む彼女。自然と心が安らいでいく。
私の頬を撫でおでこにキスをすると、ヤカンから音がし始めた。
「確かに、ヤカンの方が良いね」
「ふふっ。少し待ってて下さいね」
私の口についたチョコレートを指先で拭うと、ペロッと舐めて台所へ向かった。
ホント、悪い子ちゃんなんだから。
二つ目のチョコレートを口に含むと、そのまま彼女の元へ向かい、お互いの熱で溶かし合った。
驚きながらも従順になる彼女。
ヤカンはカラカラと音をたて催促している。
「日向さん……ヤカンの火を……」
「私が消してくるから、これ食べてて」
そう言って、半分以上溶けたチョコレートを彼女に移す。
いつも通り、私はコーヒーで彼女はココア。
二人分を作り戻ると、小分けにされたチョコレートの袋を三つ持って彼女は待っていた。
「あ、あの……溶けてしまったので……その……」
「……ふふっ。じゃあ、コーヒーの熱が冷めるまでちょうど良いね」
冷房の温度を二度下げて、ゆっくりと私達は溶け合った。
◇ ◇ ◇ ◇
二杯目のコーヒーを飲んでいると、彼女は携帯ラジオを持ってきた。
「夜なべをする時に、時々聞くんです。もし良かったら、どうですか?」
「ふふっ、お願いします」
揺らめくキャンドルの灯に囲まれて、聴こえ始める少し籠もった音。
それが妙に心地良くて、直そうとした彼女の手をとって、そのまま優しく握りなおした。
軽快な曲が流れ始める。
聞いたことのない曲で、それは彼女も同じらしい。
美しく明朗な曲なのに、その内容は物哀しい恋愛ソング。
繰り返されるサビは覚えやすく、曲が終わる頃にはすっかり覚えてしまっていた。
もう一度聞きたい、そう思っていたのは私だけではなくて……
「ふふっ、もう一回聞こっか」
そう言うと、尻尾を振って喜ぶ猫ちゃん。タブレットで調べ再度聞き直す。
曲が流れると、彼女は落ち着いた瞳になり何かを呟いている。
「ニ長調……D……F♯……7……Bm……」
時折指を動かしながら集中するその姿は、知的で美しい……清麗高雅。
曲が終わることすら気が付かない程見惚れていると、愛らしく微笑んだ彼女はピアノの元へ向かった。
そして弾き始めるそのイントロは、まさに今聞いていたソレであり……
私を誘うかのような瞳で見つめ、頷いた。
「〜♪」
スマホで歌詞を見ながら歌い始める。
探り探りから慣れてくる、私の歌声。心地良く歌える理由は、都度私に合わせて変化する彼女の奏法のお陰。
互いの音を聴き合って混ざり合うそれは、深更のアンサンブル。
サビになると私の後ろでコーラスを歌う彼女。驚いて見つめると、嬉しそうに微笑みながら身体を揺らし……堪らなく愛しく燦めいている。
最後まで待てない程焦がれる心。曲が終わる前に、力強く彼女を抱きしめた。
「どうしてこんなに好きなのかな……」
私の言葉と共に、リタルダンドしながら優しく弾き終わる。音楽でさえも、彼女は私に寄り添ってくれる。
好きな理由なんてどうでもよくて、ただ…………
「ふふっ、どうしてでしょうか? 私も大好きなんです」
お互いが同時に惹かれ合う瞬間のアインザッツは、いつだって寸分の狂いも無い。
なんて、彼女に近づきたくて慣れない楽語を使うけれど……彼女からの愛は、そんな私の気持ちも汲んで纏めて包み込んでくれる。
長くて短いキスが終わると、名残惜しそうに私を見つめ、室内のどのキャンドルよりも柔らかくて暖かな瞳で微笑んだ。
「今……あなたが考えていた事を当ててみますね」
「ふふっ、どうぞ?」
彼女は目を瞑り、相変わらずの可愛い顔は赤みを増して更に可愛くなっていく。
「ritardando……Einsatz……」
「ど、どうして分かったの!!?」
「だって……私も考えていた事ですから」
ただ、この幸せを抱きしめていたいだけ。
そんな目の前の幸せはヒュプッシュ……なんて、少し気取った自分が可笑しくて笑ってしまったけれど……彼女もまた、同じような顔で笑っていた。
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