第102話 星霜を越える私
「ふぇぇ……じ、次回はどうなってしまうんですか!?」
「ふふっ、言ってもいいの?」
「ら、来週を待ちましょう!」
木曜日午後八時放送、日向さん主演のドラマ【
“歴史上、忽然と姿を消した侯爵令嬢レイン。その不可解な謎を追う歴史学者陽子。ある日、不思議な水溜りを見つけた
という素晴らしいお話で、毎週欠かさずに日向さんと見ているドラマです。
陽子役の日向さんはそれはもう美しくて美しくて……
日向さんが出ているものでは、私の中で一番好きな作品。
それから……相手役のレインという名前に、私を重ねて見るのが密かな楽しみ。
視聴率なるものは二十パーセントを超えているようで、これは快挙だそうです。
名実共に日向さんの代表作、そして最終作になりそう……なんですが──
「そうですか……中々の長丁場ですね」
「スケジュールを考えると明日の撮影で終わらないとなんだけど……ここまで人気が出て尚且私の女優としての最後の仕事でしょ? みんな気合い入りすぎちゃってて」
最終話、とある場面だけが上手く撮影出来ていないようで……
日向さん曰く、気持ちが乗らないそうです。
女優の恋人として、私生活ではできる限りのことをしたい。
それが私にできる唯一のこと。
明日の朝はビュッフェ形式にしよう。それから、日向さんの好きな────
◇ ◇ ◇ ◇
「じゃあ行ってくるね」
「はい。今日は打ち上げがあるので遅くなるんですよね?」
「ふふっ、撮影が終わればね。あってもなるべく早く帰ってくるから」
お仕事のお見送り、いつもと同じように頬同士をつけて優しく抱き合う。
いってらっしゃいのキスをして車が見えなくなるまで見送るのがいつもどおりだけれど……
今日は日向さんにとって女優最後の朝になるかもしれない。
何か特別な、そう考えたけれどどうしていいのか分からない。
そんな私を見てあなたは優しく微笑み、私の手の甲に口をつけてくれた。
「行ってきます」
「大好き。いってらっしゃい」
恥ずかしいけれど、精一杯の一歩。
あなたの好きな顔で見送った。
◇ ◇ ◇ ◇
午後四時。撮影完了の連絡は無く、無事を祈って空を眺めている。
そんな私の携帯電話に、一つの着信。
数少ない登録者。画面に表示された名前は、日向さんのマネージャーである栞さん。
「はい、雨谷です。どうなさいましたか?」
『お疲れ様。雨谷さん、今家にいる?』
「はい、います── 」
そう答えた瞬間、家の呼び鈴が鳴り響く。
玄関カメラに映し出された人物を見て、私は鳩になる。
「ふふっ、豆鉄砲は痛かった? さ、行くよ」
「栞さん……あ、あの、どちらへ?」
「んー……とりあえずこれ読んでて」
車に乗せられて、一つの冊子を渡された。表紙には “星霜を越える私” と書いてある。これは……台本?
その内容に感銘した私は、気がつけば何度も何度も読み返していた。
◇ ◇ ◇ ◇
渡された台本は最終話。
現代に戻るはずだった陽子が、キングス・リンでレインのもとへ戻ってくるという場面。
「よし、着いた。雨谷さん、こっち来て」
車のサイドブレーキを引く音で現実に引き戻される。
見覚えのないコンクリートの壁に覆われた駐車場へ降りると、急ぎ足で手を引かれた。
「栞さん、ここは……?」
「そこに立ってて。サイズどう?」
「大丈夫、なんとかなりそう。可愛い……シオちん、どこで見つけたの?」
「ヒナのお姫様。五分で出るよ」
それは、ほんの一瞬の出来事。
もし物語の登場人物になったのならば、こんな気持ちなのだろう。
頭で理解するよりも早く事が起きるから……私は魔法にかけられる。
鏡に映る私は、綺羅びやかなドレスを身に纏い、髪の毛は艶やかな栗色をして……
「ふふっ、良いねぇ。さぁレイン、頼んだよ」
そう。この姿は何度も重ねて夢見ていた……あなたが時を越えて愛した令嬢、レイン。
仄暗い照明の間を歩き、開けられた扉の先。そこは、キングス・リンで逢瀬を繰り返した秘密の小屋が広がっていた。
夢か魔法か、現実なのか悪戯なのか。
ただ、私の頭の中に入っている物語の筋書きを辿る。
小さな椅子に座り、この身の最期とあなたを想い目を瞑ると……ゆっくりと、扉が開く。
遠くで聞こえるカウントダウンは、私とあなたの物語へ誘う
扉を開けたあなたは、目を見開いて一瞬固まり……大きな瞳に覚悟を収め、沈黙と現実を破っていく。
「ど、どうしてレインがここにいるの? ノリッジに戻ったんじゃ……」
「…………私からも質問をします。何故戻ってきたのですか? あなたは……あなたは元いた場所に帰らなければいけないのに」
自然と言葉が出てくる。
「……何よそれ。私に会えて嬉しくないの? アンタなんか……私がいなきゃ何も出来ないくせに」
「えぇ、ですから私はここで
毒薬が入ったグラスを持つ手をあなたは力いっぱい抑え込み、グラスを床で叩き割った。
そう……優しいあなたが怒る理由はいつも同じ。
「ふざけないでよ!! 何のために戻ってきたと思ってるの!!?」
涙を流す理由も、いつも同じ。
「私はあなたに………………陽子?」
「一人にしないでよ…………アンタ無しで……私が生きていけると思ってんの……?」
私の為に怒って、私の事で泣いて、私と共に笑う。
「私も同じよ、陽子。
「……ふふっ、百年後に同じ事を言う哲学者が出てくるよ?」
「あら……じゃあ、次にあなたに会うのは百年後かしら?」
「ううん、二百五十年後。待ってるよ、レイン」
「もう待たなくていいのよ?」
「どういう── 」
はしたなくも
「そうか……そういう事だったんだ……」
全てを理解したあなたは、
レインと陽子のキス。
それは、女優日向晴最初で最後のキス。
この想いはレインなのか雫なのか……混ざりあった幸せは、涙となって零れてゆく。
◇ ◇ ◇ ◇
「ふぇぇ……感動的ですねぇ……」
ドラマ最終話、ソファの上で寄り添いながらその最後を見守っています。
「…………ふぇっ!!? わ、私のままですよ!? 差し替える筈では……」
「みんな口を揃えて言ってたの。このままで良いって。女優日向晴の唇を奪った世界でたった一人の存在。本物のレインを見せつけてやりたいって。ふふっ……きっと今、日本中で大変なことになってるよ」
「で、ですが……」
「女優として最後のケジメをつけられたから。雫のお陰。ほら、二人の最後……見届けよ?」
あなたと私が甘くて蕩ける口づけをして、画面は徐々に霞んでゆく。
エピローグ、東京にある八畳のアパートで目を覚ます陽子。
ベッド横にある窓から広がる東京の街並みに、二百五十年前の英国を重ね観る。
追いつかない頭の中を整理しながらぼんやりとしている陽子の名を呼ぶ、
二百五十年前の空気と共に靡かれる、栗色の髪。
陽子の口元は優しく緩み、微笑んでいた。
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