第100話 常住坐臥、あなたと共に
あなたと出会う前……私は夢を見ていた。
何回も、何回も、同じ夢を。
一年半前、あなたと出会ってからは、あなたの夢ばかりを見ている。
でも今日は、またあの夢を……
【凄いね雫。県の特別賞もらったんでしょ?】
【うん……お花のお水、替えておくね】
【……その髪の毛は自分で結ったの?】
【うん。お母さんの真似をしようと思ったんだけど、短いし上手くいかなくて……】
【解けちゃってるよ? ほら、こっちにおいで…………ふふっ、うん。これで大丈夫】
母との最期の会話だった。
病床の母を元気付けようと、ピアノも書道も頑張った。
でも、本当にするべきことは違ったのかもしれない。
正解はわからないけれど、こうして夢を見るたびに……後悔をしている。
「キャーー!!!? ムリムリムリ!! 動いてるしムリムリムリムリ!!!!」
「キサマが欲した卵だ!!! 早く取れバカ者!!!」
お父さんの誕生日祝い。実家に来て二日目の朝、日向さんは鶏と格闘中です。
鶏を嫌がって涙目になる日向さん……可愛い。
「取った取った取った!!!!」
「走るなっ!! 鶏が興奮してしまうだろ!!!」
相変わらずお父さんは怒っているけれど、こんなに生き生きとした姿は見たことがない。
日向さんとの掛け合いは思わず笑ってしまう程。
「見てみて雫、私ね卵三つも取ったんだよ?」
「ふふっ、お上手でしたよ?」
「これで卵かけご飯食べるんだ♪」
愛らしく見つめられる卵に嫉妬しつつ、残り二つをどう調理するかを考える。
日向さんの好物である半熟煮卵と、それから……
「ちょうど三つあるからみんなで卵かけご飯食べられるね」
私の視野の狭さ、あなたの心の広さに、思わず顔が熱くなる。
あなたの事しか考えられない自分が恥ずかしい……
俯きながらそそくさと家に戻ろうとしたところ、耳元で優しく囁くあなたの声。
「ありがと、雫」
思わず振り返ると、あなたの瞳は感謝と恋慕の色をして揺らいでいた。
それを見た私も、きっと同じ瞳をしているのだろう。
私の考えていることは、全てあなたに筒抜け。
次第に周囲の音が聞こえなくなる。
父すらも見えなくなってしまった私は、溢れる想いの行き場を求め、あなたの頬へキスをした。
◇ ◇ ◇ ◇
「あんなに怒らなくてもいいのにね」
朝食後、日向さんは笑いながら草刈りをしている父にむかってべっかんこうをしています。
「いえ、私が全面的に悪いんです……」
「ふふっ、悪くない悪くない。ねぇ、せっかくだし雫の故郷を案内してくれる?」
「はい、喜んでご案内します」
◇ ◇ ◇ ◇
「曇っていて風があるから気持ちいいね」
「傘を持ってきたほうが良かったですね……雨の匂いがしますし……」
「雨雲レーダーには何も映ってないし大丈夫じゃない? へぇ……ここが通学路?」
野良犬に追いかけられた道。
近道として使っていた田んぼの畦道。
熊と遭遇した道。
何もなく只々歩いていた道。
見慣れていた筈の道は、見知らぬ色をしてキラキラと輝いて見えていた。
その一つ一つの記憶を振り返るように……それから、高揚していることを悟られないようゆっくりとあなたへ伝えていく。
「ふふっ、想い出が沢山あるんだね。この辺りは何かあるのかにゃ?」
「学校の帰り道、急な夕立がありまして……そこの東屋で雨宿りしていると、母が傘を持って迎えに来てくれました。退院予定日の前日だった筈なんですが……雨が母を連れてきてくれたんだと、幼心に空を見上げて感謝していました」
少しだけ強く握られた手。
私が空を見上げると、あなたも同じように空を見上げていた。
風に乗せられて届く湿気た匂い。
それは、あの時と同じ匂い。
「日向さん、直に雨が降ります。あそこに見える中学校で雨宿りしましょう」
駆け足で向かい、裏門に着く頃には地面が斑模様になっていた。
それはあの時と同じ……大切なものを運んできてくれる雨だった。
◇ ◇ ◇ ◇
「わぁ、レトロでお洒落な校舎……スゴい……木造だ」
「趣はありますが……日向さんの通ってらしたおまちでモダンな校舎の方がお洒落ではないでしょうか?」
「ううん、こっちの方が凄くお洒落。なんだろう……無い物ねだりっていうのかな……ふふっ、変だよね」
「……いえ、とてもよく分かります」
一つ一つ物珍しそうに、時折愛しそうに見つめる日向さん。
私と関係してるのかな……
もしそうだったのなら、嬉しいな。
「……机の数、少ないね」
「村の政策で辛うじて持ち堪えていますが、子供の数が年々減り続けてますので……耐震工事をしたのでまだまだ活躍出来る建物ですが…………いずれは閉校しなければいけなくなってしまうでしょう」
私の通っていた頃よりも更に寂しくなった教室。
廊下側の壁を見つめるあなたは、優しく微笑みながらその一部を撫でていた。
「私の知らない雫を……この建物は覚えてる。この線、雫が書いたんでしょ?」
それは、卒業式の日にクラスの皆で書いた自分の背の位置を記す線。
油性ペンで書かれた名もなき一つの線を見て、あなたは当然のように言い当てた。
「ど、どうして分かるんですか!?」
「ふふっ、分かるよ。雫のことだもの」
この校舎にいるあなたを見てから、只々同じことを何度も思ってしまっている。
もしも……もしも、あなたとここで……
それすらも見透すあなたは、教壇に立つと、甘く優しく微笑んだ。
「じゃあ……雨が止むまでね?」
そう言って目を瞑ると、あなたはこの部屋の空気を一瞬にして変えた。
チョークを置き、黒板を背に私の方へ向ってゆっくりと歩いてくる。
その大人びた瞳に、胸の高鳴りが抑えられない。
「雫さん、最近授業に集中出来てないみたいだけど……どうしたのかな?」
あなたは教師。私は生徒。
醸し出す空気に乗せられて、私も本物へなりきってゆく。
だって私は……人気女優日向晴の恋人だから。
「その……気になってしまうことがあって」
「ふふっ、先生に……教えてくれる?」
中学三年生の夏、この教室であった会話を思い出す。
その答えを知ったのは、つい最近の話。
「詩音ちゃんが言っていたんです。初めてのキスは桜桃の味がすると。先生は知っていますか……?」
見つめ合い、頬が染まる私達。
強くなっていく雨音が、私達だけの世界を作り出す。
「先生も知らないの。先生にも……教えてくれる?」
この学舎で過ごした数々の想い出が、あなた色に塗り替えられてゆく。
もしもここで出会えたなら。
もっと早くあなたに会えたなら。
机の傷も、黒板にこびり付いたチョークの跡も、見るものすべてが愛しく思えただろう。
無い物ねだりをしてしまう程、あなたは私の全て。
「……ふふっ、どんな味だった?」
「……先生の味がしました。これ程までに甘露なモノは……味わったことがありません」
「じゃあ……お腹いっぱいにさせてあげる」
あなたの全てが、好き。
欲張りな私だから、死ぬまで満腹にはならないのだろう。
雨音が止み、瞑る瞼の奥から光を感じたけれど、気が付かないふりをして身を委ねた。
◇ ◇ ◇ ◇
「うわー、暑そう。気持ちがいいくらい晴れてるね。そろそろ戻ろう……なにこれ? 納涼祭……?」
校内に貼られたポスターの前で立ち止まる日向さん。
私は先程の余韻で未だにふわふわとしている。
「ふーん……ねぇ雫…………雫?」
「す、すみません……元はこの地に住まう神を祀った祭事だったんですが、親しみやすいように納涼祭と名前を変えて毎年行っています。半世紀前は屋台が並び花火を打ち上げていたそうですが……今となっては、夢の跡です」
「…………雫は花火見たかった?」
「そうですね……この場所で日向さんと見られたら……ふふっ、考えただけで幸せです」
校舎を出ると、痛いほどの陽光と、むせ返るような湿気が私達を出迎えた。
お揃いのリボンが可愛らしいストローハットを身に着ける。
それが嬉しくて、つい横目であなたを見つめると……
どんな陽の光よりも眩しくて温かな微笑みで、空を見上げていた。
それは、何かを企む愛らしい瞳。
今度はどんな魔法をかけてくださるのでしょうか……
◇ ◇ ◇ ◇
帰り際、日向さんとお父さんは相変わらず揉めています。
支度をしているので何を話しているのかは分かりませんが、机を叩く音が聞こえたので急いで現場へ向かった。
ドアノブに手を掛け入ろうとしたけれど、場が悪そうな気がしたので少しだけ待つことにした。
「もう決めたことなので。理解して下さい」
「……キサマの考えることは理解出来ん。何故だ? そもそもキサマは私の事が嫌いだろう」
「嫌いですよ。初対面で頬二発叩いてくる人ですから。それに、私の最愛の人を軟禁するような人ですし。時代設定間違えたんじゃ?」
「……」
どうしよう……
私が入って仲裁をしないと……
「でも仕方ないでしょ? 雫の父親なんだから。私と雫が出会わなかったら……ふふっ、アナタとなんか関わるはず無いもの。そう考えると、不思議で素敵だと思いません? ねぇ、お義父さん?」
それは、私が初めて日向家にお世話になった時に彩さんへ伝えた言葉と同じ。
意識しているのかしていないのか、全く違うものなのか、私には分からない。
でも……もしそうなら、こんなに幸せなことはない。
あなたの中に、私がいる。
ドアノブを押す手は軽く、気がつけばあなたの隣りにいて、キスをして抱きしめていた。
◇ ◇ ◇ ◇
あれから数日が経ちました。
日課である日向さんのブログを見ていると、驚くことが書いてありました。
「ひ、日向さん!? どうして私の村の事が……」
美しく撮られた村の風景。
何気ない棚田も、木造校舎も……お洒落なあなたが切り撮ると、とてもお洒落に見えてしまう。
「ふふっ、納涼祭の宣伝してるの。せっかくだし……買いに行こっか」
「ふぇ? 何をですか……?」
「浴衣♪」
◇ ◇ ◇ ◇
八月十四日、納涼祭当日。
小さな小さな村には、村民の数倍もの人が集まった。
中学校の校庭には三十を超える出店の数々、日向さんの公開トークショーで賑わうイベント会場。
何台ものシャトルバスが山を越えて行き来している。
こんなに活気溢れる故郷は見たことがない。
日向さんの事務所が協賛企業となってくれた為、ここまで大々的なお祭りになったそうです。
私と日向さんの妹御である彩さんは、リンゴ飴をなめながら只々驚いている。
「いやー、こんな大秘境に凄い人の数。流石、天下の晴姉の影響力は半端ないね。あ、雫パパの挨拶始まったよ」
『暦の上では秋になりましたが、まだまだ耐えがたい暑さが続いております。皆さまにおかれましては── 』
「うへぇ、堅っ……雫ぅ、ハリケーンポテト食べに行こぉ」
「ふふっ。後でご一緒しますから、今は少しだけ我慢しましょうか」
何故このような大規模な納涼祭にしたのか、推測することしか出来ないけれど……
この瞬間、一分一秒を見逃さないよう心に焼き付ける。
『これ程までに村が賑わう日が来るとは思いませんでした……企画してくださった日向晴さん、協賛してくださった企業の皆様には頭が上がりません』
そう言ってお父さんは日向さんへ頭を下げている。
舞台上、ドヤ顔をする日向さん。可愛い。
……お母さんがいなくなってから、お父さんは一切笑わなくなった。
私も日向さんに出会うまでは同じだった。
お母さんがいないのに、楽しむなんて出来なかったから。
それでも……あなたはいつだって全力で向き合ってくれるから、私も全力であなたと……それから、自分自身に向き合うことが出来た。
自然と、笑う回数が増えていった。
だって笑うと……あなたが嬉しそうにしてくれるから。
『娘と交友があるということで幾度か会話をしましたが…………こんな私のことを、親しみを込めてお義父さんと呼んでくれる。私も……娘と仲良くする彼女のことを、私の娘のように思っております。さて、今回の── 』
お父さんの不器用に微笑んだ顔。
それを見たあなたは二度目のドヤ顔と共に、私に向って小さくピースサインをした。
◇ ◇ ◇ ◇
「雨谷さん、こっちこっち」
「お久しぶりです栞さん。あの、日向さんはどちら── 」
言い終わる前に、日向さんのマネージャーである栞さんに手を引っ張られる。
祭り会場では、打ち上がり始めた花火に皆が盛り上がっている最中です。
私も早く日向さんの隣で……
「アナタの故郷、凄い田舎ね。こんなにだだっ広いのに自動販売機一つしか無いんだけど。真夏なのにホットが売ってるし」
「す、すみません……」
「この村に移住したい人が今日三組も問い合わせてきたの。世の中分かんないね……ほら、行ってきなさい。こんなくだらない事考えた馬鹿が屋上で待ってるよ」
そう言って校舎へ送り出してくれた栞さん。
くだらないと言いながらも、何故か嬉しそうに笑っている。
訳が分からず間の抜けた顔をした私の頭を撫でると、栞さんは優しく背中を押してくれた。
◇ ◇ ◇ ◇
屋上へ向かうと、まるでTVドラマの一場面を切り抜いたかのような……
花火に照らされた美しいあなたが、私を待っていた。
「ふふっ、やっと二人きりになれたね。彩は?」
「気を使ってくれた栞さんに連れて行かれました」
お揃いの浴衣が重なる。
あなたと選んだ、百合の花が描かれた可愛らしい浴衣。
花言葉は、純粋無垢。
私はあなたを想像したけれど……
あなたは私を想像してくれた。
自然と……この浴衣を選んでいた。
身に着けていると、あなたに包まれてる気がしたから。
常住坐臥、あなたを求めてしまう。
あなたの瞳も……私を求める色をしている。
二人だけの展望台。
恥じらうことなく、寄り添い合って。
空も地も、殷賑を極めて花が咲く。
その楽しげな景色に、思わず頬が緩んでしまう。
「日向さんはこの村の為……それに、多くの人の笑顔が見たくて尽力なさったんですね」
銀笛が舞い上がってゆく。
今日聞いたどの花火よりも、空高く上ってゆく。
「ふふっ、違うよ?」
一瞬の静寂。
二尺玉、鴻大な星の花が、見上げる夜空に咲き誇る。
降り注ぐ光に手を伸ばすと、同じように伸ばしたあなたの手と重なって……
私はあなたの好きな顔になる。
「その顔が見たかったの。ただそれだけ」
緩んだ指先から、花巾着がスルリと落ちてゆく。
あなたには敵わない。
幾ら理由を考えても意味がないから……
一日一秒に、感謝をする。
好きになってくれて、恋人になってくれて……ありがとう。
「…………髪の毛解けちゃってるよ? ほら、こっちにおいで…………ふふっ、うん。これで大丈…………どうしたの? そんなに強く抱きつかなくても……」
夢を見ていた。
あなたと出会う前の、母との最期の会話を。
その答えを、あなたが教えてくれた。
どうするべきだったのかではなく……どうしたかったのか。
もう二度と後悔したくない。
だから……私の想いを、気持ちを、あなたにだけは素直に伝える。
「…………どこにも行かないで。約束して下さい」
「……約束するよ。私は雫から離れない。どこにも行ったりしないから。雫よりも一秒長く生きて……頬を重ねて、すぐに追いかける。寂しい思いなんてさせない。今際の際に……あなたと過ごせて幸せだったって、笑顔にさせてあげる」
「………………ふふっ。では……約束ですよ?」
「もちろん。楽しみに……待っててよ」
互いの頬を重ねて、手の甲に口をつける。
どんな約束でも必ず守ってくれるあなただから……瞑目するその瞬間も、怖くない。
八十余年後の光の先、瞬きをして私は微笑んだ。
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