第89話 恋慕の情と魔法使い
午前中で仕事が終わったある日、家に帰ると机の上に置き手紙。
“日向さんへ お仕事お疲れ様です。お昼ご飯は鍋ごと冷蔵庫にいれてあります。中身は日向さんの好きなグリーンカレーです。冷たくても美味しいと思いますので、少しかき混ぜて温かいご飯と一緒に召し上がってください。一人にさせてしまい申し訳ありません。早く会いたいです。大好き。 雫”
底が見えない程の愛を感じ、彼女がいる大学の方角を見つめながら手紙を抱きしめた。
私も早く会いたいよ、雫。
◇ ◇ ◇ ◇
昼食後、お風呂掃除くらいしようと思ったけれど、既にピカピカ。
トイレも、寝室も、二階の空き部屋も。
庭の草むしりなら……そう思い外に出ると、彼女の作り上げた美しい庭が広がっていた。
彼女がいてくれるから、キラキラした毎日を過ごすことが出来ている。
ありがとうって毎日伝えているけれど……
言葉では伝えきれない想いが私の中で溢れているから、せめてその気持ちを形に残したい。
何がいいのだろうか……
◇ ◇ ◇ ◇
「で、愛しの彼女にプレゼントを作ってるわけ?」
「集中してるから話しかけないで」
「本番前に言う台詞としては正しいけど、やってることがおかしいでしょ。大体プレゼントにミサンガ作るとか、小学生みたいな事やってんのね。あの人気女優日向晴なんだから、もっと大人びたことしたら?」
確かに子供っぽいかもしれないけど……
彼女の事を考えるだけで上手くいかないことが多い私だから、こんな単純な物でも精一杯やらないと失敗してしまう。
器用だと思って生きてきたけど、ただ要領がいいだけで……
私の中が彼女で溢れると、私はただの不器用な人間になってしまう。
「これが私なの。女優日向晴じゃなくて、あの子だけの日向晴だから。格好つける必要もないし……ふふっ。こうして私らしく、大切な人を想って一本一本編み込んでるの」
「はぁ……アンタをそれだけ可愛くさせてるんだから、あの子も大したものね」
◇ ◇ ◇ ◇
今日は仕事終わりに雨の日デート。
大きめの傘、寄り添うように収まる私達。
待ちゆく人々は、誰も私のことを日向晴だとは思わないだろう。
仕事の合間に紡いだ想いは、今日完成した。
渡すなら……今だよね。
「雫、いつもありがとう」
そう言って、傘を持つ手を解いてプレゼントを渡す。
目をキョトンとさせ、少しだけ口を開けている彼女。
次第に頬が赤らんでいき、大きな瞳がキラキラと輝き始めた。
「き、今日は何かの記念日でしたか……? その……嬉しくてうまく考えられないので、教えていただければ……」
「ふふっ、なんでもない日だよ。いつもと同じ日、素敵な毎日。だって……雫が隣にいてくれるから」
「日向さん……」
愛しそうにミサンガを見つめる彼女。
ふと、栞が言っていた言葉が不安を掻き立てる。
好きだから、格好つける必要もないのに……
好きだから、格好つけたくなる。
恋なんて、矛盾だらけなもの。
「これ、昔流行ったんだって。好きな人にあげる御守りで……その、私でも作れそうだったから。ちょっと子供っぽいかもしれないけど、でもね……私……」
雫の為に精一杯作った、そう伝えたかったけど……
私の思っていたことなんて、杞憂だった。
「この御守りが形だけではないことは……痛い程伝わってきます。日向さんの想いが詰まった……宝物です」
涙を流しながらも、慈愛に満ちた微笑みを私に返す。
そんな愛らしい彼女が、私の心に刻まれる。
これじゃどっちがプレゼントしたのか分からない。
「それ、手首か足首につけるんだって。私がつけてあげるね。どっちがいい?」
「……では、右の足首にお願いします」
「ふふっ、手じゃないんだ?」
しゃがんで彼女の足首に結びつけていると、甘く照れた声が聞こえてきた。
「他の人には見せたくないんです。私だけの……あなたからの愛ですから……」
見上げた先のその顔があまりも可愛くて……足元に落ちていく雨音が、半音高く響いていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「素敵なプレゼント、ありがとうございます。後生大事にさせていただきます。私もなにか差し上げられればいいのですが……」
「ふふっ、いつも貰ってばかりだからいいよ?」
少しだけ不満げな彼女は、考えるように指をくるくると回している。
やがて指先を見つめると、愛らしく微笑んだ。
「では……日向さんに魔法を見せますね」
「魔法……ふふっ、なんだろう?」
彼女は小指を傘の外に出すと、指輪の上に数滴の雨粒を残らせた。
溢れないよう器用に移動する彼女。
そのまま私と頬同士が触れ合う程近くまで寄ると、信号機と指輪の視線が合うように手を少し上げた。
「わぁ……綺麗……」
信号機の光を取り込んだ雨粒は、エメラルドのようにキラキラと輝いている。
「
緑色から黄色、赤色へ変化していく美しい宝石たち。
どれだけ清らかな心を持てば、こんなにも素敵な魔法が使えるのだろうか。
「雫……ありがと。最高の魔法だね」
「ふふっ、まだ……終わってませんよ?」
私に口づけをすると、微笑みながら傘から出た彼女。
くるりと一回転すると、その美しき魔法に心を奪われ……思わず傘を落としてしまう。
「それから……
ビルの合間からは日が差して、薄暗かった筈の空は青さを取り戻している。
見上げれば天気雨。
陽の光が反射した雨粒たちが街全体をキラキラと輝かせる。
視線を戻すと、薄っすらとかかり始めた虹を背に、何よりも美しい宝石が私を見つめていた。
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